第66話
物置部屋の前で別れ、そこからは三人だけでハルとの待ち合わせに指定した屋上へ通じる階段を目指した
廊下を道なりに進み、孤立感を漂わせる長い通用口の階段を上る
(そういえば、屋上でも色んな事があったな )
有珠と出会い、有珠のカルマを知り、別れて
覚えているかな?
ふと横の少女を見ると
月の光に照らされて、銀色の髪を揺らして、あの日に感謝を込めるように
有珠はこちらを向いて、ひときわにっこり頬を染めて微笑んでいた
***
ひよりの手によって、大きな鉄製の扉が勢いよく開け放たれる
夜中のプール際のような静寂が流れていた階段
待ちわびかのように、遮断されていた扉から広々と真夜中の屋上に飛び出す
その瞬間、新鮮な空間と共にバッと視界が塗り替えられた
「うわぁ―― 」
思わず、声が出なかった
「ほにゃーっ プラネタリウムみたいなのですー!」
有珠がパタパタと喜びいっぱいに余白を走り出す
境目も妨げもない、もうすぐその手が届く距離に、こぼれ落ちそうな夜空が浴びるようにびっしりと降り注いでいた
「ふふっ、誰もいない屋上は気持ちいいですね 」
ひよりも首を上に向けて長い黒髪をなびかせている
四人貸し切りではもったいないほどの圧倒的なスケールに、澄んだ濃紺色は幻想的に浮かんでいた
見える星も数えきれないほど多く、ぐるぐる回って見渡しても日だまり喫茶店から見た夜空に匹敵するくらいだ
(すごい… )
音もなく一面輝き続けるそれに、凝視した瞳が吸い込まれそうになる
(本当に、来てよかった )
たまらず、背中が汚れるのもお構い無しに、私は何もないコンクリートに両手を広げて寝そべった
夜の冷気によってひんやりした地面に太ももを冷やさせて、更に気持ち良さと解放感がプラスする
精一杯今を生きている実感が、たっぷり吸った夜の爽やかな空気と一緒に胸に溢れてくる
最高に満たされた幸せと感動に浸った
腕を伸ばして、広い広い空に美弦の携帯をかざしてみる
「ハル、見えてる? 」
見えてるわけない、だけど、そう言わずにはいられなかった
そして、ハルに怒られてもいい覚悟で
そっと、私は美弦の携帯と私の携帯を赤外線で‘アドレス交換’をさせた
携帯は空にゆっくりと弧を描きながら、兄以外の名を初めて刻んだのだった
………
そんな風にして、少しだけ夜も更けた
ひよりは時間も忘れて、変わらず立って首を空に向けている
有珠は一番端まで走って、フェンスを両手で握り
明るい駅のほうにつれて白色に薄くなっている空の根っこを見ていた
まさにこの上なく幸せな時間だった
私達の最後の夜にふさわしい青春の香りと色で満ちていた
――そのときだった
静けさなどお構い無しに、階段に通じる扉がド派手に巨大な音を響かせた
(――っ!? 」
心臓が止まるほどの衝撃音に振り向くと、同時にリーダーの帰還を演出していた
「さぁッ、始めようか!‘天体観測’」
かと思えば、灯は早速また突拍子もないことを汗を弾いて叫んでいた
「灯 背中のそれなに?? 」
無意識に声を出してしまった
まったく、またも驚かせされてしまった
なんと灯は口にした通り、その背に‘天体望遠鏡’を担いで帰ってきたのだ
***
「selling day 最後のお祭りだ! 」
「始めるさよ、作戦名! 天(体)観(測)25時4点論理! 」
熱のこもった声が夜空に鳴り響く
「えっと灯ちゃん 一体それはどこから? 」
皆の思っていた疑問をひよりは第一に聞いた
「前に物置状態だった部室から、さっきの教室に物を運ぶときに、たまたまそのガラクタの中から前に発見したんさよ、なんか前はあったらしい天文部のものらしいんさけど 」
スペースシャトルを彷彿とさせる魅力的な白と黒のコントラスト
美しく空めがけて伸びるシルエットに、思わず胸がドキリと高鳴った
