第62話
-9月15日-(月)-
新着メール一件
(non title) -本文-
「今まで、巻き込んでごめん…全部俺が悪かった…
だから、もう何もいらないから 何もしないで…いいから 何も関わらないでくれ 」
再出発の船出にふさわしい、清々しい秋の匂いのする七時
私はその一通のメール受信の震えによって叩き起こされた
形見の携帯電話に送られた、斬り合ってから以来始めてのハルからのメールだった
隅から隅まで悲しい色を含んだそのメールの言葉の束
寝起きからの不意討ちの衝撃も相まって、目の前の現実が弾けるようにして覚めたのだった
(ハル…? )
言いようのない…黒文字のシグナル
返信など求めた提案ではない、念を押して言った警告だった
私達が邪魔というよりは、本当に巻き込んだ事に対する罪悪感や謝罪からのように思えた
そして、何もかもを断ち切り、尚も桐島さんを殺すという強い野望からの冷たい決意にも見えた
そのメールの文字はひどく孤独で、べっとりと何かがこびりついて、得体の知れない絶望に彩られていた
「……… 」
どんな複雑な思いをして、どれだけ指先を痛くしてこれを送ったのかと考えると、胸が締めつけられた
とても見て見ぬ振りなど、出来るはずがなかった
「だめだよ…ハル 」
だからベッドの上、寝癖のまま、私は何かしらの行動を返そうと
より深く、知った二人の兄弟の過去に足を踏み入れる事にしたんだ
(もう、他人じゃないよね? )
新しい出航の朝に、美弦の携帯の中に残された受信・送信メールを、読み返す事を決めたんだ
ハルの言葉を振り切り、力の限りを振り絞り、その世界を覗いてみた
見れば、何かが変わる気がした
………
たった二秒と二三回の動作で、その隠され続けてきた扉は開いた
フォルダ内の一番下の季節は、まだ去年の冬だった
何気ない、どこにでもある短文が、いつくも平凡に続いていた
小さな返事や買い出し、夜ご飯や帰宅時間や、生活の空気があちこちから漂ってきた
ドラマのような奇跡も幻はないけど、ちゃんとありふれた幸せはあった
それが、ずっと続いていくはずだったのに…
悲しい結末の小説の最終ページだけを知り、読み進めている気分だった
…どんどん、あの日に近づいていく
そして、それはある時期と事件を境に
そんな当たり前の日常はプツリと消えていた
美弦からのメールが…途絶えた
‘あれさえ’なければ、こんなにまで灰色にくすんでしまう事はなかったに違いないのに
それ以降のメールは読むに耐えなかった
希望を探し続け、居場所をもがき
嘆き、悲しみ、苦しみ、…死に
殺意を抱くまでの経緯や
自演でしか居場所を求められない、痛々しい悲痛な術や
何度も何度も美弦を求めて泣きつく孤独な夜や
受信・送信、それぞれ四百件にも及んだ二人の感情を書き綴った肉筆のEメールは
つい最近まで近づき、代わりにウィッチが生まれ、フォルダを支配した
ハルは死んだ弟に成り済まし、懸命に…自分を壊さないように、最後まで独りぼっちのキャッチボールで前を向こうとしていたんだ
自転車の鍵をなくして一緒に探した事
牛乳と卵をスーパーで買ってきてほしいと頼んだ事
好きなドラマを録っておいてほしいとお願いした事
弟は身体の弱いハルの退院を心から待ち望んでいた事
ハルは…美弦の‘ハンバーグ’が、大好きだった事
あの日のハンバーグが、もう一度だけ一緒に食べたかった事
そんな当たり前な事を、望んだだけなんだよね、貴方は
紺野 春貴というただの男子高校生は、たったそれだけ望んでいただけなんだ
それなのに…ッ
最後、先ほど送られてきたメールまで到達すると、不意に涙がポロポロと溢れてきた
寝起きのベッドの上で、彼がしている事が間違いではない
むしろ正義なのではないかとさえ思えてしまった
気がつくと、ハル宛に返信メールをいくつも下書きしては、送信ボタンを押せずに送信待ち保存していた
今までの謝罪や、自分なりの励ましや
更には‘selling day’に入らないかなんて
内容をまとめられず、我に返ると、それは十件を越えていた
