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第67話

ギィィ……


天体観測の覚めやらぬ熱気の中で、鈍く小さな音が背後から響いた


(……?? )


振り向き視線を向けると、扉が僅かに開いていることに気がついた


その隙間からは影が躊躇するようにひっそり身を潜めて、スラックスの裾だけが映っていた


「……ハル? 」

扉にも届くよう、私は声を出した

「ぇ?? 」

夢中になっていた灯や二人も、私の声でそれに気がつく


そして、スッと、制服に身を包んだ男子高校生が闇から姿を見せた


あの日のような真っ黒のコートも凶器も握られてはいない、私達と同じ制服姿の高校生だ


雲に隠れていた月の明かりが屋上を照らし出し、その顔の輪郭がはっきりと私達の前に現れる


目にかかるほどの髪に、ざっくり雑に切られた前髪

青白い肌、死んだ魚のように生気を失った瞳、その目の下には隈がある


暗いオーラを全身に纏った、痩せすぎなくらい細身、ひよりと同じほどの身長の男子


昨日以来、二度目の低体温者同士の対峙だ


ハルは、約束通り屋上に来てくれた


「……… 」

何も言葉を発することなく、こちらを伺うような冷たい視線を向けていた


「彼が…ウィッチですか 」

「ほにゃぁぅ… 」


ひよりが訝しげに灯に確認し、有珠は少しだけ後ずさっていた


爽やかな屋上の空気が一変し、並々ならぬカルマの闇に急降下する


「ゆり、行ってこい 」

灯が小さく温かい声で背中を押した


「きっと、大丈夫だ 」

自信を込めてリーダーは断言した


「…うん 」

タッパーを後ろに隠しながら、固まった空気の中を歩き、ハルのいる扉付近まで歩み寄る


たった昨日まで敵同士だっただけに、斬り合った中だけに

なんともいえない張り詰めた緊張感が漂っていた


「ここじゃアレだし、階段で…話そっか 」

少しだけ声を緩めて、三人のいない静寂の階段に勧めた


コツコツと足音を響かせて、二人は深い海の底のような段差に腰を下ろした


ハルは足を投げ出して、私は体育座りで両足を丸めて座った


閉まった扉の窓ガラスからは、微弱の白い光がそっと斜めに、まるでさざ波のように階段の上付近にだけ注がれているのだった



***


「なぁ…お前らだろ、こんな朝から警察に追われてんの 」


長い沈黙のあと、ハルが今日初めて口を開いた


「うん、ちょっと…あってね 」

ついごまかしに似たなんとも言えない笑みを向けてしまう



「…そうか……悪い 」

それとは逆に、顔をよそに向けて、ハルは罪悪感を滲ませて深く呟いた


「そういえば、そっちの名前 聞いてなかったよな」


「小林 ゆり 皆ゆりって呼んでるよ 」


すると、階段に伸びるハルの影が僅かに揺れた

一度開かれた口は言いかけた何かを発する事なく閉じた

恐らく言おうとしたその名は、呼ばれることはなかった


「で、渡したいものって、何だよ 」

心ここに在らずといった素振りで、ハルはすぐに切り替えて核心に触れた


「これ、なんだけど 」

そっと、私は足を伸ばして膝の上にタッパーを乗せた

皆で作り上げた、最後の希望


手作りハンバーグ


「…! 」


それは、死んだ弟と兄を繋ぐモノ、未来を託したモノだった


私達四人、奏も、皆がカルマを消化出来た

後に残っているのはハルのカルマだけだ

