最終話
「彼の気持ちを踏みにじり、大人として最低な事をしていたのは痛いほど分かっていた 」
「願わくは残り一ヶ月だけでもと、虫のいい話と言われても、資格などないと言われても、恥知らずと責められても……私は母親が生きている間だけでも大罪をやり過ごそうとしていた 」
桐島さんは言った
自分の為ではなく、迷惑をかけてきた母親に最後まで嘘を突き通す為に
人殺しという事を、隠滅という名の親孝行の為に
「その後は、どんな事もする覚悟だった、罪を償う覚悟だった‘ただどうしてもこの一ヶ月は’と思っていた」
桐島さんは、そこで口を閉じた
「……私は 」
わからなかった、正解が、正しい解答が
ハルは今も悲痛な想いを胸に、弟の仇の為に生きている
言うべきだ、ハルを助けるべきだ
でも言ったら、きっとその一ヶ月後までには、この人は死んでいる…
それを亡くなる母親が最後の息子との思い出になると思ったら
でもだからって、あと一ヶ月待ってなんて、あの泣き顔のハルに言えるわけない
やっぱり、明確な悪などこの世には存在しないんだ
正義の反対もまた、所詮は正義でしかないんだ
答えを述べられぬまま、私は頭の中でぐるぐると正解を探した
けれども、どちらかが傷つかない結果など到底見つるはずもなかった…
………
それから数分が経ったころだった
「だが、君たちと出会い、それではだめなのだと痛感した 」
桐島さんが先ほどまでとは声質を変えて、今までを否定するように言った
「正当化した理由を盾に、一年という期間で歪んだ過ちをこれ以上こんな状態で続ければ、恐らく更なる犠牲者を生み出し、加速させてしまう 」
次の瞬間、桐島さんは息を飲み、一世一代の決断をした
「――やはり、私は彼と‘決着’をつけようと思う 」
「…!? 」
私が口ごもっているのを察したのか、突然桐島さんは深く強く言い放った
「どうしたんですか…いきなり 一ヶ月はいいんですか? 」
「こんなに迷惑をかけて、関係のない君たちのような高校生まで巻き込んでしまった とんだ失態だ」
「たとえ私のせいであったとしても、復讐鬼と化した彼が見境なく関係のない人を斬ったことは事実だ、これ以上、君たちのような被害者を出さない為にも… 」
「そんな……」
「私は明日から7月30日まで地方に行ってしまう、だからその次の日‘8月1日’に決着を、一年間逃げ続けてきた現実のけじめをつけようと思う 答えを出そうと思うよ」
「……8月1日 」
BUMP OF CHICKENのライブは、その翌日だった
「彼を前にして見たら私はきっと駄目だ、間違いなく気持ちの面でも負け、そして死んでしまうだろう 」
「だから、私は‘ここ’で待つ、夜までに彼が警察に捕まらずここまで辿り着ければ、そのときは無条件で私は自首をする 」
「そんな…! 無茶苦茶だッ 来れなかったらハルは警察に捕まって、負けたら自首するだなんて 」
「本当に捕まえはしない、拘束するだけだ‘一ヶ月’ね 」
「これが……私なりの、大人なりのやり方だ 」
桐島さんは、今までの優しい口調からは考えられないほど強く発言した
(そんなの、貴方のわがままな都合じゃないですか )
決して、とてもそんな風には言えなかった…
ここに正しい答えなんて、初めからないのだろう
片方が死んで終わりか、耐えしのいで私達のような犠牲者を増やすか
その公平な中間を、無理やりにでも最後の舞台を、桐島さんは設けようとしていた
どちらの正義の結果になっても、正解のないこの街の解答を出す唯一の方法だった
皮肉なことに、その決断や公式を導いたのは、…私達の行動と犠牲から生じた‘縁’だった
それにハルが勝ち、母親に最悪の別れを渡す結果になったとしても
桐島さんが選んだ、逃げも不正もない正々堂々の
‘終わり’を…つける為の方法だった
話し合いなど出来ない関係にとった‘苦肉の策’だった…
(……… )
必ずどちらかが不幸を辿るルート
でもそれが、本当に両者の為の最善の策なのだろうか?
