第10話:白馬高地(ベクマゴジ)の鉄嵐
第10話:白馬高地の鉄嵐
1952年10月:鉄原の鉄の蓋
1994年の東京。航がめくる日記は、もはや紙の体をなしていなかった。ページ全体が火薬の煤で黒ずみ、所々が焦げ、めくるたびにパラパラと灰のような粉が落ちる。
1952年10月。朝鮮戦争は、凄惨な「丘の奪い合い」の極致に達していた。正造とヨンチョルが最後に送り込まれたのは、鉄原平野に突き出した戦略的要衝――**「白馬高地(395高地)」**だった。
> 「1952年10月6日。鉄原。
> 『断腸の稜線』を生き延びた者に、休息は与えられなかった。
> 我々が辿り着いたその丘は、米軍の砲撃と中国軍の波状攻撃によって、山の形が完全に変わっていた。
> 木々は一本も残らず、岩は粉々に砕け、白い粉塵が山を覆っている。
> その姿が白馬が横たわっているように見えることから、『白馬高地』と呼ばれている。
> だが、私に見えるのは、白い産着を着たまま息絶えた巨大な死体の姿だ。」
>
降り注ぐ鉄の雨
白馬高地を巡る戦いは、10日間で24回も支配者が入れ替わるという、朝鮮戦争史上最も激しい消耗戦の一つだった。
正造の任務は、地獄の中での「維持」だった。敵の重砲撃で一瞬にして崩壊する塹壕を、夜の間に掘り直し、地雷を埋め、鉄条網を張り巡らす。
「おじいちゃん、土を掘るのが怖い。掘るたびに、誰かの指が出てくるんだ……」
ヨンチョルの声は、もはや感情を失い、乾いた風の音のように響いた。
正造はヨンチョルの震える手を握りしめた。その手は、うどん粉を捏ねる白さではなく、死の粉塵で真っ白に染まっていた。
> 「10月10日。総攻撃。
> 一分間に数千発の砲弾が降り注ぐ。空が鉄で埋まっている。
> 私は、米軍が撃ち込む支援砲撃の轟音の中で、自分の鼓膜が破れるのを感じた。
> 中国軍はラッパを吹き鳴らし、戦友の死体を踏み越えて波のように押し寄せてくる。
> 我々は、この小さな丘を守るために、どれだけの命を積み上げれば気が済むのか。
> 土を掘り、人を埋め、また掘り直す。もはや工兵ではない。私は死神の庭師だ。」
>
泥の中の灯火:うどんの約束
嵐のような砲撃の合間、二人は崩れかけた地下壕の隅で身を寄せ合っていた。
ヨンチョルは、金少尉の形見である汚れきった帰国命令書の切れ端を、宝物のように握りしめていた。
「ねえ、おじいちゃん。坡州で食べたあのうどん、また食べられるかな。今度は、金少尉にも食べさせてあげたかったな」
正造は、ヨンチョルの煤けた頭を撫でた。
「ああ。必ずだ。この丘を降りたら、私たちは軍服を脱ぐ。今度は本物の、誰も殺さない飯屋になるんだ。そのためだけに、今、息を吸え。死ぬ気で生きろ」
その時、地下壕の入り口に、一人の韓国軍将校が飛び込んできた。
「正造! 前方の地雷原が突破された! 予備の爆薬を持って出ろ! 敵の突撃を止めろ!」
正造は立ち上がった。腰に爆薬を巻き、ヨンチョルに背を向けた。
「ここで待ってろ、ヨンチョル。絶対に外に出るな」
1994年5月:東京
「白馬高地……」
航は、教科書に載っているその地名が、祖父の人生を決定的に引き裂いた場所であることを知った。
日記のこのページの端には、血の混じった指紋がはっきりと残っている。
> 「10月12日。白馬高地の頂上で、私は空を見た。
> 照明弾が夜空を白く焦がし、戦場は映画のスクリーンのように現実味を失っていた。
> 私は爆薬の紐を引きながら、ふと思った。
> 私は日本人だ。なぜここで死ぬ。なぜここで殺す。
> だが、背後の壕には、私を信じて待っている息子のような少年がいる。
> 私は日本のために戦っているのではない。韓国のために戦っているのではない。
> ただ、あの少年の未来を、一分一秒でも長く引き延ばすために、私はこの鉄の雨の中に身を投じるのだ。」
>
航は、日記の最後の数ページが、急激に短くなっていることに気づいた。
言葉は途絶え、ただ日付と、「生存」という二文字だけが並ぶようになる。
そして、1953年7月。休戦協定の調印。
「おじいちゃん……ヨンチョルと一緒に、帰れたんだね」
しかし、航が最後のページをめくったとき、そこには衝撃の事実が記されていた。
日記の最後に挟まれていたのは、黄色く変色した古い日本の戸籍謄本と、一通の短い手紙だった。
「……これ、おじいちゃん宛じゃない。**『ヨンチョル』**宛だ……」
航の全身に鳥肌が立った。
日記の最後の一行。それは、半世紀の間、祖父が墓場まで持っていこうとした沈黙の告白だった。