他とは比べ物にならない、深く深く侵食されたカルマだけだ


「…なんだよ それ 」

明らかに今までとは反応を変え、ハルは視線をきょどらせた


「‘ハンバーグ’作ったの、食べてもらえないかな? 」


「見たのかよ、メール 」

ハルは冷静に、静かな怒りを交ぜて言った


「うん…ごめん 」


「関わるなって言っただろッ 」


「ごめん、だけど、どうしても白紙になんか出来なくて、貴方に桐島さんを殺す方法以外で… 」


「だから、どうしても食べてもらいたくて…! 」

タッパーを握る手に力をグッと込めて、私はハルの目を強く見て言った


「なんなんだよ、なんで…そこまで干渉するんだ 」


「俺は…昨日、お前を斬った人間なんだぞ  怖くねぇのかよッ 憎くねぇのかよッ」


「……… 」


「なんで… こんなことすんだよッ …お前らはッ 」


感情を露わにぶちまけるハルの言葉を打ち消すように、私はフタを開けて割り箸を彼に差し出した



「‘…お願い’」


その一言、深く念を押して、これが私達の今日の精一杯のあがきだと、雄々しく鋭い視線で伝えた


「……ッ! 」

ハルはそれまでの動きを止めて、口を開けたままじっとタッパーの中身と私の瞳を見つめていた


「……… 」

そして、一瞬複雑な表情を浮かべた後、それ以上の言葉は発することなく、覚悟を決めたように手を伸ばした


救えるのかは分からない

けれども、託すしかない


「……くそ 」

その容器の中に入った真ん丸に膨れた大きなハンバーグ二つ


託した未来を変える力を、今日の全てを、それに捧げた


冷めても食欲をそそる匂いが夜の廊下に立ち込める


おかずだけの、僅かな夜ご飯の時間だ



「……いただきます 」


ついに、ハルがそれを口に含んだ



***


(ハンバーグ… )


両頬に頬張っても四口はかかりそうな大きなハンバーグ


均等に図られた惣菜の練り物まがいや、焦げついた肉の塊とはまるで別物だ


手間暇かけて人の手で作られた、空腹だったことを思い出させる旨そうな本物のハンバーグだった


あの日の面影と重なる、俺の大好きな…大嫌いな代物だ


それを俺は小さく箸で切り分けて、恐る恐る口に入れた


(……… )


冷たかった、口に含むとすっかり冷めていて、回りには白い油の固まりがくっついていた

舌の上に乗せ、口の中の唾液で冷たく転がす


早く飲み込もうと出来るだけ感情を乗せずに奥歯の間に添えた


――けれど噛んだ瞬間


(……っ! )

それがじわりと溶け出して柔らかく染み出した


また噛んだ、奥歯で噛んで、頬に蓄えるように大事に食べた


「…ぁ…ぁ 」

信じられなかった、鳥肌がたった


久しぶりに感じた、人の手の味だった


たとえ冷たくても、それはしっかりと内側に味つけ以上に残っていた


体温をなくした口の中でさえ、これほどまでに優しい人の温もりが染み込んできた


「…どうかな? 」

彼女は怯えるように覗き聞いた


「ぅっ…ぁ… 」

気がつくと、タッパーを握りしめたまま、俺は無防備に込み上げた涙をすすっていた


口に名残を残したまま、堪えきれずにきつく唇を震わせていた


二口目はこれでもかと大きな固まりを頬張った

口の中にパンパンに味が溢れて埋めつくす


お腹を空かせた子どものように、不細工に頬張った


(…なんで、こんな涙が出るんだ )