「君にはもう関係のない事だ、本当に巻き込んですまなかった 」
桐島さんはまた深々と頭を下げた
「君たちにはもうウィッチと誤認逮捕がされないように配慮しておく、駅でもどこでも大丈夫なはずだ 」
(駅……ライブ )
「最後に、この街の現状を教えておくよ 」
桐島さんは立ち上がり、扉に手をかけて付け加えるように意味深に言った
「‘どれか一つを手にすれば どれか一つを必ず壊す’それがこの街の現状だ 覚えておくといい」
背を向けたまま、犯した罪が這いずり回るなんとも悲しい背中は告げた
それは、私達に関わるなという警告にも感じた
桐島さん自身の立場を示しているようにも聞こえた
それはまさに――‘カルマの法則’そのものだった
「私からも最後に一つだけお願いがあります」
「ハルの家を教えて下さい 」
それだけ、私は最後に聞いた
***
―――そうして、私達は釈放された
女子高生五人は何事もなかったかのように、警察署の自動扉を出ていった
夜も近い夕闇空、聖蹟桜ヶ丘の空気は清々しく、久しぶりに吸った外気はたまらなく美味しかった
身体が軽く、本当に何もなかった日常に戻ったのだと実感した
迷路や鎖や狭い街の包囲網からも、解放された
ライブにも行ける、学校帰りに皆とカラオケもプリクラだって行ける
周りの子と何ら変わらない環境に戻ったんだ
ずっと手に入れたかった生活を掴んだんだ
(…だけど… )
「はぁ、一時はどうなる事かと思ったさよ 」
灯は期末テストから解放された授業終わりのように、気の抜けた身体を伸ばして柔らかい声を空に溶かした
「ですが、学校はどうなるのでしょうか 退学などには…」
ひよりは冷静に後始末の事を考えていた
「ほにゃぁ…… 」
取調室が怖かったのか、ショックだったのか、有珠はひよりの手を握って悲しげに俯いていた
「ボクは… 」
奏は無口のまま、何かを言いかけて視線を外した
「あの…さ、皆 」
前を歩くそんな四人の後ろで立ち止まり、私は呼び止めた
「…?? 」
そして、勇気を振り絞って真実の事態を話した
***
「ゆりの言いたいことは分かるけど、そりゃ最後までやりたいけど……でもライブはもう8月2日なんさよ? せっかくやっと行けるんさよ? 」
「……うん 」
「私も同じ意見です、もう危険を犯す行為はやめましょう、関わるなと警告されたわけなんですから 」
ひよりは、もう完結したんですと言うように発した
「ゆり、もう戻ろう? 十分僕たちは奇跡を起こしたよ、痛みを乗り越えたよ、後は夢を叶えたライブに行くだけだよ」
有珠も、同じ意見だった
「……… 」
奏はじっと黙っていた
「そう…だよね やっぱり」
もう私達とは関係のない事
部外者が関わるべきではない事なのかもしれない
私達はヒーローじゃないんだ、その場の感情で一年も続く人と人とのカルマを消化などは出来ない
カルマは本人以外が解消する事は出来ない…
それに、せっかく手に入れたライブなんだ
それを消してまでやるメリットがない、皆をまた取調室にぶちこませるような事は出来ない
後は、桐島さんとハルの問題だ
もう美弦の携帯もない、私のカルマもない
――私達は、完結したんだ
五人は影を並ばせて歩き出した
警察署の門の前には、家を留守にしていたおにぃも呼ばれて駆けつけていた
じっと待って、どこか真剣な面持ちで立っていた
心配するような、呆れたような、怒りのような、そんな親の作る表情になっていた
***
「おにぃ…ごめん 」
「ったく…お前 俺がいない間に何馬鹿なことしてんだよ 」
怒鳴りはしなかった、ただ強く叱って、私の頭をこつんと叩いた
「こんな大事に人様を巻き込んで、馬鹿 ちゃんと謝ってきたのか?」
「……ごめんなさい 」
「帰るぞ 」
おにぃは視線を前に向けたまま、呆れてたように、けれども少しだけ優しく歩いていった
奏はあの件で少しだけおにぃと話したがっている仕草を見せたが、今の状態を気遣ってか、最後まで黙っていた
私はそこで皆と別れた
