黒い翼の使者
「ごちそうさまでした」
「美味しかった」
「やっぱり、絵麻ってすごいね。三日経つのに同じメニューがでない」
食器を下げながら、リョウが絵麻を褒めた。
「あたしなら、絶対一日目と三日目の夕飯は同じメニューだわ」
「リョウはレパートリー少ないから」
「朝何を食べたか昼には忘れてる信也に言われたくないわよ」
苦笑いした信也に、リョウが僅かに頬をふくらませた。
「何だよ。ちゃんと覚えてるぞ」
「じゃ、今日の朝何食べたか言える?」
「え?! えーっと、絵麻が作ってくれた奴」
「それから?」
しどろもどろになっている信也を、リョウが意地悪く追撃する。
「えっと……パン! パンとサラダ」
「どんなサラダだった? 何が入ってた?」
「普通そこまで聞くか?」
二人のやりとりを聞きながら、リリィが口元を押さえておかしそうに微笑している。
」
「さーて。ちゃっちゃと片付けちゃいましょ」
リョウが言って、まだテーブルに出ていた食器を下げはじめる。
それは他愛のないやり取りに見えた。
けれど、どこか違和感があるのを絵麻は敏感に感じとっていた。
信也とリョウは笑いながら、いつも翔の方に視線を飛ばしているし、リリィもどこか心配そうに翔を見ていた。
その翔だけは、帰って来たときの深刻さが嘘のように、裏表なく明るく笑っている。
(何かあったのかな?)
そういえば、翔は朝から様子が変だった。さっきも、いつもより遅い時間に帰ってきた。
何かがあったのかもしれない。けど、何が?
(これが終わったら聞いてみよう)
食器についた泡を水で流しながら、絵麻はそんなことを思っていた。
その時、つかんでいたはずのカップが、指の間からシンクに転がり落ちる。
「いけない」
鈍い音をたてて転がったカップを、絵麻はあわてて拾った。
(まただ……手の感覚が)
「絵麻」
呼び声に顔を上げると、食べ終えてリビングに移動したはずの翔が、絵麻のすぐ側に立っていた。
「翔。どうしたの?」
「手先がしびれるみたいな感じがする?」
「……うん」
絵麻は素直に頷く。
「そうか」
翔はそこで言葉を切った。
流れる水の音だけが沈黙を満たす。
「絵麻」
翔が次に声をかけた時、絵麻が洗う食器は既に最後のものになっていた。
「何?」
「少し話があるんだ。それが終わったらリビングの方に来てくれる?」
「わかった」
絵麻は最後の食器を洗ってかごに入れると、翔についてリビングの方に行った。
他の三人もみんな、深刻な面持ちで顔をそろえている。
(何がはじまるの?)
絵麻は無意識のうちにポケットに入れてある、祖母の形見のペンダントをぎゅっと握りしめた。
「座って」
すすめられるまま、翔の向かい側のソファに腰を下ろす。
「話っていうのは」
翔が切り出そうとしたのだが、絵麻がその話を聞くことはなかった。
突然、風を切るような音がしたかと思うと、急にテーブルの上の空気が蜃気楼のように、ゆらゆらと揺らめきはじめた。
「な……何?!」
不思議な波動を感じる。この場の空気が揺さぶられているような感触。
その次の瞬間、部屋の中が真夏の昼のような閃光につつまれた。
「きゃっ!」
思わず閉じた瞼の裏を、強い光が焼き尽くす。
おそるおそる目を開けると、絵麻の前のテーブルの上に、さっきまではいなかった人物が一人、立っていた。
暗い赤をした上下揃いの衣服。同じ色の帽子を逆かぶりにしていて。帽子のつばの部分から僅かにのぞく前髪は、夜の闇のよう。瞳の色も、髪と同じ漆黒だった。
「?!」
「あ、唯美」
「そっちも終わったのか?」
異常な光景だったが、驚いているのは絵麻だけで、他の四人は平然としている。
しかし、唯美と呼ばれた人物の方はそうはいかなかったらしい。
「『そっちも終わったのか?』じゃない!!」
次の瞬間、リビングには怒声が響いていた。
「なんでアンタたちこんなのんびりしてんのよ?! こっちはろくろくゴハンも食べずに必死になってもまだ終わってないんだからね!!」
耳の前の部分だけがおろされた髪を揺らして、唯美はいっきにまくしたてた。声や口調からして、どうやら女の子のようだった。それも、絵麻と同じくらいの年頃の。
「終わってないの?」
「終わってないわよ!! 三人でいくら探しても反応なくならないし、亜生命体はめちゃくちゃ押し寄せるし。悔しいけどアタシだけひとまず戻って、救援頼んでこようってことになったの」
「悔しいって、そんな理由で連絡なしに四日も放浪するなよな」
「だって、三人もそろってて片付けられないなんて、悔しいじゃない!」
唯美はぷいっと明後日の方向を向いたのだが、その視線はちょうど絵麻のほうを向いていた
「? アンタ、誰?」
「わ、わたしは絵麻……」
「なんで他人がここにいんのよ?」
不躾にきつい言葉が飛んでくるが、本人は当然といった顔をしている。
「それは、えっと……」
黒曜石のような黒い瞳に見据えられた時、絵麻の背筋を恐怖感が走った。
(また……だ。どうして?)
「事情があってね。今はここにいてもらってる。僕が連れて来たんだ」
絵麻の肩が震え出したのを見て、翔が幾分早口に説明する。
その様子に、唯美は意地悪く唇を吊りあげて笑った。
「へえー。人が汗水流して働いてる時に、翔は女の子かこってたのか」
「違うって!」
翔がむきになって否定するのを、唯美はひとしきり笑ってからあっさりと受け流した。
「とにかく、手伝ってよ。アタシたちだけじゃ対処しきれないの、認めるから」
「わかった」
信也がソファから腰を上げた。
その右手には、いつの間にか長剣が握られていた。片刃の剣で刀身が長い。絵麻が時代劇で見る日本刀に近い形だった。
「シエル達のところまで飛ばしてくれ」
(飛ばす?)
絵麻の頭の中を疑問符がよぎったのだが、体の方はみんなが立ち上がったので、条件反射で立ち上がっていた。
「行くよ」
唯美が乗っていたテーブルから床の上に、体重のないもののようにふわりと降りてくる。
その次の瞬間、周りの空気が蜃気楼のように揺らぎ……戻り玉を使われた時の何倍もの光量が絵麻の視界を真っ白に埋めた。




