おとぎ話の姫君たち
「あ……うまいや、これ」
「ホント。すごくおいしい」
「さっきのも美味しかったけど、これもいいな。夕ご飯って感じがする」
絵麻が作った料理は、夕食の席で大絶賛を受けていた。
作った当人は目を丸くしている。
(本当に美味しいのかな?)
絵麻自身は味見程度に食べただけだが、他の四人の皿はあらかた片付いている。
翔に至っては、自分でもう一度よそいに行ったほどだ。
少し味が濃いような気は未だにしているが、ここまでくるとさすがに慣れた。
「ねえ、本当に美味しい?」
他人からいい評価をもらったことのない絵麻は、どうにもこの事態が信じられない。
「うん」
「嘘やお世辞じゃなくてだよ? だって、これ、わたしが作ったのに」
「まだ言ってる。美味しいんだって。ね?」
翔が苦笑いして、他の三人に同意を求める。
「あたし、美味しくないものに美味しいって言わないよ? もう一杯もらってもいい?」
「俺もいい?」
「あ、僕も食べる」
「翔、お前食い過ぎなんじゃ?」
「まだ三杯目だよ」
この言動が、嘘でもお世辞でもないことを証明している。
絵麻は呆然とその光景を見ていたのだが、自分のぶんが冷めそうなことに気づいて、慌ててフォークを口に運んだ。
「けっこう多く作ったんだな」
「いっぱい食べられていいじゃない」
「『七人』って言ってたから、残りの人達が帰ってくるかと思って」
「そろそろ帰ってくるかもね」
三杯目のパスタを頬張りながら、翔が言う。
「かもね?」
「あのね、聞こうと思ってたんだけど、いい?」
「どうぞ?」
翔は水を飲んでから答えた。
「どうして、みんなは一緒に暮らしているの?」
「それはここがPCの寮だからだよ。みんな、PCに勤務してるから」
「でも普通、寮って言ったら、台所や居間は一人ずつ独立してるものじゃないの?
なのに、なんでみんな同じ所使って、当番制にしてるの? 共有部分の掃除、面倒だって言ってたのに」
「こういうスタイルの寮だって言ったら?」
翔が僅かに表情を硬くする。
「翔は『仲間』って言ったよ」
絵麻の茶水晶の瞳が、翔を真剣にみつめた。
「ホントは『仕事仲間』って言ってたけど、みんな、別々の仕事をしてるんでしょ?
それなら仕事仲間じゃないし、特殊な力を持った人が集まってるのも不思議だよ。ものすごく少ない確率なんでしょ?」
翔は優しい顔立ちを険しくしたまま、何も言わなかった。
「別の仕事がある……の? 違ってるかな」
「……絵麻、君は絶っ対に頭が悪くなんかないよ」
翔はゆっくりと表情を緩めた。
「?」
「絵麻はもう現場を見ているよ」
「現場?」
そう言われて、思い浮かぶのはひとつだけだった。
「あの石? 血星石……」
「血星石の成分については説明したよね? 実は、あれで完全じゃないんだ」
翔は考えこむように、一瞬目を閉じた。
「翔、いいの?」
「本格的にこの子を巻き込むつもりなのか?!」
「昨日も言ったけど、責任、僕が取るよ。Mr.PEACEにも何も言わせない」
「だけど!」
おそらく反対意見を言おうとした信也に、翔は小さく、後で全部説明するとささやいた。
そして、呆然としている絵麻に向き直った。
「本格的にって、まだ何かあったの?」
「切り札と奥の手は最後まで隠すのが定石でしょう」
翔は薄く笑っていた。
「世界を壊そうとする集団と、守ろうとする集団の話はしたよね?