どうしてか、一瞬でも家までの帰路を忘れそうになった
夕映えの街並みを眺め、夕涼みの爽やかで素朴な風に頬を撫でられる
道端のなびく草の青い香りに目を閉じて、鼻筋を通る秋風まじりの酸素を吸った
社会からの帰宅の人に交じり、社会に怒られた高校生の幕切れも変わらず、一日の終わりが近づいていた
見上げた空は高く、茜色とコバルトブルーに染まり、影を作る羊雲がようようとたそがれていた
見続けると、胸の内側の力がスッと抜けた
コツコツ鳴らすおにぃの背中に連れられて、しばらくして私は我が家に帰ってきた
ローファーを脱ぐと、急に安心した
安心して、疲れ果てた
夕日のあたる部屋、電気も点けずに久しぶりに制服を脱ぐと、それだけで卒業式後のような空白した気分になった
おにぃが作ってくれた夜ご飯はほとんど喉を通らず、シャワーは物思いにふけていたせいか三十分近く流し続けた
やることもなくぼーっとテレビを眺めて、今日は早めに眠った
中々眠れないと思っていたけれど、色んな事を思い出して考えていると、気がつくと眠っていた
その目には、もう涙を滲ませてはいなかった
-次の日-9月17日-
学校に行くと、真っ先に校長室に呼ばれた
校長先生は静かに経緯だけを聞いたが
担任の先生にはこっぴどい叱られた
それはそれは頭の先から足の爪先まで痺れるほどに怒られた
私達五人は、十日間の停学処分を受けた
部活は廃部、部室は立ち入り禁止となった
selling dayもこれをもって解散した
そして―― アマリリスは見つかり、警察に没収された
ひよりもウィザードのUSBメモリーを没収されていた
その瞬間、私達は思っていたよりも軽い罰則と罪悪感と引き換えに、日常を手にした
表に私達の事が公表されることはなく
街が停電した花火大会の夜以降、進展もなく話題性も薄れたウィッチ事件も、テレビや人の口からは犯人も捕まらないまま終息しつつあった
停学の間、私は家に籠った
反省の為ではない、心を入れ替えてリセットしようとしていた
窓を開ければ穏やかな秋風が吹いている
街は静かに、眠気を誘う白い空と草の匂いを漂わせている
うっとうしいパトカーのサイレンだってもう鳴っていない
……それが絶妙なバランスで成り立っているとも知らず
裏にこびりついるカルマも見せず、心地の良い街並みを形作っているのだった
(……… )
あとは皆でライブに行くだけ
何も心配はいらない、夢にまで見たライブに行くだけだ
灯は今まで通りのマイペース、むしろ少し元気になった気がする
ひよりは拓未さんとは仲良くメールも頻繁に続いているらしい
有珠は勇気を振り絞って父親に電話をかけたらしい
ギターの練習も再開したらしい
奏は夏休み以降引きこもっていたことを全て親に話し、本当の自分を伝えたらしい
皆、ちゃんと前に進んでいた
することのない自宅謹慎の間、私はパソコンをつけっぱなしにして灯や皆とメールをした
ケアのような文章もあれば、これからのライブの楽しみな期待感もあった
しかし誰一人として、もう終わったこの惨劇を口にする者はいなかった
BUMP OF CHICKENのライブまで、残り僅か
本当に、私達はただの女子高生に戻った
待ち望んだ当たり前のぐうたらな日常
つまらないテレビを見て、髪の毛を気にする
好きな音楽を聞いて、平穏な空と風が好きなこの街の高校生の一員に戻ったのだ
今までの努力とスレスレの緊迫感の日々を忘れるほど平和ボケな日常だ
あとは、手に入れた大きく幸せな未来が待っているだけだった
この僅かな空白感は…きっと気のせいだ、幻だ
今までがあまりにも非日常だったから、まだ穏やかすぎる日常に慣れていないだけ
きっとすぐに忘れてしまう
………
でも、本当にこのままでいいのだろうか…?
ねぇ、灯、私達は本当に登りきったのかな?
ねぇ、ハル、本当に私の出来ることはもうないのかな?
――そして、長くがむしゃらに走り抜けた私達の二週間の青春が
――窓辺から眺めた月の下で、静かに終わった