しかし結局、一つも送信することは出来なかった
だけど、私は大切な何かを知った
最後に、フォトフォルダ内に一枚だけ残された写真を見た
そこには、まるで別人のような屈託のない晴れ晴れとしたハルの笑顔と、女の子のような笑みを携帯に向ける、まだまだ幼い男の子の姿が
つい前の事のように、写し出されていた
朝七時だというのに、先ほどまで充電満タンだった弟の携帯のバッテリーは
二割ほども 消費していた
***
今日は、昨日までのまとわりつくほどの暑さも引き、まさに秋晴れの天気だった
薄いカーテンがなびき、眠気を誘う柔らかな朝日が窓辺に伸びている
物静かで穏やか、そんな陽気だった
そろそろ役目を終えた半袖はクローゼットにしまい、新しく長袖のブラウスに袖を通す
夜の冷気を含んだブラウスに腕を通すと、吸い付くようにひんやりとしていて気持ちいい
本当に実感する、入道雲と青春の季節は過ぎ去ってしまった事に
制服に身を包み、支度を済ませて、一階に下りる
洗面台の前に立ち、鏡を見ると、昨日生乾きのまま眠った髪が、まさに相応の結果を残してあちらこちらに手を伸ばして跳ねていた
(ぁー… 結局昨日あのまま寝ちゃったもんね )
直角に曲がり、はたまた巻かれた癖や、自分とは思えない大変ボッサボサな光景が目に飛び込んでくる
辺りに掛けていた大きめのタオルを取り、水道でじゃぶじゃぶ濡らして髪を濡らす
そのまま、濡れたタオルを絞って今度は台所に行き、レンジで二分温める
簡単に蒸しタオルが完成し、湯気を放つそれをまた髪に押し当てる
すると、あれほど頑固だった寝癖が抵抗を弱めてばっちり直る
あとはドライヤーで整え、ポニーテールに結いあげる
豆乳一杯に、適当なパンをかじって二階に戻る
編み戸からは少しだけ涼しい風が吹いていた
カバンの中に一応ベストもしまい、美弦の携帯も入れた
-時刻 7:45-
iPodのイヤホンを耳にはめ、私は家を出た
***
暑くもなく寒くもない
パトカーのサイレンもなければ、警察官もいない
過ごしやすい清々しい通学路だ
スズメが屋根の上でチュンチュン鳴いている
見上げると、薄い水色の空がそよ風を生み、見る角度によって形を変える雲がぼんやりと流れている
不規則に漏れる木漏れ日が髪にかかり、雑草も同じく頭を揺らしている
(秋だなぁ )
学校まで残り僅かの距離で、猫が家の塀の上であくびをしていた、釣られて私まであくびをする
正門が見えてくると、行き交うほとんどの生徒が長袖で、たまにカーディガンやベストを羽織っている生徒もいた
その景色に、ひよりの痛みが軽減される季節がきたんだと思えて、少しだけ嬉しくなった
気だるそうに歩く子、三人組で雑誌を読みながら向かう子
そんな中に混じって、私も正門をくぐろうとしたときだった
「ゆりーっ 」
遠くのほうから、私の名を呼ぶ声がした
その特徴的な高い声の主は
「むぎゅーっ」
私の背中を抱き枕のように勢い任せに抱きついてきた
「灯 おはよう …って、朝から重いよ」
体重をかけられ、半ばふらつきながら振りかえると
柔らかい癖っ毛が可愛い、我らが部活のリーダーがいた
「オハヨさー、はぁ、チャリないと大変さね 」
灯は今日は珍しく歩きだった、理由はもちろん知っている
「それよりも私は睡魔がすごい 」
「ふぁ~ 同じくぬ 」
くじらのように大きく口を開けて、灯が両目を指でこする
その灯も長袖で、腕に捲っていた
昨日の激闘がまるで夢だったのではないかと思うほど
灯も私も無防備に平和に、まったりしていた
そして、私達はいつも通り教室に向かった
***
チャイムが鳴り、長かった四時間目の授業が終わる
校内放送が流れ始め、生徒はそれぞれに移動を始める
教室や学食、部室や中庭など、廊下も賑やかな生徒の声でごった返す時間
今日は朝からひっきりなしに、ぽつりぽつりと生徒達の口から漏れる話題があった
大体は想像していたけれど、やはり昨日の駅前の事やウィッチの噂を話しているようだった
「だぁー 疲れたー 」
そんなことはお構い無しに、灯は机の上でナメクジのようにだらーんとへばっている
