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Love&Peace  作者: 野田乃音
終わりからの始まり
12/45

血のでなかった傷跡

「マスターよ」

 実にあっさりした答えが返ってきた。

「そうなの?」

「さっき見てたよね? あたしの石はこれ」

 リョウは袖を少し上げると、左手首を絵麻にさらした。

 さっき絵麻を驚かせたチェーン状のブレスレットのトップには、丸い乳白色の石がついている。

「それが、あなたの石?」

月長石(ムーンストーン)。能力は『回復』」

「他のみなさんも?」

「ああ。俺はこういう事ができるし……」

 信也がそう言ったとたん、絵麻の目の前に火の玉が出現した。

 拳程度の大きさだが、まざれもない火の玉である。絵麻の目の前で、赤く燃えて揺れている。火の先っぽが、今にも前髪を焼きそうだ。

「きゃあああっ!!」

 数秒後、絵麻の絶叫が炸裂したのはいうまでもないだろう。

「あれ、怖かった?」

「信也!!」

 リョウが傍らにあったクッションで信也を殴りつけると、火の玉は消えた。

「痛いな。何するんだよ?」

「『何するんだよ』じゃない! 怖がるの当たり前でしょ?!」

「慣れてる人にやるぶんにはいいんだけど」

「慣れてないっけ?」

「初対面よ!! また脅えちゃったらどうする気なの?」

 リョウは勢い任せに、そのままクッションではたき続ける。

 が、凶器がやわらかそうなクッションで、殴られる側の信也の体格がいいこともあってほとんど痛そうには見えない。

 これは俗に言う『痴話ゲンカ』なのだろうか。

 クッションの下に信也の頭を押し付けてから、リョウはすまなそうな笑顔を絵麻に向けた。

「ごめんね。信也って、子供のころから物覚えがものすごく悪くって。また怖くなっちゃった?」

「ううん」

 絵麻は首を振った。

「仲、いいんだね」

「幼なじみなの。信也の能力は『火』で、パワーストーンは石榴石(ガーネット)