「なんかさ、一度でいいから真夜中の屋上で天体観測してみたかったんさよねー この四人で」
そうして灯は子どものように笑いながら天体望遠鏡を肩から下ろした
テレビで見るような本格的な大きさではなく
白くて細長い口径の鏡筒、可愛いシャープな形をしていた
黒色の三脚をピシッと立て、大空に向けて望遠鏡のレンズを掲げる
「屈折式の天体望遠鏡ですね」
「かっこいいのですっ、ワクワクしちゃうのです 」
「ずっと物置にあったやつなのにちゃんと使えるの? 」
言葉とは裏腹に、最高潮に期待が膨らむ
左側に小さく取りつけられた接眼レンズを覗き込む灯
「ちゃんと今さっき綺麗に拭いたから大丈夫さよー 」
その言葉通り、望遠鏡はしっかり伸びたボディを月明かりに綺麗に反射させていた
「なんだかテンションが上がるのですー 」
有珠は覗きたいのか、背伸びをして灯と望遠鏡の周りをぐるぐる覗くように右往左往していた
「レンズ自体はちゃんと使えそうですよ 」
少しだけ声色を高ぶらせて、ひよりが箇所をチェックしていく
そして、四人は広大すぎる真夜中の空を見上げた
バレーも出来そうな広い屋上のど真ん中を独り占めに
静かな自由空間から、使い方も分からない天体望遠鏡をかざす
「ぉ、そうだ忘れてた 」
と、灯が何かを思い出したように、パンパンに膨らんでいたスカートのポケットから何かを取り出した
「ではついでに、ほい 」
灯は私達三人に、冷えた‘缶コーヒー’を差し出した
「灯 これは? 」
「ふふー、奏風に言うと‘……おごり’」
ぼそぼそと似てもいない真似をして、灯は笑った
それは一階の食堂脇にある一本百円の缶コーヒーだった
「今夜をここで皆と過ごせることに乾杯するのさー 」
灯がフタの開けて腕を上げる
「今日まで、共に戦い抜けたことを誇りに思う 」
「本当にありがとう 乾杯っ!」
「乾杯にゃのですー 」
「はい、いただきます 」
そう言い、カシュッと三つのフタの開く音が響き
四人は腕を上げて乾杯した
「いただきます 」
ぐびぐびと一気に飲み、すっかり渇いて喉が冷たく潤っていく
どこにでも何の変哲ないコーヒーは甘くて、少しだけほろ苦い味がして
それでいて、今まで味わった事のないほどに贅沢で美味しかった
そして私達は足元に空き缶を揃え、囲んだ天体望遠鏡越しに想いを夜空に馳せた
***
「ねぇ、ゆり? 」
ひよりと有珠が携帯で星座や方角を検索している間
灯は空を見上げたながら小さく呟いた
「なに? 」
接眼レンズに目を押し当てたまま、私は答えた
「あたしね、いつか前にさ…‘心の底からこの空を綺麗だなって、生きててよかったって、そんなふうに思えるようになりたい’ってさ、言ったことあったじゃん 」
「…うん、あったね 」
それは、一週間のベンチの事だった
「今は、あのときより最悪な状態なのにさ、なんでかなぁ、めっちゃ空を綺麗に感じる 綺麗に感じるよ もう切なくもないよ 」
「…うん 」
接眼レンズからゆっくり目を外して、私は灯を見た
灯は素の表情で微笑んで、少しだけ瞳に涙を浮かべていた
「…あかり 」
分からない、その瞬間、私まで溢れてきそうになってしまった
灯がそう思えるようになってくれたことが嬉しくて、それが分かる自分がいることも嬉しくて
そこにたどり着けた自分たちがいることが嬉しくて
でも言葉が見つからなくて、少しだけ照れ隠しに
ポケットにぐるぐる巻きにしていたiPodを取り出した
視線を合わせずに、Rと書いてあるほうを自分に、もう片っ方を灯の耳に添えた
流した曲名はもちろん想像通りに
BUMP OF CHICKEN
‘天体観測’
接眼レンズで塞いだ25時の世界は美しく
外からは、それ以上に小さく綺麗な涙声が聞こえていた
………
そして、その少し後
屋上への扉は、この街のカルマに取り憑かれた最後の男子高校生の手によって開かれた