第63話
すぐ近くでパトカーのサイレンが聞こえる
脅すような赤色灯の轟音が空気を切り裂き、また新たに仲間を呼び寄せている
妙に静けさを装う街が不気味さを煽り、日中だというのに歩く道がこんなにも暗く狭く感じる
「…どうするの これから 」
「分かんない でもとにかく、アマリリスだけは、あれだけは隠さないと」
裏地を当てもなくさ迷う
ずっとこうして逃げ切れるわけもない
だから、最低限の証拠隠滅だけでも…
「…日だまり喫茶店に、行こう 」
いつ終わりが来るかも分からない恐怖の中を、私達は終始俯き、言葉を交わすことなく黙々と歩いた
曲がり角に殺気を感じたのは生まれて初めてだ…
ビルとビルの谷間も、マンホールの染みも、電柱から垂れた電線も、全てが私達を潰そうと罪の意識を責め立てた
灰色の踏み切りを越え、頼りない足取りでいろは坂を目指した
もう…敗北は確定しているのに
街との生きるか死ぬかの鬼ごっこは続いた
無断で早退し、逃げた学校から離れるほどに、夢も遠ざかっていく気がした
心を削りながら、目指す場所に僅かな希望を抱いて
怯える足は進んでいくのだった…
***
身を隠すことの出来ない坂の一本道はひどく体力を消耗させた
唯一の救いは、まだ追っ手はこちらまで迫ってきてはいない事だった
逆に駅前は集中的にサイレンが響き、私達を引きずり出そうと探していた
(奏…大丈夫かなぁ )
横を車が通りすぎる度に、身が縮むような不安に駆られる
全ての人が、全ての動く物が敵に感じた
闇より深い色をした丘の直線道路を越え、無風の視界の先に日だまり喫茶店のシルエットが見えてくる
「…先回りなどは、されていないでしょうか 」
ひよりが念入りに警戒してポツリと呟いた
「…奏を、信じるしかないよ 」
お店の前にかけられたパンクした自転車が、なぜか更に私の傷をえぐった
いつも入る正面の扉ではなく、裏手に回り、店員用の小さな扉を開く
なんてことなく鍵は鍵穴にはまり、カチャンと強い効果音を響かせて私達の侵入を許した
心霊スポットやホラーよりもずっとずっと怖い薄暗い店内を、私達は敵の気配に怯えながら散策した
「だ、大丈夫 …多分まだ来てない 」
灯の震えた声が、ひっそり静まり返った空気に沈む
「ふぁ、少しだけ気が楽になったのです 」
有珠ちゃんが崩れるようにテーブル席に座りこむ
店内の電気は一切付けず、カーテンをも窓も閉め切り、全ての鍵を全てかけ、私達は引きこもった
「さて…来たはいいけど、ホントにどうするか 」
とりあえずと、灯はアマリリスを隠していた小部屋を開く
「アマリリスだけは、私が持っていかないとだもんね 」
「いずれにしても、時間の問題で警察はここにも来ると思います、どこか別の場所に隠れましょう 」
「…ほにゃぁ 」
この世の終わりのような瞳をして有珠が耳をシュンとさせる
安全な場所なんてない、どのみち私達は捕まるんだ
だったら、私達はなぜ逃げたのか?
きっと、私達がこの二週間で選んだ道は間違いじゃなかった
そう思える為には今ここで捕まったらだめだって、あの場で思ったんだ
なら、逆にもう捕まってもいいって
そう思えるには…何を成し遂げればいいのかな?
………
結局、私達はそれから夕方過ぎまで淀んだ喫茶店の中に身を潜めていた
裏口の扉の鍵だけは開け、いつ車の音が聞こえても逃げれるよう、私はずっとアマリリスの入ったギターケースを背負っていた
***
日だまり喫茶店から動くことも出来ず、刻々と時間だけが過ぎていった
空は流れ、夕焼けも沈みかけていた
すでに上のほうは濃い青色の闇に染まって星もちらつき始めている
まもなく、街が夜を完成させる
室内に会話もなく、ただ呼吸の音だけが聞こえていた
「なぁ…あたしらに後一つ出来る事ってさ、やっぱしアマリリスの秘密を守ることなんじゃないかな? 」
ふと、長い沈黙を続けていた四人の空気を灯の声が破った
「そう…だよね、もうそれくらいしか 私達が出来ることなんてないよね 」
「でも、どこに隠せばいいのでしょうか? 」
「誰にも見つからないで、しかも今から有珠達で行ける場所なのです 」
「……… 」
「……… 」
そこで私達の会話は途切れた
こんな大きなまぐろだよ?、こんな奇っ怪なものをほれそれと隠す場所なんて、…あるわけない
一つの死体を隠す事と同じ事だ
ましてや今の街の現状で無事にたどり着ける確率なんて何パーセントだろう
(……… )
いっそ、川にでも捨ててしまおうか?
公園にでも埋めてしまおうか?
そんな馬鹿げた事まで、切羽詰まった私の頭にはよぎっていた
「ゴメン…なんか、飲み物でも入れてくるさ 」
煮詰まった空間から逃げるように、灯がキッチンに向かう
ガチャガチャと音を鳴らして、四人分の飲み物と一緒に灯が帰ってくる
「はい、ゆりは 紅茶 」
「ぁ…、うん ありがとう 」
両手でコップを受け取り、渇いてもいない喉で紅茶をすする
(私達に…最後に一つ成し遂げる事 )
紅茶の入った水面にしょぼくれた私の顔が揺れて映っていた
不意に、昨日の紅茶を思い出す
ハルはどうしてるのかな?