守ろうとする方がPC。僕らが所属する集団。
壊そうとするのは武装集団。僕らが対立する集団だね。
武装集団の本拠地は北部にあるんだけど、どういうわけか特殊な能力の部隊が多くて、普通のPCの自衛兵では手におえない場合があるんだ。簡単にやられてしまう」
「特殊な能力って、力包石?」
「そうとも言えるし、言えなくもないかな。力包石を使って強化しているわけだから」
翔の曖昧な言葉の真意を、絵麻はつかむことができなかった。ただ目を瞬く。
「絵麻は、平和姫と不和姫の話を聞いたことがある?」
「平和姫に……不和姫? 何それ?」
絵麻はきょとんと目を見張った。
「おとぎ話なんだけどね」
翔はそう言い置くと、訥々と話し始めた。
「創世神には二人の息子――光の神と闇の神がいた。彼らは世界の覇権を争い、光の神が勝った。光の神はこの世界を貰い、その喜びの涙が力包石となった。
一方、地底へと墜とされた闇の神は、光の神への報復を決意する。
世界を破壊するために、地底の闇から闇を操る力を持った絶世の美女を造り出した闇の神は、それに『不和姫』と名づけて世に送り出し、破壊の限りを尽くさせた。
これに危機を感じた光の神は、闇以外のありとあらゆる原子の破片を集め、その破片たちを自在に操る力を持った少女を造り『平和姫』の名前を与え、不和姫に対抗する唯一の手段として地上に降ろした。平和姫は定めのままに不和姫を分解しようとするが、闇を持たない平和姫は、闇だけで造られた不和姫を分解することはできなかった……聞き覚え、ある?」
唐突に聞かれ、絵麻は首を振った。
知らない話だ。けれど、どこかで聞いたことがあるようにも思えた。
絵麻がそれを素直に口にすると、翔は一言「こういうの、よくあるよね」と言った。
「続きはどうなるの?」
二人の姫君はどうなってしまったのだろう。
「平和姫は、その腕に不和姫を抱きしめた。そして、彼女を受け入れ自分の一部とし、自分ごと消滅させたんだ。
平和姫のその高潔な行いによって、世界は破壊の危機から救われたという話」
「……その話の通りにいけば、今って平和なんじゃないの?」
「それがね、不和姫が出現しちゃってて」
「え?」
思いがけない言葉に、絵麻はフォークを取り落とした。
「おとぎ話じゃなかったの?」
「おとぎ話のはずなんだけどねえ……」
翔はどこか遠い目をしていた。
「本当に、闇を操る能力者なんだ。力包石を触媒にして闇を操り、闇から亜生命体を創造したり、闇を宿らせて普通の人間をより強く、より凶暴に強化させる」
「それってもしかして」
「武装集団首領。『不和姫』。パンドラと名乗っているかな」
「パンドラっていうのが、名前?」
翔は頷いた。
「その名前と、金髪に赤い目をした女ってことしかわかってないね。世界を破滅させようとしてることはわかってるか」
「パンドラ?」
どこかで聞いた名前だ。――確か、祖母がしてくれた昔話に同じ名前の人物がでてきた気がする。ギリシャ神話だっただろうか?
「覚えがある?」
「どこかで聞いた気がするの。あんまりよく覚えてないんだけど、箱が出てくる話だった。
箱の中から災いが出てきて世界に満ちあふれるんだけど、最後に、箱の中に希望が残る……だったかな」
「箱、ねえ。一応、こっちにもあるけど」
絵麻は翔を見上げた。
「不和姫が即座に世界を闇で満たせなかったのは、不和姫が闇の存在で光の世界に肉体を持たなかったから。身体があればあっという間に世界を滅ぼしてしまう。
だから身体は封印のかけられた柩に入って、この世のどこかに隠されている。その柩が『箱』」
よくあるようでひどく入り組んだ話だった。
「……あれ? 武装集団に『不和姫』がいるんだったら、対立してる平和部隊にも『平和姫』がいるんじゃないの?」
絵麻のこの問いに、残りの四人が顔を見合わせる。
「いたらこんな苦労はしてないって」
信也が小さく息をついた。
「右に同じね」
リョウが同調し、リリィも困ったように眉をひそめる。
「?」
「PCの総帥はMr.PEACE。男性なんだよ」
翔だけは表情を変えずに、そう説明してくれた。
「それって、血星石を集めている人のこと?」
「そうだよ。血星石は封印の『鍵』になってる石だからね。
そしてMr.は僕らを使って、パンドラに対抗しようとしてる」
「使う?」
絵麻は怪訝そうに眉をひそめた。
「僕らの能力は見たでしょ? あれには副作用があってね。
同調している間は、身体が持ってる体力とか持久力の機能が、飛躍的に上昇するんだ。
パンドラに強化された武装兵と渡りあえるくらいに」
「!」
絵麻は目をみはった。
「みんなは血星石を集めたり、戦ったりしてるの?!」
