表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/74

第61話

夜明けに続く澄んだ夜空の元、街を見下ろす丘を四人のシルエットが並んで歩く


疲れきった身体に休息を渡すように、物音一つない深い夜は、しっとりと肌に呼吸を合わせるのだった


あれだけパトカーのうめき声を放っていた駅も、現在は表面的には静寂を取り戻しつつあるように見受られた


午前二時過ぎ、最後の夏の誘惑に、私達は昔のように滲み出る幸せを噛みしめながら帰り道を下った


***


月からの青白い光が開け放たれた道路に注ぐ

その横では不規則にわさわさと枝葉がなびき

今日一日の功績を褒め称えるように、桃の香りの夜風が袖口に吹き下ろす


身体がうずいて、汗まみれの肌に恐らく今年最後の、夏の衝動に似た感情が打ち寄せていた


「やっぱり奏にサンドイッチでも作ってもらえば良かったなー 」


少しだけゆったりな足音のオーケストラと共に、ふと灯の言葉が空腹音とセットで宙に流れる


「仕方ないですよ、深夜バスの時間がありますから 」


「しょぼーんだ 」

すっからかんのお腹を押さえて灯がうなだれる


「サンドイッチは無いですが、あめ玉ならあるですよー 」

ギターを背負う有珠が、すかさずカバンからごそごそと四つのあめ玉を取り出した


「おっ!、ラッキー あたしメロン味ー 」

言い終わる前に灯が手に取る


「有珠ちゃんありがとうございます、私はブドウ味をいただきますね 」

ひよりは礼儀正しく、了解を得て頂いた


(……… )

