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Love&Peace  作者: 野田乃音
終わりからの始まり
20/45

心優しい人

 絵麻と翔の二人は、一階に降りて来ていた。

 リビングに入って時計を見ると、一時を回ってしまっていた。

「あれ、もうこんな時間か」

「お昼過ぎちゃったね」

「昼か。お腹すいた?」

 絵麻はおずおずと頷いた。

 昨日からまともな食事をしていないのが原因だろう。基本的に、絵麻は時間が許せば三食をきっちりと食べるようにしているから。

 そのせいか、スレンダーという言葉には縁がなくなってしまったが。

「何か作ろうか。でも、材料あったかな」

 翔は言いながら台所に入り、冷蔵庫のような銀色の扉を開けて、何か思案していた。

「一時ってことは作って二時で、片付けて三時か。なるべく短時間で片付けたいから、えっと、何を作ればいいんだろう?」

 絵麻は彼の背後から、そっと扉の中をのぞきこんだ。

 ごちゃごちゃといろいろな食材がつめこまれているが、食材の種類は日本とあまり変わらないように見えた。国が違えば料理も食材も違うのが常識だから、絵麻としてはありがたい限りである。

「あ、たまごあるね。じゃがいもがあるから、ハッシュドポテト作れるかな」

「はっしゅどぽてと?」

「わたし、作ってもいい? ただで泊めてもらってるし」

「構わないけど。絵麻って、料理もできるの?」

「うん。お菓子作ったりとか、結構好き」

 絵麻はしゃがみこむと、材料を集めはじめた。

「台所、借りるね。これって、やっぱりパワーストーンなの?」

 絵麻はレンジのスイッチをいじりながら聞いた。火を調整するつまみの横に、リビングと同じようなスイッチがある。それを除けば絵麻の家の台所と同じように見えた。

「そうだよ。機械全部にパワーストーンが入ってるって考えてくれたらいちばん簡単かな。動力源」

(全部電池で動くみたいなものなのかな)

 絵麻はそんな事を思いながら、じゃがいもの皮を剥くと水洗いして薄く切った。本当はベーコンを使うのだが、なかったので冷蔵庫にあった燻製肉を味見し、一センチ幅に切って代わりにする。じゃがいもと炒めると、食欲を刺激するいい匂いがした。

 溶いておいたたまごを流し入れてふたを閉め、仕上げは火を止めて蒸し焼きにする。その間に、絵麻は食器棚から手頃な皿を取り出した。冷蔵庫の横にあったバスケットに今朝のパンの残りがあったので、それを切って盛りつける。

「こんな感じで……いいかな?」

 翔が沈黙しているので、絵麻はおそるおそる尋ねた。

 こんなものは食べられない、と怒られるのが怖かったのだ。もっとも、一瞥しただけで突っ返されるのは日常茶飯事で、慣れっこのはずだけれど。

「……絵麻」

「はい?」

「聞いていい? もしかして結婚してるの?」

「結婚?!」

 飛んできた予想外の言葉に絵麻は仰天し、フライパンを派手な音とともに流しに落としてしまった。

「さっきからずっと思ってたんだけど、洗い物も片付けもすごく手際がいいし、これだって本当に美味しそうだし、絶対結婚してると思って」

 興奮したように、翔はいっきにまくしたてる。

「……わたしって、何歳くらいに見えてる?」

「十五、六歳って感じだけど?」

「あの、それって結婚してる年?」

「してる人はしてるよ? むしろ適齢期だし、子供の一人や二人いても」

 教育委員会が聞いたら卒倒しそうな内容を、翔は平然と言い切った。

「?!」

 そういえば、確か成人年齢は十三歳だと言っていた気がする。

「……もしかして、十三歳同士で結婚できちゃうの?」

「もちろん」

 翔はあっさりと頷いた。

「十八歳未満お断りとか、少年法とか、保護者の同意とかは?」

「それ、何?」

「何と言われても」

 価値観が違う。絵麻は自分の内側の、説明できそうな言葉を必死に探した。

「青少年を守る法律……かな」

「十三歳過ぎたら自分の身は自分で、っていうのが定石なんだけどな。何をやっても自分の責任」

「そういえば、翔って何歳なの?」

「僕は十八だけど。それがどうかした?」

 今年の誕生日で十九だけどと、翔はそう付け足した。

「ううん。ちょっと聞いてみただけ」

「で、絵麻って結局既婚者なの?」

「まさか」

 絵麻は首を振った。

「わたし、きらわれっ子だもん。好きになってもらったことなんてない」

「そうは見えないけどなあ」

 翔はカウンターに頬杖をついた。

 深い茶色の瞳が、じっと絵麻を見ている。

 絵麻を透かして、結女を見ているわけではない。翔はじっと、絵麻のことを見ていた。

「……食べよう? 冷めるとまずくなっちゃうよ」

 絵麻は視線から逃れるように、ハッシュドポテトの乗った皿を翔の目の前にさしだした。

「いい? 実は、さっきからずっと食べたかったんだよね」

 翔は楽しそうに笑って、皿を受け取った。

 並んだテーブルのうち、中央のテーブルに座る。絵麻は向き合う形でその正面に座った。

「いただきます」

「どうぞ」

 絵麻はポテトは食べずに、とりあえずパンを口に入れた。

 朝と同じでカリカリとしている。こういう焼き方なのだろうか?

