美味しいご飯を、みんなで。
「?!」
絵麻はバネ仕掛けの人形のように、ベッドから体をはね起こした。
「今のは……?」
真っ暗な闇。鈍く輝く金髪と、血のような赤い瞳。
不思議なことにはある程度慣れたつもりだったが、暗闇に浮かぶ赤い瞳というのはいかにも毒々しく、怖かった。
「あれ、何だったのかな……」
絵麻は言いながら、額に浮かんだ汗をぬぐった。血が飛び散った瞬間を、今でもありありと思い出せる。
けれど、周りはもう闇ではない。
朝の光が、やさしく部屋の中を満たしている。
そのやわらかな光が、ここが先ほどとは全く違う場所だということを証明してくれている。夢だったのだ。怖い夢。ただの夢。
絵麻は大きく息をつくと、きちんと畳んだ制服の上に置いた、青い石のペンダントに触れた。
「光が優しくあるように、か」
心の奥にしまった大切な言葉を、絵麻は思い出した。
「本当のことだね、お祖母ちゃん」
そのままベッドからおりると、絵麻は制服に袖を通して、ポケットにペンダントを滑り込ませた。そこにあることを確認するように、軽く叩いて確認する。
今は、絵麻がこの別世界にやってきてから、三日目の朝だった。
体内に溶けた血星石を分離する方法が見つからない絵麻は、未だにここ、第八寮にやっかいになっていた。
相変わらず殺風景な部屋だが、きちんと調えられた寝台や、他の部屋から持ち込まれて少しずつ増えてきた日用品が、ここで生活している人がいることを感じさせた。
「本当、変な夢だったな……」
といっても、現実も大概変わっているのだったが。
殺されかけ、右も左もわからない別の世界に飛ばされ、変な石を体内に取り込み、家事をやって居候している。これで変わり者じゃなかったら、誰を変わり者と呼ぶのだろうか?
「こっちが夢で、あっちが現実とかでもおかしくないのかな」
でも、それは嫌だと素直に思えた。
絵麻は制服のスカートを直して、少し膨らんだポケットをもう一度、軽くたたいた。
「今日も頑張るね。だからお祖母ちゃん、守っていてね」
絵麻は軽い足取りでドアに歩み寄った。
*****
「おはよう」
絵麻は直線に階段をおりると、玄関と続きになっている入り口から台所に入った。
室内は既に先客がいた。
一人はこげ茶色の髪と目をした、長身の青年。シャツとジーンズを無造作に着込んでいて、左耳だけにつけられた赤と銀のピアスが朝の光を反射していた。
もう一人は、紫色の瞳の女性。やや明るい茶色の髪はボブカットのように短く揃えられていた。肩が広く空いたシャツと革のベストにキュロット。左手首に鎖形状の銀のブレスレットをつけているため、ハードな印象を受ける。
「おはよ」
「今日はちょっと遅かったね」
「ごめん。すぐ朝ごはんにするから」
「気にしない。あと謝らない。怒ってないんだからさ」
外見とは裏腹の優しさで、少女は目の前のテーブルに置かれたマグカップを掲げた。
「ありがと。リョウさん」
「だから、リョウでいいって。もう三日経つのに」
少女――リョウが苦笑いする。
「言わなかったんじゃないの?」
「言ったよ。信也はまた忘れてる」
リョウは横にいた青年、信也を軽くにらんだ。
少女の名前はリョウ。青年の名前は信也。
一見しただけでは普通に見える彼らだが、絵麻が生きてきた十六年間で、虚構の中以外では決してお目にかかれなかった『能力者』だ。
「今、作るね」
絵麻はそう言うと、台所のカウンターの中に入って、焼いておいたパンを取り出した。
最初に食べた固いものではなく、絵麻が自分のやり方で作ったものだった。
内戦をやっている土地と言うことで、現代にいたときのようにどんな材料でも自由に使いたいだけ使えるというわけではなかったので、絵麻が知っている味は出せなかったのだが、それでもみんなは喜んでくれた。
パンを出して、コーヒーに使うお湯を沸かしている間に、絵麻は冷蔵庫から野菜と、ここ三日間で味が鳥肉に似ていると判断した白身の肉を取り出した。
肉に下ごしらえをして、塩で臭みを取っている間に野菜を切る。処理の終わった肉も食べやすい大きさに切ってからフライパンに火を入れ、野菜と肉を炒めた。
肉の色が変わったところで調味料を加え、葉野菜を敷いたボールに盛りつける。少しでも野菜を摂りやすくなるようにと考えて作った、鶏と温野菜のサラダだった。今朝のメンイディッシュだ。
盛り付けたのとほとんど同じ頃にお湯が沸いたので、絵麻はコーヒーを入れた。炒め物とコーヒーの匂いが一緒になって、食欲をそそる香りが台所を満たした。
「おいしそうな匂い。今朝は何作ってるの?」
その時、見計らったようなタイミングで台所に一人の青年が入ってきた。
さらさらの髪は、絵麻が知っている誰とも違う青色がかった黒だった。黒目がちの、深い茶色の瞳がおだやかに笑っている。
ジャケットにジーンズという軽装だが、左脇に書類の入った鞄を抱えているところはちょっと見ると学生のように見えた。
彼の姿を見つけたとき、絵麻はいつの間にか微笑んでいた。
「おはよ」
「挨拶ヌキで朝ごはんの心配?」
皮肉を言ってきたリョウに反抗するように、翔が頬を膨らませる。
「挨拶なら後回しにしても平気だけど、ごはんは冷めちゃうよ」
「お前、いつからそんな食い意地の張った奴になったんだ?」
「絵麻が来てから、かな?」
呆れたような二人の声を聞き流して笑った翔は、はカウンターごしに絵麻の手元の料理をのぞき込んだ。
「あ、お肉の料理?」
その声に、絵麻は笑顔を消して、びくりと肩をこわばらせた。
『朝から油物? さっぱりしたものがいいっていつも言ってるじゃない!!』
姉が綺麗な声を甲高く裏返して喚いたのを思い出したのだ。
「あの、朝からお肉なんだけど……平気?」
「え? 全然大丈夫だよ?」
絵麻の様子に気づいているのかいないのか、翔の声はいつもの調子と変わらなかった。
「朝から凝ったものが食べれるってて嬉しい」
「だいたい、あたし達は朝、パンとコーヒーで済ませてたもんね」
リョウが同調し、横で信也がうんうんと頷いていた。
「一応、野菜と一緒にしたんだけど」
「絵麻ってこういうふうに気を使ってくれるからありがたいんだよね」
その声は、穏やかで静かな、心地よい声で。
絵麻の好きな声によく似ていて。
「……ありがとう」
肩に入っていた力が、すっと抜けていくのがわかった。