「ほらー 早く行かないとお昼休みなくなっちゃうよ 」
何度目のやりとりだろう、無理やり灯を机の上から剥がしてコンビニへ向かう
相変わらず、灯は我が校ワーストナンバーワンのパンを迷わず選び、今日は他にもカツサンドとエクレアまで買っていた
「そんなに食べるの?? 」
「いやー 昨日の朝からまともにご飯食べてないからお腹ん中空っぽなんさよ 」
髪をわしゃわしゃかきながら灯が困ったように言う
「それじゃあ いっぱい食べないとだね 拒食症になっちゃうよ」
「おう! 」
冗談で言ったのに、灯は眉を凛々しくさせて真面目に答えた
その顔が面白すぎて、思わず口の端から笑い声が漏れてしまった
私は、タマゴサンドとクリームパンを買った
本当は隣のワッフルも食べたかったけど、さすがに我慢だ
ワンピースの漫画を立ち読みしていた灯を引き離し、二人はコンビニから出た
四階の部室に走って向かうと、やっぱり扉の鍵は開いていて、ひよりが一番乗りでやってきていた
隅っこでイスに座ってラノベを読みながら、他の部員の到着を静かに待っていた
「こんにちは、ゆりちゃん、灯ちゃん 」
窓は全て開けられ、四つ囲むように据えられた机がきっちりと整頓されていた
「やっぱりひよりは早いね 」
パタンと本を閉じて、またふふっと優しい笑みを向けるひより
「有珠もすぐ来るだろうし、先に昼食べるのさー ついでにこれからの事も話し合わなきゃだし 」
灯が席に座り、コンビニの袋からパンや飲み物をごそごそ取り出している
「あれ? ひより?? 」
ふと、お弁当の蓋を開けるひよりの変化に気がついた
「はい?なんでしょうか? 」
「前髪… 切った? 」
「…! 」
ひよりがピクリと反応する
「ぇー?、切ったんさー?、どれどれー? …って、変わんなくねっ? 」
「いや、なんとなくなんだけど 」
灯がカツサンドを頬張りながら前かがみにひよりを凝視する
「ふふっ、バレてしまいました、さすがゆりちゃんですね 」
前髪とおでこを押さえて、ちょっぴり恥ずかしそうにひよりが言う
「本当に少しだけですが、こっそり切ってみました 」
「そっかぁ 」
何気ないそんな事も、それはひよりにとっては大きな努力と一歩であり、勇気ある変化に違いない
「ほにゃー、遅れたのですーっ 」
そのとき、両目をくしゃっとさせて有珠が部室に飛び込んできた
「ぉー 有珠ー 」
「有珠ちゃん、こんにちは 」
有珠ちゃんも長袖になっていて、誰より一番新鮮たった
もうそのスカートに足跡はない、上履きを隠される事もない、元気いっぱいの有珠だった
「あれ?珍しいね 有珠は今日はお弁当なの? 」
「ぁ、これは… ‘僕のお母さん’に作ってもらったのですよ 」
有珠が、真っ白な頬を染め上げて言った
「! そっか 作ってもらったんだ、良かったね 」
「はいなのですっ 」
その中の献立は、母親がまるで小学生の娘の為にはりきって作ってあげたような中身だった
タコさんウィンナーに、黄色い綺麗な卵焼き、ハムカツにきんぴらごぼう
ご飯には彩り豊かなふりかけまでかかっていた
それを有珠は本当に幸せそうに食べるのだった
本当に些細な変化かもしれない
でも私達は、確かに進んだように思えた
ひよりが前髪を何ミリや何センチか切っただけ
有珠がお弁当を持ってきて、たまに僕口調になっただけ
そんな小さな変化を、私達は昨日、死に物狂いで掴み取ったんだ
***
お昼休みも残り十分となり、四人は昼下がりの休憩を憩いの場で過ごしていた
校庭からはバレーボールをする生徒の声が聞こえる
「静かだね 」
「静かさねぇ 」
白いカーテンがパタパタとふんわりなびき、両側に流れる空色に乗って今日一番の眠気がやってくる
ひよりはまたラノベを読み始め、有珠は窓辺から街を見下ろしていた
私と灯は、部室の端っこの冷たい床に寝そべっていた
冷たくて気持ちよくて、夢見心地で、本当に眠ってしまいそうだ
そんな のどかな私達のお昼休みは
……唐突に
……終わりを告げた
――バチンッッ!!
