第64話
夜までもう少し、奏はどれだけ時間をかけてくれているだろう
警察はまだ来ないだろうか?
ひよりがカウンターのパソコンでハンバーグの食材や、とびっきり美味しい作り方を調べてくれている
有珠はフライパンや調味料の在りかを探してくれている
灯はその後の今夜の作戦を念入りに考え、同時に神経を研ぎ澄まして日だまり喫茶店の周囲を警戒している
逃走中のはずが、目的の為ならこんなときまで捨て石になる自分達がいた
一人を救う為、夢中に熱くなっている自分達がそこにはいた
美弦のハンバーグがどんななのかは分からない
チーズが乗っていたかもしれないし、一口サイズだったり、もしかしたらコーンやジャガイモが入っていたりしたかもしれない
でも、私達は王道の、まさにハンバーグというハンバーグを作ることに決めた
四人も入ったら身動きも取れないほど小さなキッチンに、女子高生は大きく楽しげに、全てを賭けた切り札の料理を作り始める
有珠が下の収納スペースから銀色のボールを猫のように身を丸めて取り出し
今度は背の高いひよりが上の棚からフライパンを取り出し、ガスコンロの上に乗せる
銀色の、まさにお店で使うような底の深くないシンプルでオシャレなステンレスのフライパンだ
大切に使われているのか、取手まで鏡のように電球の橙色をピカピカと反射させていた
料理をそそる光沢に、今にも絵本に出てきそうな美味しいご飯が作りたくなる
「ステンレスですか、ちょっと待って下さい 」
ひよりが顎に手を添えて何かを考えこむ表情をする
「む?、何これ?普通のフライパンと違うんさー? 」
「確かステンレスですと、そのまま使う場合は焦げてしまう可能性があります 」
「手順は知っているのですが、一応ちょっと調べてきますね 」
そう言い、またひよりはパソコンのほうに向かった
「時間ないのです、先にゆり切っちゃうのです 」
有珠が玉ねぎをまな板の上に置く
「ゆりって料理するんさー?」
「た、たしなむ程度になら、かな」
ギクリとして、つい見栄を張ってしまう
正直に言うと朝ごはんを作る程度の実力しかない
「で、でも!、失敗は出来ないし、頑張るよ 」
長袖をまくり、いざ切ろうとしたときだった
「ぁ、ゆり、その前にこれ 」
包丁を持とうとした瞬間、すぐ横にいた有珠が私にエプロンを差し出した
「エプロン?? 」
「お料理するときはこれをすると美味しくなるのです 」
奏のだろうか、落ち着いたモスグリーン色に四つ葉のワンポイントが可愛い、丈の短いエプロンだった
制服の上から重ねて背中に細い紐を結ぶ
ポニーテールをあらためて結い直す
流しで両手も洗い、いざ、華奢な素人シェフが厨房に立つ
不慣れな手つきで玉ねぎを細かくみじん切りにしていく
サクサクシャクシャク鳴る感覚がどこか懐かしい
ひよりが帰ってくるまでフライパンは使えず、玉ねぎを炒めるのを待つ間に
冷蔵庫から今作戦をやることを決めた主役の合挽き肉を取り出す
ボウルの中に移し、合挽き肉だけでしっかり練っていく
寸前まで冷やされていた肉は冷たく、刺すほどに指が痛くなった
でも柔らかくなじむまで、真剣に一生懸命に、右手だけは動かし続けた
「お待たせしました 」
ひよりがメモを持って戻ってくる
新たに手に入れたハンバーグの秘訣も携えて、ひよりがステンレスフライパンを火にかける
すると、ためらいもなくプロ顔負けの手さばきで熱していく
中火で温め、僅かに水滴を落とすと、水は表面を滑るように小さな玉になって転がった
僅かな油をくわえて、フライパンの底になじませていく
「ふぇー、ひより先輩すごいのです 」
そして、玉ねぎを炒め始める
焦がさないよう、飴色になるまで炒める
すぐに香ばしい香りが小さなキッチンを包み込む
ボウルの中に炒めた玉ねぎや、他に材質も移していく