 クッションをどけると、うつぶせていた信也の左耳を引っ張りあげる。そこに三連のピアスがあった。

 銀色の小さなフープが二つ。一番下の、耳たぶの部分には、かすかな残り火のような赤い石のピアスがつけられている。

 その時、絵麻は赤い光がそのピアスから発されていることに気づいた。

「これね。この赤いやつ」

 リョウは絵麻に見えるようにと、信也の耳をさらにひねりあげた。

「いたた……これは本気で痛いって!」

 信也が両手を振り回して。

「むごすぎるから、そろそろ止めたほうが」

 翔がちょっと引き気味に制したこともあってか、リョウは手を離した。

「それで、後は」

 絵麻は怖々と、リリィの方に視線を向けた。

 微笑しながら一連の光景をみていた彼女は、絵麻の視線に気づくと、ロングスカートのポケットから何かを取り出した。

 一点の曇りもなく、どこまでも透き通った氷のような石。

 ラウンド・ブリリアントの形に加工されたそれは、金剛石(ダイヤモンド)だった。

 彼女はそれを手のひらに乗せると、切れ長の瞳を閉じる。

 その瞬間、絵麻は冷たい波動を感じた。

 リリィを護るように包みこむ、無色透明の冷気。

 光は見えない。彼女は、光をまとわない。

「絵麻、何か見える?」

 絵麻は首を振った。

「何も見えない。けど」

「けど?」

「冷たいの。すごく冷たい感じ。氷みたい」

「正解」

「え?」

 絵麻は顔を上げた。

「氷だよ。リリィの力は『氷』」

 いつのまにか、彼女の手には透き通る刃が握られていた。

 さっき、自らの手を傷つけたものと同じ。

「それ、氷でできてるの?」

 リリィは頷くと、リョウに向き直って、彼女にむけて音のない唇を動かした。

「? 何て言ってるんだ?」

「火炎弾を当ててくれって」

「ああ、なるほど」

 信也は指先に小さな炎を生じさせると、無造作にリリィの方に投げた。

 リリィは氷の刃でそれを受け止め、その冷気で炎を消滅させる。同時に、刃は澄んだ音を立ててまっぷたつに折れた。

 リリィの手にあった方は形を残しているが、床に転がった破片はあっけなくとけてしまう。後に小さな水たまりが残ったが、それさえも蒸発するように消えた。

「消えた?!」

「氷っていってもマスター……この場合はリリィの意志で物質化されてるだけにすぎないから。マスターが意志をなくせば消えるよ」

「そうなんだ」

 絵麻はしばらく床をみつめていたが、やがて視線をあげた。

「教えて。わたしの中に入り込んだのは何? そのせいで見えてるの?」

「まとめながら答えていこうか」

 翔はノートを開くと、万年筆のキャップを外した。

「まずは、絵麻の中に入り込んだ物。

 結論からいうと、パワーストーンの一種、『血星石(ブラッドストーン)』。

血を浴びたみたいに赤い模様が散ってたでしょ? それでこういう名前の石になったらしいんだけど」

「それはどんな効果があるの? 翔たちみたいに、何かを操れるの?」

「詳しい効能は研究中。でも、少しは確実なことが言えるかな」

「少し?」

「言ったよね? 僕らの総帥が集めてる石だって。

 人の血を吸う危険な石だっていうんだ。血が足りないと野生動物とかにも寄生して、それが体の中で血を吸うから野生動物はモンスターになるっていうんだ。けど、僕ら回収して、責任持って廃棄処分に回してるから大丈夫だよ」