小さな手のひらに残った二つの味は

イチゴ味と、はっか味だった


私ははっかがドロップの中でも一番嫌いな味だ


「ゆりはどれにするにゃうー? 好きなほうをどうぞなのですー」


よどみのない眩しい笑顔で有珠が手を差し出す


「うん、ありがとう 」


だからね、私は‘はっか’を選んだ


***


「…なんかさぁ、こういうの 良くね?」

不意に、坂の中盤辺りで、灯が空をボーッと眺めながら呟いた


前では、少し坂の下で有珠がぴょんぴょこ跳ねて星を掴もうと奮闘している

その横にひよりが付き添い、くすりと笑っている


「そうだね、なんか…いい 」


何もかも忘れて、私も同じ星を見上げて無心になって口ずさんだ


まぶたを閉じると、少しだけ忘れていた眠気の心地よさがやってきて、秋の気配を含んだ外気がスカートの端を撫でた


ほんのり口の中で溶けたはっかの液体を、喉に飲み込んで味わう


喉がスースー爽やかになって、不思議なことに、今まで抱いてきた嫌いな味はどこにもなかった


絵の具に欲しいくらいの空の色と、喉の爽快さに、ほんのちょっぴり季節の終わりを含んだ笑みがこぼれた


スイミー作戦の帰り道とあめ玉のときとは違う

いい意味で、私達はこの一夏で生まれ変わり、成長して、大人に近づいた


左手首に包帯を巻いた栗色の髪の女子高生は、外側車線のガードレールから、背伸びをして街を見つめ


両手指が絆創膏だらけのカーディガンの根暗少女は、虫のささやく雑木林側で、ほのかに酸っぱい香りを愛おしむように吸い


ギターを背負う銀髪の小さな女の子は、地面の白線をまるで線路や綱渡りのように乗って、両手を横に広げて辿っていった


そしてどこにでもいる十五歳の高校生は、そんな右、左、中央の友達を一番後ろから眺め


前に広がる急坂の斜面と、その滑走路から伸びる壮大な夜空と、うっすらちりばめられた街の黄色い明かり

それら今日最後の絶景に


ポケットから取り出した携帯のカメラを向けて、静かにシャッターを切ったのだった


残りひとかけのあめ玉をゆっくり舐めて

それと同じくらいに味わう歩幅で、賑やかにオクターブを上げ


頬に熱気を溜めた四人は残り僅かに消えゆく夏を下った


私達はいろは坂を終え、平地に足をつけた

一度だけ丘へ振り返り、動作もなくお世話になった夏に別れを告げた


心なしか耳をすませば、揺れる翠色の丘から、ひときわ涼しいさようならを言ってもらえた気がした


私達はしゃきりと振り戻り、駅に視線を向けて、小さなロータリーへの帰路を目指した



‘まぐろ剣士’も無事に作戦完了


――さぁ、それぞれの憩いの場へ帰ろう


私達の故郷は、秋風は、もうすぐそこだ



***


すでに駅に警察官の姿はなく、警戒する必要もないほどに静まり返っていた


全てが鉄のように冷たく、不気味なほど殺伐と街の中心が眠っていた


まるで全てあった事を隠すかのように、闇に閉ざされた平常通りだった

空の広い深夜二時過ぎの駅、私達はバス停までの道のりを小走りで走っていった


肌触りのいい風を連れて、最終の深夜バスが駅のロータリーにやってくるのがすぐ先で見えた


バスのエンジン音が汽笛のように響き、ネコバスを思い出すランタンに似た橙色の灯りが

帰宅の帰路を連れてやってきていた


「はぁはぁ、ぁー 来ちゃったッ」

「ほらゆり、ダッシュっ 」


乗り遅れまいと、慌てて目の前の箱目指して両足のスピードを上げ、四人がバスに並ぶ


そして、扉が閉まるギリギリで、私は灯に手を引かれて乗り込んだ


「はぁはぁ、本当にギリギリだったね…っ 」


「一秒って大事さねー 」


バスの中には私達の他にサラリーマンらしき人が一人、見るからに残業終わりのくたくたで、濃緑色のネクタイは曲がっていた


その耳は白色のイヤホンで塞がれていて、カバンを持った逆の手にはコンビニ袋が握られていた


中には半額シールが二枚も貼りつけられたお弁当と、水滴たっぷりのビールが顔を覗かせている


他の乗客は一人、遊び帰りだろうか

日曜日の帰りにふさわしい格好の大学生のような女性が、一番前の席に眠たそうに座っていた

携帯だけは離すことなく、外を眺める視線は、ちょっとだけ満足げにも見えた


私達は一番後ろの横長の席に座り、ほとんど人のいない車内を独り占めにした


運転手さんから見て一番右端にギターを下ろして有珠

その横にカーディガン越しに指をさするひより

左にお腹を鳴らす灯

そして一番左端にポニテの私


ソファーのようにふかふかな席と、揺りかごに似たコトンコトンという振動に今にも眠ってしまいそうだ


「まだ花火大会の道のままなんですね 」

ひよりが外の景色を眺めながら言う


「にゃぁ、本当なのですー」


バスはいつもの進路とは大回りに、花火大会で歩行者天国のように規制された大通りを、迂回するような形で走っていった


なんだか道を一本避けて通っているだけなのに、いつもとは違う光景や光に新鮮でワクワクした


「はぁ なんか一気に眠気がきたさねー 」

と言いつつも、灯は一番大きな声を出して伸びをしていた


「ふふっ、私もくたくたです、早く帰ってシャワーを浴びたいです 」


「有珠はですね、帰ったら真っ先にロールケーキを食べる予定なのですよー 」

眉をキリッとさせて、得意気にこちらを向いて有珠が言う


「私は …私もシャワーかな 髪もべたべただし」

