パスタと掃除と私たち
「さて、片付けよう」
棚に入っていた布巾をたたんで入れ直し、食器がばらばらに詰まっていた棚を簡単に片付ける。それから、絵麻は冷蔵庫に向かった。
「これ、茄子と似てるよね。さっきのお肉が残ってて、これは……秋葵かな?」
肉と野菜がごちゃまぜになり、掃除もされていない冷蔵庫をてきぱきと整頓しながら、絵麻は使えそうな材料を探していた。
「さっきの棚に乾麺みたいな袋が入ってたよね。夏野菜のパスタみたいにできるかな?」
それだったら副食は作らなくてすむしと、頭の中で献立を考える。料理の事になると独り言が増える自分の癖に、絵麻は少し笑った。
「味付けは黒胡椒があるといいんだけど、多分ないよね。これが調味料入れかな」
絵麻は改めて台所を見回した。
グリルが三つあるレンジ。普通の規格より大きな流し。
食器棚も大きく、学校の家庭科実習室くらいの規模がある。冷蔵庫も大きかった。
「七人って言ってたっけ」
絵麻はふっと、聞いていなかった事を思い出した。
絵麻が会ったのは四人。まだ会っていない住人が三人いるということになる。
「夕方には帰ってくるのかな。だったら、多めに作った方がいいのかな」
呟いてから、絵麻ははたと顔を上げた。
どうして、彼らは集団生活をしているんだろう?
寮といっても、普通、台所などの設備は独立しているのではないだろうか。
(後で聞いてみようかな)
絵麻は野菜の下ごしらえをすませると、思いついて隣のリビングに入って行った。
全体的に昨日と同じ様子だったが、よく見ると端末の横にノートが散乱し、クッションはぺたんこに潰れている。
「あーあ」
絵麻の顔に苦笑いが浮かぶ。
絵麻は机の上のものを、位置をなるべく動かさないようにして整理し、潰れたクッションを膨らませて置いた。その途中でわかったのだが、端末や机の上に軽く埃がつもっていた。
「最後に掃除したの、いつなんだろう。やっぱり一カ月前なのかな」
思いついて調べてみると、台所の方も同じで埃が積もっていた。
不衛生な場所で食事をすれば、病気になってしまう。
絵麻は首を巡らせて掃除道具を探した。台所の玄関側に通じるのとは反対側にドアがあり、その横にはロッカーと籠が置いてある。
「こういうとこだよね」
絵麻は言いながらロッカーの扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。
中には業務用の大きな掃除機が入っていて、その上に赤いバケツがあって棒雑巾が無造作に突っ込まれていた。
掃除機を出してみたのだが、コードもプラグもついていなかった。使えないと思って、掃除機を片付けるとバケツと棒雑巾を取り出した。雑巾はひどく汚れていたが、洗えば問題ないだろう。
「ちょっとくらいなら、掃除してもいいかな。怒られないかな」
絵麻は少しの間、考えていた。余計なことをしたと叱られるのは怖い。
「でも……動かなきゃ、何も変わらないもんね」
常に前向きであるように――祖母のその言葉を思い出すと、絵麻は掃除を始めた。
絵麻の手をもってしてもかなりの大仕事で、全て綺麗にすることはできなかったがそれでも終わるとさっぱりとした。
手を洗ってから、下ごしらえをしてあった夕食の方に戻る。乾麺をゆで、途中から秋葵も一緒にゆでて、ざるにあける。熱しておいたフライパンで具材を炒め、そこに乾麺と秋葵を加えて味を調えた。絵麻の記憶にある味より濃かったが、不味くはなかった。
その時、玄関から声がした。
「ただいまー」
「あれ、なんかいい匂い」
言葉と一緒に台所に入って来たのは、リョウだった。
「おかえりなさい」
「絵麻? 台所になんか立って大丈夫……って、これ絵麻が作ったの?」