「そうだよ。その最中に君が空から落ちてきたってわけ」
翔は笑って言った。
「非合法部隊『NONET』。
“力包石の主”であることを条件として、PC総帥が独自に集めた、対武装集団強化武装兵用チーム。
任務は主に、自衛団では手におえない強化武装兵や亜生命体の駆除。そして、血星石の回収。普段はPCの合法部署に所属し、必要に迫られた時に戦場へと駆り出される。
現在七名所属、と。こんなんでいい?」
翔が深夜とリョウの方を見て笑う。二人はひどく曖昧な顔をした。
「いいかどうか聞かれても」
想像の垣根をはるかに越えてしまった話に、絵麻は目を白黒させた。
一体どうなっているのか。これから、どうなるのか。
「そういえば、七人七人ってさっきから言ってるけど、残りの三人は?」
「昨日の僕と同じで出張中。北の方だったよね?」
「確かそうだけど」
「いつ帰ってくるの?」
「片付けたら戻ってくると思うけど」
「その人たちも能力者?」
「当然」
「そーいや、可哀想なことしたな。あいつらに少し残しといてやればよかった」
信也がフライパンをのぞきこむ。
大量にあったはずの料理は、きれいに食べ尽くされていた。野菜の切れ端さえ、残さずさらってある。
「え? もうないの?」
「あれだけ食べれば当然でしょ」
「……翔って三杯食べてなかった?」
「そうだっけ?」
「そうそう。そういうことに……」
「ごまかすなよ。もう一回よそってたろ」
「何でそういうことだけはしっかり覚えてるの?」
「食べ物の恨みは怖いってな」
「あたしも食べたいな。リリィは?」
リリィは春の花のような微笑を浮かべた。
「うん。美味しかったもんね」
リョウはリリィとひとしきり笑ってから、絵麻に向き直った。
「ね、今度あたし達に作り方教えてくれる? とっても美味しかったから」
「わかっ……」
絵麻は返事をしかけたのだが、その声が硬直する。
その一瞬だけ、微笑むリリィと視線が合わさっていたのである。
綺麗な笑顔は、無意識のうちに絵麻に結女を思い起こさせていた。
すぐに視線をそらしたので、絵麻の中の混乱はひいていったのだが――絵麻の顔色は誰がみてもわかるほどに青く変化していた。
(まただ。わたし……)
誰もが無言のまま、しばらく時間が流れた。
突然、音とともにリリィが立ち上がると、食器を下げてそのまま台所から出て行ってしまう。
「リリィ?!」
「今、何か言ってたか?」
「部屋に戻るって。でも、ちょっと見てくるわ。ごちそうさま」
リョウは食器を置いたまま、台所を出て行った。
「……」
絵麻はぼんやりと二人の出て行った戸口を見ていた。
顔色は戻ってきているものの、まだ幾分青く、瞳に生気がない。
「絵麻?」
「……何?」
自分が呼ばれている事に気づいて、絵麻は視線を戻した。
「聞き忘れてたんだけど、身体の具合はどう? 急に頭が重くなったりとか、足に力が入らなくなったりとかある?」
「普通に動けてる……けど」
「けど?」
「突然、怖くなることがあるの。そうすると動けなくなる」
絵麻はそれだけ言った。言葉にすることすら、ただ怖かった。
翔は何か傷ましいものを見るような目をしていたが、何も言わなかった。
「血星石の方は大丈夫だけど、少し疲れてるみたいだね。休んだほうがいいよ」
「だったら、お皿洗ってから休む」
絵麻は自分のコップに残っていた水を飲み干すと、椅子の背もたれを支えにして立ち上がった。
「大丈夫か?」
「うん。水飲んだら少しすっきりした。終わったらちゃんと休むから」
「皿くらいなら、俺が洗うけど」
「ううん、いいの。だって、ただで泊めてもらってるんだもん。当然だよ」
絵麻は笑顔を見せたが、疲れているのは明らかだった。
翔と信也はしばらく顔を見合わせたのだが、やがて翔の方が首を振った。
「そこまで言うんだったら。でも、終わったらすぐに休めよ。いいな?」
「はい」
絵麻は言うと、食器を流しに下げ始めた。
「僕ら、自分の部屋にいるから。何かあったら呼んでね。絶対だよ」
翔はそういうと、心配そうにしている信也を引っ張るようにして戸口から出て行った。
「さてと」
食器を下げ終えた絵麻は、石鹸を使って洗いはじめた。
やわらかい石鹸の匂いと、食器の触れ合う音。気持ちが凪いで行くのがわかる。
全部の食器をふき終えた時には、絵麻は平常心を取り戻していた。
けれど――。
絵麻は椅子を引くと、そのままテーブルにつっぷした。
ほめてもらえたのに。
喜んでもらえたのに。
どうして、拒絶してしまうんだろう?
怖くなってしまうんだろう?
あの子は――リリィは、傷ついたような目をしていた。
「……ごめんね」
絵麻は小さく呟くと、そのまま瞼を落とした。