 翔の言葉の後半は、絵麻に聞こえていなかった。

「人の血を吸う?!」

 その言葉だけが、絵麻の脳裏に焼き付いた。

「それじゃ、わたしも?」

「いや、さっきから見てるけど、全然大丈夫そうだし」

 確かに、絵麻は全く体に異常を感じていない。

 が、世の中には自覚症状なしで末期状態に陥る病気も存在するものである。

「ねえ、どうやったら出せるの?!」

「すぐに出してあげたいんだけど、方法がわからないんだよね」

 翔はノートにまた何か書き付けていたようだったが、すぐに止めた。

「五年くらい勉強してるけど、こういうケースに遭遇したことがない。

 いちばんいいのは解剖だけど、僕はできないからな」

「解剖って」

「開いて全身くまなく探し回る。リョウならできるかな?」

 翔に話をふられたリョウは、露骨に眉をしかめた。

「あのね。本人目の前にしてそんなこと言う? カエルじゃないんだから。

 どこに入ったかもわかんないんでしょ? まさか全身にメス入れろっていうんじゃないでしょうね? 傷だらけになっちゃうわよ?!」

「いや、そういうわけじゃ……」

「十六歳くらいの花ざかりの若い女の子相手にそんなこと言って、モラル疑うからね。まだ結婚前の女の子に麻酔かけて無抵抗状態で手術室に連れ込もうなんて」

「あのね、何も僕はそこまで……」

「ストップ」

 論争を断ち切ったのは信也だった。

 パンと手を打っただけで、リョウと、何かを言いかけた翔を黙らせてしまう。

「二人とも終わり。解剖だとか本人の前でいうのはいい気しないし、傷痕だ無抵抗だってのも飛躍のしすぎだ」

 正論に、絵麻は思わず目をみはった。

この男性は、軽薄なだけだと思っていたから。でも、そうではないのだろう。

「で、結局その……なんだ。解剖以外に方法は?」

 翔は肩をすくめた。

「ごめんね。思いつかないよ」

「本当に他にないのか? ほら、端末とかさ」

「パワーストーン工学の最高権威者が手をつけられないんじゃ、素人のあたしたちにはまず無理よ」

 リョウがお手上げといった風にソファにもたれかかる。

「パワーストーン工学……最高権威者?」

 絵麻だけがその言葉をききとがめた。

「翔は、もともとパワーストーン工学を専門にしてる学者なんだ」

「弱冠十四歳で五つの修士号を習得した秀才。来年の博士号試験が楽しみだって今から騒がれてる、ガイアきってのエリートよ。何でこんなとこにいるんだか」

 信也がそれに答え、リョウが補足してくれる。

 リリィは何もいわなかったが、静かに笑っていた。

「僕はそんなんじゃないよ」

 翔は視線を足元に落とした。

 女の子のようにすべらかな頬が、僅かに紅潮している。

「謙遜するなって」

「その道の権威だもんね。まだ十代なのに」

「翔って、有名な人なの?」

 絵麻の声は幾分固くなっていた。

「理工学会の有名人。今でも、雑誌の取材が来てることがあるし」

「あたし、五年前に修士号獲得のニュース見たよ」

「新聞にも載ってたな」

「そうなんだ」

 絵麻の目付きが変わる。

 茶水晶の瞳がどんより濁って、虚ろになった。

 有名な人。

 雑誌や放送の取材が殺到する人。

 勉強が得意な人。

 それが導き出す結論は、絵麻にとってひとつだけで。

「絵麻?」

 表情を強ばらせた絵麻を見て、翔が声をかけるが。

「……何ですか? 翔さん」

 絵麻から返って来たのは虚ろで、妙に丁寧な返事だった。

「翔でいいって。どうしたの?」

「なんでもないです。大丈夫」

 絵麻は虚ろな笑顔を浮かべた。

 笑っているのに、目が脅えている。逃れたがっている。

 本人に意識はない。

 これはいつの間にかすりこまれた反応。機械じかけの人形と同じ。

 急に丁寧になった絵麻を前に、四人は顔を見合わせた。

 見れば全員が全員、原因を追及したいというのがありありとわかる。当然の反応といえるが。

 けれど、翔はそれを制するように、自分の思いを振り切るように首を振った。

「疲れたんだね。きっとそう」

「そうだね。休ませてあげなきゃ」

 リョウが勢いをつけるようにいって、ソファから体をはね起こした。

「泊めていいかな? どこか空いてる部屋ない?」

「女の子だから右翼側よね。いちばん奥の、裏手側の部屋が空いてるけど」

「じゃ、とりあえずはそこで休んでもらおうか」

 翔はそういうと、絵麻に視線を向けた。

「あのね、絵麻。できれば原因が究明できるまで、ここにいてもらえないかな?」

「ここに?」

「ここなら一応の設備が調ってる。万が一何か起こったとしても、早急に対処ができるから。

 自分の家に戻りたいなら戻ってくれていい。けど、連絡先だけ教えて欲しい」

「ここにいる」

 絵麻は虚ろに言い切った。

 家に帰ったって誰もいないもの。

 帰る方法もわからないし。

 それに……また……。


 絵麻の中で、一瞬の光景がフラッシュバックし消えて行く。


「……!」

 絵麻はぎゅっと自分の肩を抱きしめた。

 肩にくいこんだ腕が震えている。

「絵麻?」

「翔……さん」

 呼ばれた声にびくんと反応して絵麻は顔を上げたが、そこには明らかに脅えの色がある。

(わたし……?)

 今まで、少なくとも翔本人にこの色は向けられなかった。

 けれど、今の絵麻は翔に脅えている。

 翔がそこにいることに――脅えている。

(わたし……?!)

「休もうよ? 連れて行くから」

 空気を察知したリョウ、そしてリリィが立ち上がりかけるが、絵麻はその二人のことも拒絶した。

「平気! 教えてくれれば……教えてもらえれば一人で動けますから!!」

「階段を上がったら左に曲がって。リビングに来るのとは反対の廊下。そこのいちばん奥、つきあたりの左側の部屋」

 空気を察したリョウがそう告げる。

「簡単だからすぐわかると思う。鍵はあいてるから」

「ありがとう、ございます」

 絵麻は危うい足取りで立ち上がると、リュックを片手に出て行った。

 リビングから出るとすぐ、吹き抜けになった階段がある。

 そこはのぼると小さな回廊になっていて、左右に廊下が伸びていた。

 教えられた通り、左側に折れてつきあたりまで進む。廊下には左右に三つずつ、合計六つのドアがあった。

 言われた部屋は左側の、いちばん奥のドアだ。

 ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。

 ドアは小さくきしんで絵麻を迎え入れる。その先は小さな寝室になっていた。

 ベッドと机と椅子のセット、それに低い木製のチェストが置かれた部屋だ。

 それ以外は飾りも何もない、実にそっけない部屋だった。掃除もされていないのか、埃っぽい空気が漂っている。

 絵麻はリュックを足元に置くと、そのままベッドに倒れ込んだ。

 湿ったシーツと枕の間にもぐりこむようにして、顔を深く枕に埋める。

「わたし、どうしちゃったの?」

 絵麻が言葉を発したのは、枕にたっぷりと涙が染み込んだ後だった。

「何もわからない……何もかもが怖い……」

 優しくしてくれる人でさえも。

「助けて……誰か、お祖母ちゃん……!」

 絵麻はそのままひとしきり泣いていたが、疲れがあったのだろう。やがて、泣き顔のままで眠り込んでしまった。

 絵麻が寝入ってしまった後、部屋の前を誰かが歩き去る音がした。

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