リョウの視線は既に絵麻から、彼女の手元にあるフライパンに移っていた。
「ここにあった材料を使わせてもらったんだけど。いけなかったかな?」
「え、ありあわせで作ったの? これだけの物?!」
「いけなかった?」
絵麻の表情が不安げに変わったのを見て、リョウはあわてて首を振った。
「ううん、全然。むしろ助かるくらいよ。あたし料理苦手だから」
「リョウって、昔から家事と相性悪かったよな。焦がすわ壊すわ」
いつのまにか、リョウの背後に信也が立っていた。彼は絵麻と目が合うと、ただいまと言った。
「おかえりなさい」
「って、あんたは何やっても忘れてたじゃない?! 調味料入れ忘れたり、洗濯物取り込むの忘れて風に飛ばされたり」
「え? えーっと」
リョウに睨まれて、信也は所在無く視線をさまよわせていたのだが。
「あれ? この部屋こんなにきれいだったっけ?」
リビングをのぞきこんでそう言った。
「きれい?」
リョウは訝しがるようにして横からのぞきこむが、その表情が驚きに変わった。
「ホントだ。あたし、昨日クッション潰してそのままだったのに」
「絵麻、もしかして掃除もしてくれたの?」
「うん。ヒマだったし、翔に普段通りに動いて欲しいって言われたから。なるべく物は動かさないようにしてあるんだけど、ダメだった?」
「まさか」
リョウはとんでもないというふうに首を振った。
「自分の部屋の掃除はたまにしても、こういう共同のスペースって、当番じゃないと片付ける気にならないのよね」
「しかも、疲れてたりとかすると当番でも適当にやるしな、みんなして」
二人が全く怒っていないようなので、絵麻はほっと胸を撫で下ろした。
その時、絵麻の視界の隅で、夕方の光を弾いた金色が輝いた。
振り向いたそこに、リリィが立っていた。
フライパンの中身を切れ長の瞳で見つめていた彼女は、やがてキッチンの外から、フライパンの取っ手に向けて手を伸ばした。
(ひっくり返される!!)
「ダメ!! 触らないで!!」
気づいたとき、絵麻は叫び声を上げていた。リリィがあわてて手をひっこめる。
「?」
「絵麻、どうしたの?」
「あ……」
釈明できないでいると、ふいにリリィがリョウの袖口をつかみ――早口で何かを訴えた。
「? 焦げちゃうって言ってるの?」
リリィが何度も首を上下させる。
「そういえば、フライパンに火が入ってない?」
「あ」
絵麻はあわててキッチンの中に入ると、フライパンを持ち上げた。確かに、火がつけられたままになっている。
「いけない!!」
確かめてみると、幸いなことにフライパンの端についていた野菜が焦げた程度で済んでいた。
「よかった」
絵麻は安堵の息をつく。
「よかったな。せっかくの料理だめにしなくてすんで」
「あたしが声かけたせいよね。リリィが気がつかなかったらどうなってたか」
リョウが小さく肩をすくめる。
絵麻はリリィの方を見た。
新緑のように瑞々しい碧色の瞳――リリィは静かに微笑んでいたのだが、絵麻が脅えているのを見て取ると視線をそらした。
絵麻は何も言えず、ただ唇を噛みしめる。
優しくしてくれるのに。
気を使ってくれるのに。
「ありがとう」も「ごめんね」も言えない――。
たった一言で態度が激変するのは、姉だけでたくさんだと思ったから。
「あれ? みんな帰ってたの?」
場の空気が重くなりかけたその時、翔が台所に入ってきた。
「うん。とっくに」
「気がつかなかった」
「どうせまたなにかにのめりこんでたんでしょ」
「測定器を壊しちゃったから作り直してたんだ。それより絵麻の作ったご飯食べた? すごく美味しいよ」
「そういえば、そろそろ夕飯時だな」
「ね、食べていい?」
リョウに聞かれ、絵麻ははっと我に返った。
「うん。今、お皿にわけるね」




