その宝石(いし)の名前は
絵麻が身体を動かせるようになったのは、パンドラの姿が完全に消滅してからだった。
「何だったの? あの人、なんでわたしのこと……」
自らを安心させるように、絵麻は自分の手の中の石に視線を落とした。
さっきまでのまばゆい虹色の光は収縮し、僅かに石のまわりに漂うだけとなっている。
その光もゆっくりと消えていき、石は絵麻がいつも見慣れた、全ての青を凝縮したような不透明な物へと戻っていった。
「あれ?」
瞬いたが、その青が変わることはない。虹の輝きはもうそこにない。
一体、何だったんだろう?
「絵麻?」
その時、不思議そうな声が頭上から降ってきた。
「?」
いつの間にか立ち上がった翔がそこにいた。
「翔。大丈夫?!」
「さっきまでかなり危なかった……んだけど」
翔は驚いたような顔をしていた。苦しげな素振りは一切無い。
「絵麻、君は一体何をしたの?!」
翔は言うと、いきなり絵麻の手を取って開かせた。
「?!」
そこにあるのはずっと握りしめていた、青い石のペンダント。 その石を認めた途端、翔の声が裏返った。
「これは……! 絵麻、この石をどうしたの?!」
「お祖母ちゃんにもらったものだけど。どうかした?」
翔の驚きにつられるように、絵麻の声も跳ね上がる。そのくらい翔は取り乱しているのだった。
「これ、ラピスラズリだよ?!」
「ラピスラズリ?」
そういえば、テレビの鑑定師がそんな名称を口にしていたような気がする。もう随分と遠い記憶になってしまった。
「それって、何か意味があるの?」
「何か……って」
翔はひったくるようにして絵麻の手からペンダントを取ると、高く掲げていろいろな角度から眺めた。
「ラピスラズリは、すべてに通じる石! いろんな石の成分が混ざりあっていて、どんな鉱物にも分類できないんだ。一説には宇宙を示す火地風水の全てを持っていて、奇跡を呼ぶって言われてる」
「……なんだか、とってもすごそうなんだけど」
「実際凄いんだってば! 研究室に置いてあるところ自体が少ないし、こんなに純結晶だけでできているのは、僕もはじめて見た」
一通り眺め終えたらしく、翔は絵麻の手にペンダントを返してくれた。
「そんなに数が少ない石なの?」
「そもそもが伝承の存在なんだよ。『平和姫』が持っていたのがこの石なんだから。この世の全ての光を凝縮した虹色の……」
言ってから気づいたらしく、翔はいきなり絵麻の肩をつかんだ。
「絵麻、まさかこの石の力を使った?!」
「え?!」
物凄い勢いでがくがくと揺すられるので、絵麻の視点は定まらない。翔の焦った顔があちらこちらに揺れてふらふらする。
「さっきの虹色の光! あれ、絵麻がやったの?!」
「……わからない。わからないよ」
頭を振ると、ますます視界がぐらついた。そこでようやく翔は絵麻の状態に気づいたようで、手を離してくれた。はあっとため息がこぼれる。
「ごめん」
「ううん。翔は、大丈夫なの?」
「僕は全然。正直死ぬものとばかり思ってたんだけど」
翔は自分の身体を確かめていたが、衣服は汚れていても傷はない様子だった。
「攻撃を弾いて、不和姫を撤退させて、傷まで癒す……それも瀕死の状態からここまで回復させる。これじゃ、本当に」
翔はぶつぶつと呟いていたが、ふいに顔を上げた。
「そうだ。リリィは?」
絵麻がぐるりと周囲を見回すと、先ほどと同じ場所にリリィが倒れていた。 翔が彼女の側に駆け寄り、肩を揺する。
「リリィ。リリィ!」
数度呼びかけたあと、瞼が震えて新緑色の双眸がゆっくりと開かれた。
「リリィ、大丈夫? どこか痛いところはある?」
リリィは身体を起こすと、不思議そうな顔で首を振った。
闇に打ちすえられた背中にちらちらと視線を送っているが、そこには焦げ跡ひとつ残っていない。尋ねるような目を、彼女は翔に向けた。唇が動く。
「それは今から再調査。帰ろうと思うんだけど、ボール奪われちゃったんだよね」
「そうなの?」
翔は頷いた。
「あ、二人とも気絶してたんだっけ。どうしようかな……」
翔の心配は杞憂に終わった。
「翔? どこにいるんだ?」
「リリィ、絵麻! 聞こえたら返事して!」
「あ」
「信也、リョウ! こっち!」
翔の呼び声で、二人はこちらの場所を見つけてくれたようだった。
ほどなくして、別行動だった八人が合流する。
「翔、リリィ、絵麻! みんな大丈夫? ケガしてない?」
「うーん……ケガはしたんだけど、治ったみたい」
「え?」
「そっちは大丈夫だった?」
「うん。アンタの予想どおりで、こっちには集まってこなかった」
「町の方の被害もゼロですんだし、血星石も回収した」
翔の声に、唯美と、哉人と呼ばれた少年が答える。
「よかった」
「それより、あんた達大丈夫だったの?!」
「後で説明する。とにかく全部後で!」
翔はそれだけ言うと、唯美を促した。
「唯美、悪いけどすぐに戻って調べたいことがあるんだ。能力使える?」
「まかしといて」
唯美が頷き、胸ポケットからスティック状の宝石を取り出してかざす。
ほどなくして、さっきと同じような閃光が周囲を包み――絵麻の視界はふたたび真っ白に染め抜かれた。