 翔の方はフォークでポテトを切って、口に運んでいた。

「あ、美味しい!」

 翔の顔がぱっと笑顔になる。

 その笑顔はパワーストーンの話をしている時と同じで、とても楽しそうで、嬉しそうな笑顔だった。

「本当?」

「本当だよ。すごく美味しい。こんなの食べたことないよ!」

 おそるおそる見上げたが、嘘をついたり、お世辞を言っている様子は微塵にも感じられない。

(普通にやっただけ……しかも、お姉ちゃんがきらいな料理)

 絵麻もポテトを口に入れてみる。まずくはない。しかし、味がいつもより濃い気がする。

「ねえ、これ本当に美味しい? 味が濃くない?」

「全然。普通にたまごとじゃがいもの味」

 やはり、嘘をついたり無理をしている様子はなかった。

「何かが違うのかな。口直しに何か飲む? コーヒーでいいかな」

「あ、そういえば飲み物準備してなかった」

 翔は絵麻を手で制すると、立ち上がって棚からカップを出した。固形状の何かを放り込み、キッチンの棚に並んでいたポットからお湯を注いだ。それだけでコーヒーの匂いが辺りに漂う。インスタントなのだろうか。

「はい」

「ありがとう」

 絵麻は受け取って飲んだが、それもやはり、いつもより苦い気がした。

 絵麻は一口で飲むのを止めてしまったが、翔の方は平然と半分ほど空けてしまっていた。

「翔、何か入れたの?」

「え? コーヒーって何か入れるっけ?」

「砂糖とかミルクとか、使わない?」

「使わないけど?」

「こんなに苦いのに、平気なの?」

「苦いかな? これで普通だけど」

「そうなんだ……」

 二人の会話はそこで途切れてしまった。

 会話が再開されたのは、翔がポテトの皿を空にした後だった。

「あのさ、僕考えたんだけど。絵麻と僕たちって、味覚が少し違うんじゃないかな? 地方によっても料理って変わってくるし」

「そういえば」

 見た目は似ているのに、どの料理も全体的に味が濃い。

 もしかしたら、見た目が似ているだけで、味は全然違うのかもしれない。絵麻が美味しいと感じていても、翔の口には合っていない可能性がある。

「もしかして、翔、ムリして食べた?!」

「いや。全然?」

 翔が首を振る。

「美味しかったよ。ごちそうさまでした。

 絵麻は平気? 食べられないんだったら僕がもらうけど」

「……大丈夫」

 絵麻はフォークを取ると、食事を再開した。

 そのまま息もつかずにかきこんだが、濃い味が口の中から消えない。

「ねえ、ホントのこと言って。ホントにまずくなかった?!」

「美味しかったって! どうしてわかってくれないの?」

 翔は責めるというより、むしろ悲しそうな顔をしていた。

「だって、わたしが作ったんだよ?」

「絵麻が作ると、何か不都合なことでもあるの?」

 絵麻は黙ってしまう。

「僕が今まで食べた料理の中で、いちばん美味しかったよ」

 そういう言葉にも、表情にも、嘘をついている様子はまるでなかった。

「どうして?」

「?」

「どうしてほめてくれるの? わたしなんだよ?」

 これが姉ならわかる。

 自分だから――わからなくなる。

 翔はやや困惑していたようだったが、それでも、はっきりと言った。

「絵麻を褒めるのはいけないことなの??」

 その言葉に、絵麻は弾かれたように顔を上げた。

「だって、わたしきらわれてた。頭が悪い、暗い、可愛くない。それに、お祖母ちゃんのお葬式に出られなかった。人として最低だって」

「最低、か」

 そんな様子に、翔は小さく息をついた。

「僕にはそうは見えないんだけどな」

 言ってから、彼は小さく笑ってみせた。

「!?」

 絵麻は澄んだ茶水晶の瞳を大きくみはった。

「片付けも掃除も料理も上手だし、思ったこと素直に言ってくれるし、ちゃんと状況を飲み込んで考えてるんだから、言うほど頭だって悪くないと思うよ? 常識が通じないのは仕方ないとして、錯乱されると困るっていうのはあるけど」

 翔の言葉は、ひどく穏やかな音色で絵麻の心の中に落ちてきた。

 こんなに穏やかな人と話すのは久しぶりだった。祖母が亡くなってから、こんなにも穏やかな言葉をかけてくれる人は絵麻の声が届くところにはいなかったのだ。

「錯乱したら、困る? 嫌いになっちゃう?」

「わざとやられればそうなるけどね」

 翔は苦笑いして、コーヒーを飲んでいた。だから絵麻は無言で俯いて、やや冷めてしまった最後の一切れを口に放りこんだ。

「多分、血星石が何かの反応を起こして、神経が過敏になってるんだと思うんだ。だから僕にも責任があるってことで」

 コーヒーを飲み終えた翔は自分の食べた食器をまとめると、流しに運びながら言った。

「なるべく早く解明して、絵麻の中から血星石を回収するから。そうすれば錯乱もおさまると思う。これを片付けたら作業するよ」

「それじゃ、わたしが片付けるよ。翔は作業をして?」

 絵麻も自分の食器をまとめると、立ち上がった。

 翔は意外そうに目を瞬いた。

「あ、助かる。頼んじゃっていいかな? でも平気?」

「うん。終わったら何をすればいい?」

「休んでくれていいよ。でも、できるんだったら普通に動いて、体調がどうなるのかを調べてくれるとありがたいんだけど」

「それじゃ、冷蔵庫とか棚とかの片付けをしていてもいい?」

 けっこう使いにくい状態になっていたのを思い出して、絵麻は言った。

「構わないけど。いいの? 普通に動いてくれるだけでいいんだよ?」

「わたし、それが普通だから。ごはん作ったり、掃除したり」

「それだったら、夕飯の支度を頼んでいい?」

 翔が拝むような仕草をする。

「え?」

「絵麻が作ってくれたごはん、本当に美味しかったから。また食べたいんだ。

 僕じゃ、あんまりたいした物つくれないし。皆も、食べたいと思うよ」

 絵麻は少し首を傾けて思案していたのだが、やがて頷いた。

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