(ハル…… ハル? )
…ドクンッ
そのときだった
紅茶、メール、美弦、日だまり喫茶店、昨日、――ウィッチ
(! そうだ…ッ )
――唐突に、これまでに暴かれてきたそれぞれのリンクが紡ぎ合い、一直線に繋がった
消えかけた‘衝動’がもう一度再起をし始める
鳥肌と共にパチパチと瞳が脈を打ち、起死回生の‘キーワード’を思い出す
下がるどころか心拍数が拍車をかける
――そこで、私は跳ねるように立ち上がった
「!そうだよ、まだある、私が最後に出来ること…ッ 」
「ゆ…り? 」
次の瞬間、アマリリスのケースを脱ぎ捨て、頭で考えるより先に一目散に走って裏の小さなキッチンに向かっていった
――あるんだ!、最後の一手が!
「ゆりちゃん? どうしたんですか? 」
何事かと、慌てて三人も続く
興奮に身を任せ、息も荒くして、――固い冷蔵庫の扉を開けた
「はぁ…ッ、やっぱりだ 」
「にゃにゃぅ、どうしたですか? 」
「皆…どうか、どうか最後に出来る事を お願いしたい 」
三人のほうに振り向いて言った
私は――
私は…!
「‘ハンバーグ’を作りたいッ! 」
***
普段なら笑い者になってしまうほどのたかが小さな食べ物のレシピを、私はこれでもかとド直球で喉から打ち上げた
「ハンバーグでしょうか? 」
「なんで この状況で飯なんすか 」
「にゃ?ゆり? 」
一人上昇するボルテージの前で、突拍子もない提案に仲間がぽかんと想像通りの反応する
………
そこで、私はポケットの中の美弦の携帯をかざした
事の事情を、絶望的現状を忘れてしまうくらい息もつかぬスピードで話した
メールの中に残された、もしかしたら桐島さんを殺す以外で唯一ハルをカルマから救えるかもしれないモノ
それが目の前の冷蔵庫に残されている事
捕まるまでにやり遂げるなら、きっと奏が言った、これが今最後に出来る事だと確信できる
冷静に考えて、それで何か答えが出るのかは分からない
ハルがウィッチをやめたところで、仮にもしウィッチが捕まらなければ、この街ぐるみの事件のなんの抜本的な解決にもならない
故に私達のライブの夢も遠いまま
でも私達がハルを捕まえる事は間違っていた
だからね、こうすれば何かが変わる気がするんだ
ウィッチを捕まえると奮闘して知った、この街のパズルのキー達が、今まさにここに揃っているんだ
捕まるくらいなら、やれるだけやった後に捕まろう
私の、最後の目的を言います
――‘ハルを助けたい’
***
………
がむしゃらな説明を終え、呼吸を戻すと、少しだけ不安になった
ハルは皆には関係のない事かもしれなかったから
ライブとは全く関係のない事だったから
もしかしたら意味のない自分勝手な考えに巻き込んでしまうと思ったから
でも、一息入れる間もなく、三人はそんな私の不安を打ち消して笑った
ニヤニヤ笑って、頷いた
やっぱり、然も当たり前の如く、すぐに団結して同意してくれたのだった
そして、私達四人は、恐らくこの部活としては最後になるであろう作戦に身を投じた
すぐに目まぐるしい即興で、灯が今晩の作戦を打ち出した
作戦名――
‘天観25時4点論理’
***
「いいか もうこの作戦は今までとは違う 生き延びる為の作戦じゃなく、繋げる為の作戦だ、負け戦だ」
そうなんだ、これは私達が身を隠すことも、夢を叶える為とも違う
「根本的な解決は今更不可能だけどさ…」
灯はふぅっと息を溜めて、ライブという言葉も消して、大切なものを乗せて、口を開いた
「けど、ゆりがやりたいんなら だったらあたしはついてくしかない 」
サイレンの恐怖を払うよう、不敵な笑みを浮かべた
「お料理でしたら慣れていますので任して下さい 」
捕まる不安を妨げるよう、カーディガンごと腕捲りをしてふふっと包容が包み込む
「僕も、今度こそはゆりの力になってみせる 」
警察の妨害など忘れてしまうよう、小さな反抗心が産声を上げる
「皆… ありがとう 」
「その代わり、ゆりがこねろよなー あたし手汚したくないもんー 」
「うん、ありがとう 」
そんな灯の丸分かりの当て付けた口実も、今の私には胸をじーんとなだめた
ひよりの露出した細い腕も、有珠の僕も、何より私に最終局面の力を宿した
(奏… 残してくれてありがとう )
(勝手に食べたら怒るかな? そんなことないよね? )
(今度ハーゲンダッツでも奢るからね )
(だからハンバーグ、使わせてもらうよ )
いざ、正真正銘、これが最後の私達の作戦だ
頼むから、繋がってくれよ…ハル
街のルールを逆撫でして、世界一の馬鹿たちは全神経を注ぎ込んであらがった
圧倒的不利な立ち位置で、最後の抗争を企んだ




