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Love&Peace  作者: 野田乃音
終わりからの始まり
17/45

力包石の研究者

「これでいいかな? ごめんね」

 とりあえずフライパンを放り出した翔は、カウンターから出ると、絵麻を近くの椅子に座らせ、もう一度カウンターの中に戻った。薄切りのパンとコーヒーを用意すると、彼はテーブルに置いた。

「とりあえず、食べて? 昨日も食べてないでしょう?」

 翔はコーヒーの入ったマグカップを持って、絵麻の正面に座る。

「ありがとう」

 確かに、昨日は昼食をとったきりだった。我ながらよく保ったものである。

 パンは、特によく焼いた様子もないのにかりかりしている。コーヒーは絵麻が今まで飲んだ中でいちばん苦かった。

 それでも五分もしないうちに、絵麻は全てをきれいに食べてしまった。

「ごちそうさまでした」

「落ち着いた?」

「うん」

 絵麻はまだ温もりの残っているマグカップを両手で包み込むと、小さく言った。

「わたし、パニックになってばっかり。どうしてこうなったんだろう」

「仕方ないよ。突然別の世界に放り出されれば、誰だって多少は混乱するさ。

 まして、こんな不安定な世界ならね」

「不安定……」

 絵麻はさっき思った疑問を口に出した。

「ねえ、ここは統一されてるんでしょ? なのに、どうして平和部隊があるの?」

 平和部隊というのは、発展途上国を援助する米国の民間団体のことである。

 両親の職業上、絵麻はそういった知識には女子高生としては詳しい。また、敏感でもある。

「どこか別の国を支援しているの?」

「支援は正解。でも支援する場所は不正解」

「え?」

「この国を支援しているんだ。ここに住む人の生活を守るために」

「でも、それって政治家……じゃないな。国王とか、その周囲の人の仕事じゃないの?」

「言わなかった? 真剣にやってくれていれば、PCは必要ないんだって」

 翔の瞳が暗く沈む。

「それじゃ」

「Gガイアは内戦が絶えない世界でね。国王も政治を投げ出してるんだ」

「内戦?!」

 絵麻は大きく瞳をみはった。

 よく耳にする言葉。でも、生活に密着してくることは決してなかった言葉。

「そう。G四四四年に開戦の記録があるから、百年は続いている計算になるのかな」

「百年も続いてるの?!」

 太平洋戦争だって五年くらいなのに。

「今がG五六一年だから……百年以上か」

「そんなにまでして、一体何を争ってるの?」

「この世界の存続」

「え?」

 絵麻はきょとんとした。

「本当に?」

「この世界を壊したい集団と、それを防ぎたい集団。ふたつが百年以上戦い続けている」

「えっと、壊したい人たちがいて、それを国家が守ろうとしているの?」

「いや。国家はもう見放しているよ」

 翔はマグカップを置くと、小さく息をついた。

「それじゃ、誰が守って……」

 絵麻はそこまで言って、はっとしたように顔を上げた。

「守っているのが『PC』なの?」

「正解」

 翔が小さく笑う。

「PCは国府が投げ出した公共設備を請け負って提供している民営の団体だよ。

 自衛軍や通信局、データ登録、郵送とか。正確には委託されてる扱いになるんだけど」

「あ、それで『働いてる』って」

 さっきの言葉の意図がわかって、絵麻は笑顔になった。

 けれど、また疑問がわいて。絵麻は口を開く。

「みんな働いてるの? 学校は?」

「学校? 六歳から十二歳までの義務教育で終わりで、成人するとみんな働きはじめるけど」

「成人って、成人式までの八年何してるの?」

「八年?」

 翔が怪訝そうな顔付きになる。

「成人年齢は十三歳だけど?」

「え?!」

 絵麻は思わず声を上げてしまう。

「もしかして、十三歳から働いてるの?」

「うん」

 翔は当然のことだというふうに、あっさり首を上下に振った。

「だいたい独立するみたいだよ。同居する場合でも家賃払ったりとか」

「へえ」

 絵麻はぼんやりと、自分が十三歳だった時のことを思う。

 三年前の話だから、中学一年生。

 赤いランドセルをやっと卒業した、それでもまだ、右も左もわからない年頃。

 あの時『働け』と言われて、果たして自分に何ができただろう?

「なんだか凄い」

「僕は働かずに上の学校に行ったけどね。それでも十四歳の時には学校の付属研究室に研究員で所属してた」

「研究……か。翔って、有名人なんだよね?」

 絵麻の声が、僅かに暗く沈む。

「違うよ」

 それを察知したように、翔は素早く切り返してきた。

「前に大騒ぎになったことはあるけど……今の僕は違う」

「でも、リョウと信也が言ってたよ。今でも取材が来るって」

「全部断ってるよ。そんなことしてる余裕ないし」

「テレビや雑誌、好きじゃないの?」

「読むのは好きだけど……自分が読まれるのは、好きじゃないね」

 翔の声はどこか堅かったが、すぐに先ほどと変わらない優しい調子に戻った。

「そんな事をしている暇に、もっとやらなきゃいけないことは、いくらでもあるよ」

 翔の答えは、絵麻の予想とは全く違っていた。

「それって、有名になるより大事なこと?」

「もちろん。こっちの方が大事に決まってる」

 翔はちらりと、笑顔を覗かせた。

「何を、してるの?」

 絵麻はぎこちなく聞いてみる。

 有名になるより大事なことって――?