本当は美弦の携帯を確認しようと思っていた、けれど口にはしなかった


「てかさ!?、深夜のバス料金 高!? 」

灯が前に表情された料金表に驚く


「ふふっ、深夜バスは通常の倍ですからね、私達高校生にはちょっと痛手ですよね」

痛手と言いつつ、ひよりは嬉しい悲鳴にくすくす笑っていた


「ヤベー…ゆりちょっとだけ金貸してくんね? 現在笑えるくらい灯さんからっぽなんさけど」


お財布の中と睨めっこをして灯が漏らす


「そんなにないの? 」


「なはは、ちょっとさっき貯金全額使い果たしちゃって 」

その言い方では、まさに作戦で使ったと言っているようだった


ばか正直なハニカミ笑いが愛しくて、釣られて、笑顔と同じに小銭も私は灯と分けあった


尽きることのないくだらない話や他愛もない話題を次から次へ飛び交わせて、歌って

はた迷惑なほど、車内でだらだらと賑やかに甲高い声で四人は話した


それはまるで、どこにでもいる最近の女子高生達の姿だった


サラリーマンが降り、続いて前の女性も降りて、私達は本当の貸切状態になる


「ねぇ、灯? 」

並木道を抜け、もう口ずさむほど聞き慣れた車内アナウンスが流れたときだった


笑っていた私の横で、今日一番の頑張りを見せたリーダーは


「灯?? 」


ボロボロに汚れをまとって、クシも通らなさそうなほど髪をぐちゃぐちゃにして


「……スー…ッ、スー… 」

静かに寝息を立てて、眠っていたのだった


「…灯 」

長い長い一日、ずっと気を張っていたのがやっと解けたのだろうか

頭を私の肩に寄せて、灯は子どものような寝顔で幸せそうにぐっすりと眠っていた


「ふふっ、灯ちゃん 本当に今日はお疲れ様でしたからね 」

ひよりはそっと灯の癖っ髪を撫でた


「灯さん とってもかっこ良かったです 」


聖蹟桜ヶ丘女子高校前のバス停のアナウンスがかかった頃


ひよりが有珠になぜかガチャピンとムックの受け攻めについて話している隙に


「…お疲れ様 」

私は約束通り、静かに眠る彼女の頬にそっと‘キスをした’


体温のない冷たい唇にはそれは溶けてしまいそうなほど、彼女は今日一日分の熱い熱気を含ませていた


同時にバスが停車して、私の首に寝息を落としていた灯を起こした


「うぬぬ……ふぁぁ アレ…」

灯が瞳に開けて、涙をたっぷり浮かべた大きなあくびをする


「じゃあ、ひより、有珠、またね 」

バスのぐるるというエンジン音が私達を急がせる


「はい、お二人ともお気をつけて おやすみなさい 」


「ありがとうございました、また明日なのですー 」


「なんだ… 頬っぺが冷たい…」


「ッ!? ば、ばか 寝ぼけてないで早く降りるよ …ま、まったく 」

顔から火が出そうなほど恥ずかしくて、でも胸の奥がなんだかくすぐったくて、もじもじした気持ちになった


「ぅー?? 」

薄く開いた瞳をぱちくりさせて、何も知らず灯は首を傾げた


来たときとは逆に、私が寝起きの灯の手を引いて

私達は二人を残したバスから降りた

小銭が合わなくて二十円多めに支払ってしまったけれど、それさえ今日の私には幸せに感じた


扉がガチャリとアナログな音を鳴らして、バスは走っていった


ひよりも有珠も、あのバスとは家の方向は違うはずなのに

それでも、迷わず然も当たり前のように一緒に乗り込でくれた、その事が堪らず嬉しかった


今ごろ、二人はどんな話をして帰っているのだろうか


ライブかな、作戦かな、まだ受け攻めかな


朝に続く空を見上げて、そんなことを思い、私は灯に話しかけた




***


灯が意識をはっきり取り戻して、二人は鬱蒼とそびえ立つ学校の裏門に向かった


「人に見つからないかな? 」

夜陰に忍び込み、回りをキョロキョロと見回す


「大丈夫さよ、取って帰ってくるだけだし、ゆり 自分を信じるのさー 」


私は敷地内には入らず、タバコとコーヒーの臭いが漂ってきそうな辺りをじっと見張っていた


すると言葉通り、すぐに不法侵入の灯がベースを背負って戻り、そのまま門をよじ登る


ガチャガチャといびつな音を鳴らしながらなんとか脱出する


「だぁ、灯隊員、ただいま帰還したー 」

「おかえり 」


手の汚れをパンパン払いながら灯が言う


「さてと、んじゃあたしらも帰ろうさー 早くしないと朝になっちゃう 」


「うん  今日は…いや、もう昨日かな 本当にありがとう」


「ゆりのほうこそありがとな 」


まじまじと言われると少しだけ照れくさくて

でもそれだけで、自分の頑張りは価値のあるものになっていた


「じゃ、また 一眠りしたら 皆で会おうさー 」

四階の部室を指差して、灯はニッコリ笑って言った


正門前の道に戻り、私と灯は背中合わせで手を振って別れた


「おやすみー 」

「ぉー、おやすみー 」


その姿が闇に包まれるまで、私は右手を振り続けた


(ふぅ… )

何時間ぶりかに一人ぼっちになって、僅かに静かな寒気さと疲れがやってくる


少しずつ黒が薄くなるシンプルな空を見上げて、胸が落ち着きを戻す


(今ごろハルはどうしてるのかな… )

逃げて自首もしていないっていう事は、きっとまだ桐島さんを殺そうとしてるって事なんだよね


当事者でない私達が、また今日から作戦を始めていいのだろうか


言ってしまえば、自分達の欲の為に本当に行動していいのだろうか?