「なんか本当に料理してるみたいさね 」
「みたいじゃなくてこれでも真剣に料理してるの 」
灯が珍しい光景にボウルを覗きこんでいる
こっちは至って真剣だ
牛乳に浸したパン粉、卵、塩コショウも続けて入れ、最後に隠し味に少量のケチャップをくわえる
「ふぅ…なんか緊張する 」
ここからが正念場だ
手のひらの熱でなめらかにまとめるよう、体重をかけてしっかりこねていく
爪の間にお肉が入る感覚は気持ち悪いけれど、空気を含み、お肉が柔らかくなっていくのが分かった
そしていよいよ、焼きの工程に入る
「ゆりちゃん、頑張って! 」
「が、がんばる 」
ボウルの中身を四等分に切り、一つを手に取り、中の空気を抜くようにパンパンと手のひら同士でキャッチボールをして、最後に中央をくぼませる
ひよりがフライパンの具合を調節し、いつでも準備万端だ
「じゃあ、焼くね 」
三人に励まされながら、楕円形に形作られたお肉がジュウッと美味しそうな音を鳴らしてフライパンの上に着地する
「あとは中火で両面を焼きましょう 」
あまり動かさないように、とひよりは付け加えて、私達はじっとハンバーグを眺めていた
それはまるで、警察に追いつめられ、限られた時間しか残されていない高校生達の姿などではなく
文化祭の出し物をワクワクして作っているときの高校生のようだった
一度ひっくり返して弱火にして、余計な油をクッキングペーパーで拭き取りフタをする
最後にお湯を少しだけ入れて、ふっくら蒸し焼きにしてコトコト待った
誰かの為にご飯を作るということはとても大変で大切で
とっても幸せな事だったんだと、今更私は気がついた
「できたぁ、皆 出来たよ 」
外が夕闇に包まれた晩御飯どき
ソースもない、日だまり喫茶店特製の王道ハンバーグが完成した
フタを取った瞬間、白い湯気を放ち、まん丸ふっくら仕上がった焼き目からは今にも肉汁が溢れてきそうだった
思わず唾が口いっぱいに滴り、空腹だったお腹が鳴りそうになる
――大丈夫だ、きっと美味しい
そう確信できる、皆の知恵と努力が詰まった傑作だった
きっとハルだって救えてしまえるくらい、世界のどんなハンバーグにも引けを取らない出来だ
その後、もう一つを予備に作り
残った二等分のお肉を焼き、半分こにして皆で食べた
大きく肉厚なハンバーグを噛んだ瞬間、口いっぱいに旨みたっぷりの肉汁が溢れ出した
コンビニ弁当やファーストフード店では決して味わう事の出来ない
丹誠込めて作ったハンバーグでしか味わえない優しい味だった
少しだけいびつな玉ねぎの食感や、一生懸命手のひらで握った、手作りおにぎりに似た愛情が口の中いっぱいに感じられた
余すことなく食べきると、白米が欲しくなった
そして、最高の一言を皆が口を揃えて言った
「――美味しかったね 」
保温タッパーに大きなハンバーグを二つ入れ
作戦の準備を整え、私もアマリリスを背負う
最後に日だまり喫茶店を出るときに、私は美弦の携帯からハルにメールをした
今朝の忠告を無視して、夜空に向手を伸ばして送信した
私達は止まっても、ハルだけでも進ませる為に…
-本文-
「この前は何も知らずにごめんなさい
一つ要件があってメールしました
どうしても、今からハルに渡したいものがあります
今夜‘聖蹟桜ヶ丘女子高校’の屋上に来て下さい お願いします 待ってます」
送信完了、すぐに返信はなかった
そして、灯が最後の作戦の舞台に選んだのは
――私達の本拠地だ
理由は教えてくれなかったけど、誰も拒否はしなかった
もう警官はいないだろうか?
無事にたどり着けるだろうか?
ハルはちゃんと来てくれるだろうか?
ハルを助けられるだろうか?
いくつもの心配要素が重なっても、手の内に握られた渾身の一品を見るたびに
きっと彼の痛みも救えてると、大丈夫だと
私達は、最後の悪あがきへ 学校へ歩き出したのだった