「パワーストーンの研究だよ」

 翔はポケットから例のシャーレを出すと、指先で器用に一回転させた。

「研究?」

「前に話したけど、パワーストーンって鉱物資源になるだけじゃなくて、条件次第でいろいろな事ができるようになるんだよね。それが面白くて仕方なくて」

「それって、同調したりとか?」

「他にももっと、平和的な使い方ができる可能性を秘めてる。同調ひとつとっても、いろいろな能力があるし、それもまだ不完全だし。死ぬまでに、せめて同調の分野だけは完成させたいと思うんだけど」

「死ぬまでって、そんなにかかるの?」

「かかるよ。パワーストーンの種類って凄いんだから。それにマスターも探さないといけないし。大変なんだから」

「種類ってどのくらい?」

「トルマリン、ダイヤモンド、ガーネット、ムーンストーン。エメラルドにサファイア、クリスタル。思いつくだけでもう七つだもん。あとはルビィにトパーズ、ジェード、カーネリアンにフローライト。ブラッドストーンもあるし。気が遠くなりそう」

 言いながら、翔は楽しくて仕方がないといった目をして笑っている。

 絵麻はいつの間にか微笑んでいた。

 この人は姉と違う。

 有名になる機会に固執し、それでいていつも不機嫌だった姉。

 有名になる機会を捨てて、楽しそうにしている翔。

「そうだ。片付けないと」

 翔はシャーレを元に戻すと、立ち上がった。

「片付けって、翔、仕事は?」

「有給を使った。だから片付け回ってきたんだよな」

 翔は憂鬱そうに流し台をみつめた。

「回ってくる?」

「僕らは家事を当番制にしてるんだけど、仕事が休みだと問答無用で当番になるんだよね。理にはかなってるけど」

「確かに」

 仕事と家事の両立には疲れるものがある。それは絵麻も経験済みだ。

「これ、どうしよう?」

 一般家庭より大きな流しに、マグカップやお皿が山と積まれている。

 そのいちばん上に、さっき翔が焦がしたフライパンが微妙な均衡を保って乗っていた。

「焦げ付き落とすのって手間なんだよな」

 ぼやいている翔を見て、絵麻はくすくすと笑った。

「水につけておけばおとしやすいのに」

「?」

「よかったら、わたしがやろうか?」

「え?」

「こういうの、得意なの。毎日やってたから」

 絵麻は言うと、翔をかわしてキッチンの中に入った。

「えっと、これがスポンジで、この石鹸使っていい?」

 翔が言葉をはさむ余地はなかった。

 絵麻は回答を待たずに、かしゃかしゃと洗いはじめていたのである。

 ほどなくして、やわらかい石鹸の匂いが台所を満たし――十分もしないうちに、絵麻は山積みになっていた食器類を全て洗い終えていた。

 例の焦げたフライパンも同様である。

「ふかなきゃ。布巾か何かある?」

「それなら下の引き出しに」

「下の引き出し、と」

 言われた通りに絵麻は身をかがめる。キッチンの裏はいくつかの引き出しと棚になっていて、いちばん下には布巾――というか乾いた布がごちゃごちゃに収められていた。

 絵麻は一瞬眉をしかめたが、何も言わずにそこから一枚の布を引っ張り出して食器をふきはじめる。

 石鹸の匂いがまだ漂っているうちに、流しの横にはふき終わった食器が整列していた。

「あとはしまうだけなんだけど、これ、どこに入れればいいの?」

「そっち側の食器棚だけど」

 翔はそこではじめて硬直がとけたように、絵麻をみやった。

「絵麻って凄い! なんでこんなに早くできるの?」

「これって凄いの?」

 絵麻は皿を積み重ねながら、ぽかんとする。

「凄いよ。僕こんなことできないもの。どこかで習ったの?」

「毎日やってただけだけど」

「僕は毎日やってもできないよ? 凄いことじゃない?」

「そうなのかな」

 絵麻は指定された棚に小皿を運びながらつぶやいた。

 当たり前のことなのに、どうしてこの人は、わたしをほめてくれるんだろう?

「届かない? 手伝うよ」

 手が止まってしまった絵麻をみて、翔はその手から小皿を取り上げた。

「……ありがとう」

「お礼はこっちがいう方だよ。楽させてもらったし」

 翔は暖かい笑顔をみせた。

 深い茶色の瞳からは、嘘をついている様子は微塵も感じられない。

(この人、やっぱりお姉さんとは違う……)

 絵麻は無意識に呟き、微笑んだ。

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