これほどまでに泣けたことが嬉しかった

嬉しくて、こんなにも胸をぎゅうっと締め付けた


「旨いよ…ッ 本当に…美味しい…ッ 」

聞き取れないほどの嗚咽を交えて、俺はまたハンバーグを口に入れた


そのたびに、目からは漫画のようなドシャ降りの大粒の涙がぼたぼた落ちていった


瞬きするたびに微熱を含ませて両端から落ちていった


「ぐすっ…ぅぅ…ヒクッ 」

求め続けた味を口いっぱいに広げて、ただただ俺は止めどなく泣き叫んだ


ワイシャツの裾で何度も何度も拭っても、懲りずにこぼれ落ちていった


今までに内側に溜まった汚れや痛み吐き出すように、洗い流すようにだうだう号泣した


言い訳は出来そうにない

立派な台詞も役に立ちそうにない


月明かりだけの階段で、汚れた顔の輪郭を撫でるように、一人孤独に我慢してきた一年分の雫が落ちていった


ひどく涙腺は壊れ、食べてる最中にも唇には鼻水が交っていた

それでも残り一つのハンバーグを痙攣した喉で味わって食べた


「ぅ…ぅぁぁ…ッ! 」


ぐしゃぐしゃに濡れて見えない視界の先には、大きな瞳をした弟との向き合う食卓が見えた


はにかみながら、多めの白米とハンバーグを頬張っている光景


もう二度と見られる事のない、諦めていた何より望んだ景色だった


なぜだろうか、すかすかだった胸の奥が満たされて


疾うに壊れて失った大切なモノを、取り戻せた気がした



「…良かった 」

隣の子は、ゆりは、ただただそんな泣き崩れる俺のそばに座り


膝を丸めて顔を埋める赤の他人の横で


いつまでもいつまでも、泣き止むまで寄り添い、最後の一口まで冷たい廊下にいてくれたのだった




***


「落ち着いた? 」

涙を拭い、鼻をすするハルの横で私は出来るだけ気を使って聞いた


「…ごめん、ありがとう 」

赤く腫れた両目を上げて、ハルが言う


「缶コーヒーでも買ってこようか? 」


「いや、もう大丈夫 」


三人の賑やかな声が屋上から響き、それとは逆に真夜中の階段は静かな空気が流れていた


「一つ、聞いていいか 」

階段にかかった月明かりを見ながらハルは枯れた声で呟いた


「なに?? 」


「なんでお前らはこんな他人にまで頑張ってるんだ? そもそも昨日来たのは、俺を捕まえる為じゃなかったのか?」


「そうだよ、…最初はね 」


「最初? 」

ハルが眉にシワを寄せて聞いた


「ハルが桐島さんをなぜ殺そうてしていたのか、それを知ったら…だめだった 」


「……… 」

顔を俯かせて、ハルはまた罪悪感に胸を湿らせた


「本当はね、初めは私がハルの濡れ衣を警察に着せられる前に、その張本人の通り魔を捕まえるっていう目的の為に私達は頑張ってた 」


「それと、もうひとつ 」

まるで思い出のように上を見上げて、間を開けて私は語った


「来月の‘BUMP OF CHICKEN’のライブにね…この皆とどうしても行きたかった 」


「ライブ? 」

思わぬ言葉にまたもハルは聞き返した


「でも駅も改札もあんな状態で、私は行けるわけなくて、それを解決するには…犯人が捕まるしかなかった だから、私達は昨日、何も知らずにハルを捕まえに斬りに行った 」


「この街の真実も知らずに、悪を倒せば解決すると、安易に思ってた 」


そこで、女子高生四人が起こした一夏のお話は完結した



「……俺のせいで、関係ないのに巻き込んでごめん 」


「ううん、ハルが悪かったわけじゃないと思う、私も昨日邪魔をしちゃったんだし 」


「でも俺は、どうしてもまだ自首は出来ない 俺が罪を犯してるのはあいつに罪を求めさせる為だから 諦められない」


「…やっぱり、ハンバーグ…食べたくらいじゃ 気持ちは変わらないよね 」


どこか自虐的に曖昧に笑って、私は自分達の作戦の終わりを実感した



私達は、先程より少しだけ打ち解けられた気がした


「十分変わったよ、もう一度あの味が食べられただけで、痛みから解放された気がした なにより狂ってた自分が昔の自分に戻れた」


「でもな…あいつを殺してやるって気持ちが和らいだわけじゃない …殺したいよ」


夜の隅で奏でる殺意はウィッチときとは違い、どこか凛としていた


(……… )

その横で、ハンバーグの仕業でびしょじょに濡れた袖を私はじっと見つめていた


「やっぱりお前らの夢を犠牲にするとしても、俺は隠された真実を世間に公表したい 」


「勝者も敗者もいない、泥沼化したこの闘いを今度こそ勝ちたい… 」


ハルは声色を更に強めて断言した


「弟がどんな死に方をして、それを殺した奴が今なにをしているのか、そして謝って罪を償わせたい 」


拳を硬く握り、ハルは野心を燃やした


「……そっか 」


結局、私達では根本的な事件の解決は出来なかった


最後のバトンは、ハルを和解にまでは導いてはくれなかった


でも確かにハルは美弦に対しての悔いや後悔からは救われた気がした


蝕んでいた孤独から解放されたと感じた


だからきっと作戦の意味は、あったんだと思う



けれども‘殺意’を取り除くことは出来ず

突っかかりを残したまま、最後の作戦は終わりを迎えたのだった



………


***


そして、私達は話を終え、残された時間を三人と大切に過ごした


屋上ではしゃぎ、思い出を語って、これからを模索して



最後には四人揃って階段で眠った


音のない校舎の隅で固まって、肩を揃えて寄り寄り添い合ってぐっすり眠った





-9月16日-(火)-


そして何事も無く朝になり


私達の夢はとうとう終わりを告げた




―――私達は‘捕まった’


最後は呆気なく、該当者一人しかいない‘誰か’の通報により、捕まった


そのハルはいつの間にか姿を消し、脇に小さな置き手紙だけを残していた


手紙を開くと、中に書かれていた内容は


『ほんの一瞬でも 友達の輪に入れて良かった 楽しかった 時間を共有して、前に進めたような気がした


俺は、やっぱり行くよ


ウィッチとして、俺はあいつを殺しに行く


だからもう二度と関わらないでくれ、お前らはこっちに来ないほうがいい


ハンバーグありがとう、美味しかったよ   さようなら 』


同時に、ハルと出会ったきっかけのポケットの中の美弦の携帯は


跡形もなく…なくなっていた


………



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