それまで穏やかな音しか流れていなかった部室に、衝撃音がつんざく
「―っ!? 」
扉が、破れるほど大きな音で押し開かれたのだった
何事かと慌て、私達は跳ね起きると
その視界の先には――
‘奏’がいた
「か、か…なで? 」
目を疑った、いきなりの出来事に皆も目を丸くしていた
そう、引きこもりの、ジト目の、仏頂面の、あの双葉奏だ
同じ制服を着て、奏が学校の敷地内の、そこに立っていたのだ
「………逃げて… 」
不意に奏が何かを呟いた
「ぇ??…なんて? 」
その瞬間、肌がぞわっとした
今までの心地よい空気が凍りつく
(……まさか )
「皆 あれ見てッ!! 」
その脳裏をよぎった不安と同時に、外の景色を眺めていた有珠が悲鳴に近い声を張り上げた
「びっくりした、どうしたんさ有珠? 大声なんか出して…」
状況が理解出来ず、言葉の先に目を凝らして見ると
――パトカーだ
いや、他にも一台、黒い車が学校の前で止まっている
「ぇ……」
そこで、いくら私でも今の状況に気がついた
追い込まれた、この最悪の状況に、瞬きも忘れてスーッと血の気がひいていく
「…!…くそっ 」
その終末を見て、灯が堪らず顔を伏せ、唇をきつく噛んだ
「やはり…、昨日のアレが見つかってしまったんですね 」
今まさにパトカーからは二人の警察官が降り、黒い車からは背広を着た男の人が二人降りた
そして大の大人四人はそのまま校舎に向かい、遅遅とした足取りで歩いてくる
まったくダルそうなめんどくさそうな、大人にしか持ちえない冷淡な瞳をかざして
積み上げてきた希望をずかずかと書き換えに、迫ってくるんだ
標的は間違いなく
――私達
「……どうしよう… 」
「こっちに来ちゃうのです…! 」
有珠ちゃんが肌を大きく震わせて、目には涙を溜めている
終わり…絶望…破滅…退学
涙のような冷や汗のようなものを流しながら、私は一人パニックになった
いや、私だけじゃない、灯もひよりも有珠も
全員がどうすればいいのか分からなくなっていた
一人は眉を歪めて悔しがり、一人は静かに状況を見極めるように、一人は青ざめた表情で今にも潰れてしまいそうなほど強張り
滅びの瞬間が、足音を立てて秒単位で迫ってくる
もう……どうすることも
「――逃げて 」
(―ッ! )
そのときだった、負けに屈しようとした四人に言葉を放ったのは‘奏’だった
「逃げて……最後に何か一つ出来る事をして…」
二度目だ、奏は顔をあげて、射抜くような鋭い視線を私に向けた
(奏… )
「ここで…今この瞬間に捕まって…本当にいいの? 最後の抵抗は…必要ない?…」
それを始まりに、奏は持ち得た数少ない言葉を繋げて懸命に話した
「ずっとね…ボクはあそこに引きこもって、独りぼっちで……視線も合わせないよう、夜にだけ外に出て…」
「初めてだった……、こんなに人と深く関わりあったのは…」
「変わりたいと…強く思ったの…」
もうその制服に、以前のような汚れはない、ちゃんとした対等の制服を着た、一人の高校生が立っていた
「だから‘行ってくれ’…行って」
「最後に、なにか出来るひとつを成し遂げてきてよ…!」
拳を固く握りしめて、奏は本音を小さく叫んだ
「出来るだけ時間を稼ぐから、ここはボクに…任せて…」
そう言い終わると、奏は四人の前に鍵を差し出した
「…日だまり喫茶店の…」
コツンコツンと、冷たい足音が廊下から近づき、次第に大きくなっていく
今にも扉がぶち破られそうな恐怖が押し寄せる
黒いジト目に宿した強い眼差しを向け、灯が言葉以外の何かを授けられる
「……… 」
そして、答えを見出だした
「…皆、行こう、分かんないけど、ここで捕まっちゃ きっとだめだ 」
灯は‘逃亡’を選んだ
「…奏 後は頼んだぞ 」
「……コクリッ 」
リーダーの低い声の選択と共に、その手に託された鍵を受け取る
「皆 いくぞ!! 」
「はい いきましょう」
「ぐすっ……はい 」
黒板に築き上げてきた全てを消して
机の上のお昼ご飯もそのまま、カバンは教室に残されたまま
携帯電話とお財布だけ、あとはiPodくらいを所持して
上履きのまま、私達は非常口から逃げ出したのだった
「……奏 ありがとう」
去り際に、私はその背中に言った
「……こっちの…ほうこそ、もう一度、ここの舞台に立たせてくれて……ありがとう 」
とても囮役とは思えない柔らかな声を返して
古びた重い扉は…絶望の中に一人だけを取り残し、閉ざしたのだった
けれども不思議と、閉じる瞬間、中の引きこもり少女は笑っていた気がした
そして、指名手配犯の四人は
真昼の学校、五時間目のチャイムが鳴り響くその裏で、非常階段を全力で走り
裏門を抜け
――逃走したのだった