夏の夜の魔法
絵麻は夢を見ている。幼い頃の夢――。
「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん!」
絵麻は祖母、舞由の家の庭に走りこむと、縁側に座って涼んでいた舞由の膝に泣きながらすがりついた。
「あらあら。絵麻ちゃん、どうしたの?」
泣きじゃくる孫娘を、舞由は膝に抱き上げる。
「あのね、あのね……すっごく怖いの! お墓の後ろからいきなりでてくるの! 真っ白な着物で青い顔の男の人! ひとつしか目がない人!!」
「そっか。絵麻ちゃん、今日は地区の納涼会だって言ってたね。きもだめしだったんだ」
季節は夏。そして、今はちょうど辺りが宵闇に満たされて行く時刻。
きもだめしには絶好の時刻だと言える。
「怖いよお……」
絵麻は舞由の胸に顔を埋めて泣き出した。
本気で怖がっているのだろう。涙が舞由の浴衣にたちまちしみをつける。
「絵麻ちゃん」
舞由は苦笑いすると、絵麻の体を自分から離して、涙に濡れた瞳をのぞきこんだ。
「絵麻ちゃんは、お寺から一人でおうちに帰ってこれたわけだけど、まだ怖いかな?」
「怖い。だって……オバケ追いかけてくるかもしれない」
「あのオバケは町内会の人や、上級のお兄さんやお姉さんの仮装なのよ」
「仮装?」
「お化粧して、白い浴衣着てって」
「でも……でも怖かった! ホントだよ?! お祖母ちゃんも行ってみたら絶対怖いって言うよ」
「それじゃ、行ってみましょうか」
舞由は微笑むと、縁側から立ち上がった。
それを見てあわてたのは絵麻である。
「行くの?! お祖母ちゃん、怖くないの?」
「怖くなんかないよ」
舞由は怖がって行こうとしない絵麻の手をとると、玄関へと歩みを進める。
「どうして?」
「お祖母ちゃんは、怖いものが怖くなくなる魔法を知っているから」
「魔法?」
絵麻がきょとんと、茶水晶の瞳をみはる。
そこにあるのは好奇心だ。
「お祖母ちゃん、お祖母ちゃんは魔法使いなの?」
「そうではないんだけど、でも、魔法かな?」
星がひとつ、ふたつときらめきはじめる夕空に向かって、舞由は絵麻とつないだ手を大きく振った。
「ねえ、どんな魔法なの? 杖を振るの? ホウキで飛ぶの?」
「何にもいらないの。怖く思う相手をじーっとみつめるだけ」
「え、それじゃ怖くなっちゃうよ?」
「それだけでいいの」
怖がって、その場に立ち止まってしまった絵麻に、舞由は優しい笑顔を向けた。
「じーっと、じーっと見るの。そうして、他に楽しいところをみつけるの」
「楽しいところ?」
「そうよ。後で思い出した時、おかしくて笑い転げちゃうみたいな。必ずひとつはあるものなのよ」
「?」
「絵麻ちゃんもしっかり見れば、きっとオバケが怖くなくなると思うんだけどな」
そう言って、舞由は絵麻を促すと、きもだめしの会場になっている寺へ足を速めた。
そこでは、舞由の予測した事態が待ち受けていた。
きもだめしの途中で、低学年の女の子が怖がって墓地を逃げ出してしまった。寺の中にはいないし、家に連絡を取ってみても、留守で誰もいない。
事件にでも巻き込まれたのではないかと、会場は大騒ぎになっていたのだ。
幽霊役の町内の役員が、白い着物の裾をおかしいくらいひらひらさせながら寺内を走り回る。自分がおどかしたことで、女の子が泣いて逃げ出してしまった、一つ目小僧役の中学年の男の子も泣いてしまい、メイクが溶けておかしな事態になっていた。
緊急事態ということで、オバケ役だった大人も子供も半分メイクを落としたり着替えたりした状態で――それが話し合ったり走り回ったりする様は、照明の灯された下ではかなり面白くみえた。
「あはは」
絵麻の無邪気な笑い声に、全員が動きを止めて振り返る。
「絵麻ちゃん?!」
「一体どこに行ってたんだ?! 家にも帰っていないし」
「ごめんなさいね。怖くなって逃げ出して、私の家の方にきたみたいなんですよ」
舞由は絵麻の頭を押さえると、役員に向けて一緒に深々と頭を下げた。
「絵麻ちゃんのお祖母さん」
「すみません。すぐに連絡するべきだったんですけど、このお寺の番号を知らなかったから。孫をなだめながら来たら時間がかかってしまって」
「いえいえ。こちらこそすみません。どうやら演出が行き過ぎたみたいで……」
大人の話し合いはしごく和やかに進み、記念品の子供用花火をもらったところで納涼きもだめし大会はおひらきとなった。
「絵麻ちゃん、まだオバケが怖い?」
「ううん」
絵麻を首を振った。
「楽しいとこいっぱいみつけたから、もう怖くないの」
絵麻は花火の袋をかさかさとやりながら笑った。
「それじゃ、もう大丈夫だね?」
「うん!」
絵麻は元気いっぱいになって笑う。
「わたし、魔法覚えたよ。怖いものが怖くなくなる魔法!
ねえ、お祖母ちゃん。帰ったらお庭で花火やってもいい?」
「いいわよ。ご飯がすんだら一緒にやろうね」
「わーいっ」
絵麻は歓声を上げると、舞由の手を振りほどいて走りだす。
ぱたぱたと走り、道の曲がり角までくる。
「?」
ふと振り返ると、舞由はさっきの位置で立ち尽くしていた。
その目が哀しげに絵麻を見ていたようだったのは――宵闇のせいだろうか?
「お祖母ちゃーん! 早くしないとおいてっちゃうよ!!」
不安を打ち消すように、絵麻はわざとはしゃぎ声で呼ぶ。
「はいはい。今行くわ」
そんな絵麻の仕草に、舞由は優しい笑顔を見せると足早に歩き始めた。
どこかの軒先につるされた風鈴が、吹いてきた風に心地よい音を立てた。