(…美弦 )

そんな道徳的リスクの問題と同時に、私の頭にはさっきの春貴の表情がよぎった


私の肩を斬り、見せた、心の怪物に蝕まれた泣き顔

アマリリスに斬られ、全ての真実を話していたときのひどくカラッポの顔だ


絶対にライブには行く、皆で決めた夢だから


だけど……


(……… )


そして、そんな去り際のことだった


「――ゆり! 」


一仕事終えたと、肩の力を抜いて家へ歩き出そうとした、そのとき


不意に背中に灯の叫び声がぶつかった


「ど、どうしたの? 」


顔は見えず、私も手探りで声を張る


「ゆりッ、自分の選択を信じろよ! 」


それは思わぬ発言だった


「な、なにが? 」


「まだ夢を叶えようと努力するんなら、ゆり危なっかしいからさ、あたしもちゃんと最後まで全力投球するから 」


言葉だけでは伝えようとしない、前に進もうとする強い感情がそこにはあった


「‘やめて’って言ってもやめねぇからさ!」


「だから、ゆりも‘自分を信じてくれ’」


(――ッ! )

わざわざそれを言うためだけに灯は引き返してきたのだった


「何が起きようと、誰が妨げようと、自分を信じろ」


真っ直ぐ真剣な眼差しで、迷う私の心情に灯は最後にガツンと言った


たったそれだけで、一秒も見逃せないもっと刺激的な世界やドラマが、私には待っている気がした


心なしか、その答えが、朝もやも漂い始めた空に今にもひらめきそうな気がした


「忘れんなよ、あたしらは世界一の馬鹿だ 」


きっぱり言い放ち、灯は最後に別れを告げた


さっきまでの苦くて重い静けさは色を変え、ホタルでも飛んでいそな綺麗な空気を髪に吸わせた


何度も言うけれど、解決策は分からない

だけど、初めて真実を明かした上で、選択できる対等の舞台に立ったと


今日にも、それを含めた夢の復興を、また部室で始めよう


そう前向きに思えば、自然と口元が緩んだ


道は、薄明かりが照らし始めていた



***


とんでもない大航海を成し遂げ、私は我が家に帰ってきた


ドアを開けた瞬間に、興奮に麻痺していた身体が床に沈み、気が抜けた安心感から節々が痛んだ


冷蔵庫の前でお茶を一杯らっぱ飲みして、すぐさまシャワーに向かう

ポニテの癖がばっちりついた髪を解いて、肌に張りついた制服を脱いだ


お湯半分少しだけ多めの水半分のシャワーを出して、待ちわびた頭皮に一気に冷たい刺激が降り注ぐ


大人が仕事終わりにビールを飲む感覚に近いのかな、なんて自分ながらに思っていた


なぜか今日だけは、いつもおにぃが使っている爽快マックスのメンズシャンプーを使いたくなった


真夏のぎとぎと油が溜まり、走り回った努力の証の汚れがみるみる綺麗になっていく


私は、人生最大の経験をした昨日に別れを告げた


ドライヤーは使わず、部屋に戻り

窓を編み戸にして、ベッドの上で水気たっぷりの涼しい風達に自然乾燥を委ねた


消えかけの月明かりがぼんやりと窓辺から斜めに差し込み、外の空気を鼻から深く吸った


(今日はゆっくり眠れそう )


まだシャワーを浴びているかのような、ぬるま湯にちゃぷちゃぷ浸かる感覚に目がとろんとしてきた


残りバッテリーひとかけの携帯を充電器に差し


最後に、美弦の携帯を眺めて今日一日の出来事を思い出しながら


寝癖がつくこともお構い無しにベッドに横たわった


長い長い一日に瞳を閉じて


とっても寂しかったその瞬間を、至福の時に変えて


私は―― 眠りについた



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