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第60話

「おかえりなさい ゆりちゃん」


長い長い夜の後に来た幸せは、こんなにも正直に胸を癒した


「ひより… 」


たった何日ぶりなのに、その声は誰より優しく、物凄く久しぶりに感じて

でもその中で、確かに変わらないものはちゃんとあって


いつも部室に一番乗りで迎えてくれる、一生忘れられそうにない穏やかな包容がそこには待っていた


「ひより、本当に…‘諦めないでくれて’ありがとう…ッ 」


奥歯で涙を噛み込んで、けれど笑顔の両脇からは抑えきれずぽろぽろと滴がこぼれていた


私は、ひよりと再会した


カーディガンを着ていない、眼鏡も外したウィザードの姿のひよりが

カウンターの奥、奏がいつも籠もっていた場所でパソコンをいじっていたのだった


カウンターから出て、ひよりは私の前に立った


私は腕を伸ばそうとした、けれどひよりを抱きしめたりは出来ない

その事を思い出し、サッと…手を引っ込める


肌を合わせる事は出来ない少女なんだ


でも、それでも


(――ッ! )

ひよりは、私を抱きしめたんだ


きつくきつく、痛く抱きしめてくれたんだ


「ゆりちゃん、本当にお疲れ様でした、おかえりなさい 」


一秒でも深く、本当に久しぶりに触れた愛しい体温だった


「ひより……ッ 」

鼻水はしつこく唇を濡らして、まだ熱い頬の熱をひよりの胸に押しつけた


そして、ひよりは私に見せてくれた

携帯電話のアドレス帳にしっかりと刻まれた


その‘伊藤拓未’という名の、カルマへの勝利の証を――



もう一度だけ、言います


私は、ひよりと再会しました



***


「……おかえり…」

ボソッと、どこからともなく黒いオーラを纏った奏がお店の奥から顔を出した


「ただいま、奏も色々ありがとう 」

奏は瞳を泳がせて、感情のない顔でこくりと頷いた


仏頂面のこの子の引き立てのおかげで、実に私達は影で救われた


あの公園のベンチで、寄り添ってずっとずっと泣きながら食べたシナモンロールの味は今でも忘れない


そっと、私はカバンからウィッチコートを取り、差し出した


「ちゃんと、やり遂げたよ 」


あれからここまで頑張って、最後まで諦めなかったよ


そう、コートの上にしっかり添えた


奏はコートを両手で受け取り、薄い生地のそれを大事に大事に、胸に抱いた

少しだけ、ほんのちょっぴりだけ、視線をコートに落としていた口元が微笑んだ気がした


「ほんじゃ ゆりっ あたしは最後の後始末があるから 行ってくるさよ 」


「ぇ、後始末って? まだ何かあるの? 」


「おうっ、でも大丈夫さよ、すぐ帰ってくるからさ 」


そうニッコリ言い残し、灯はまた扉を開けて闇に舞い戻る


後には、あまりに灯らしくない無垢で楽しげな足音だけが、外から無防備に響いていた



***


ほどなくして、灯は言葉通りすぐに帰ってきた


一旦引いた汗をまたダラダラとまとわりつかせて、はにかみ笑いを浮かべてドアを開けた


「はぁ…はぁ はい、奏 」

磨り減った薄い底のローファーを鳴らして、そのまま奏の前へ歩き‘それ’を差し出す


ウィッチコートと


べたべたのガムテープ跡がついた‘携帯電話’だった


「…はぁはぁ アリガトな、こいつのおかげで、あたしらは舞台に立てた 」

フルマラソン後のような息の切らし方のまま、灯は感謝の表情を浮かべる


「………」

奏は黙り込んだまま、右手の中で汚れた携帯を満足げに握りしめていた



………


それから、三十分程の時間が経過した


ひよりはカーディガンと眼鏡を身につけ、パソコンをいじっている

灯はテーブル席に腰をどっぷり下ろして、私はカウンター席に座っていた


私達は、全員であと一人のメンバーを待ち続けていた


灯がじっとしている事に飽きたのか、ひよりにちょっかいを出しに近づいていく


ところが打って変わって、腕の怪我や指の傷が見つかったのか、逆に灯がひよりに捕獲される


姉キャラにスイッチが入ったのだろうか

ひよりは眉をキリッとさせて、逃げようとする灯に真剣に手当てをしてあげていた


それはまさに、私達のお姉ちゃんひよりと呼ぶにふさわしい光景で

それはまさに、久しぶりに見たお昼休みの光景だった


つい、傍観しながらニヤニヤしてしまう自分がいた


「………」

何か私に用があるのか、そんな私のすぐ隣で、奏が不機嫌そうにじっと立っていた


「……奏? 」

何か物思いにふける表情だった


「……ひより、凄かった 」

消え入るような声で、奏はひよりに視線を向けたまま言った


「まぁ、ひよりは変におせっかいだからね 」


「ううん…そうじゃなくて 」


「?? 」

笑う私の横で、奏は芯のある声色で否定した


「……さっきの…クラック、本当に貴女の為に必死だった 」


奏が言ったのは、ウィザードの三分半の事だった


「…痙って傷だらけの指先で、痛くて曲げるのも打つのもやっとで辛いはずなのに…ずっとずっと言ってた‘もう二度と、絶対に私は仲間を見捨てない! 裏切らない!’って……何度も 」


その言葉に合わせてひよりの指をに視線を移すと

両手の親指と小指の以外の指に、いくつもの絆創膏が貼られていた


「そうだったんだ、あのひよりが 」


痛々しい傷、でもそれは不思議と、私の胸をさするようにじーんと癒した


そんな事は微塵も感じさせず、当の本人はいつも通りに、ぼろぼろの灯の世話をしているのだった



――ガチャッ!


そして、そのとき、待望の瞬間がやってきた


やっとだ、待ちに待った私達の最後の仲間が、勢いよく扉を押し開いたのだった


最後まで仲間を守りきった小さな女の子


私達は、有珠と再会した



***


「ただいまなのですーっ 」


小さな身体を目一杯に開いて、どこかの誰かが言った通りの言葉を店内に咲かせた


‘有珠ちゃん’は生還した


「有珠ちゃん、おかえりなさい 」

細いまつ毛をほころばせて、ひよりが微笑む


「おかえりさー 」

少しからかうような口調で灯が続く


「おかえりなさい 有珠ちゃ…、ううん、有珠 」


今は有珠ちゃんの姿だ、けれども、前とは決定的にその内側は‘僕’に変わっていたから、私はそう呼んだ


有珠はギターケースとカバンを背負って、とびっきり嬉しそうに頬をうす桃色に染め上げていた


ビー玉のように青く透き通った瞳には、歓喜の涙を浮かべていた


「有珠、頑張りましたっ 」

えへへと白い歯を覗かせて、それを見て私達も安堵の笑みをこぼす


「ぁ、灯さん、ごめんなさい ゆりがピンチでついとっさだったので あのヘリコプター墜落させちゃったのです… 」

途端に子猫のように眉尻を垂らして有珠が縮こまる


「しゃーないしゃーない 何はともあれ有珠はゆりを守って こうして皆が無事に再会したんだから それで全てさよ 」


少しだけ申し訳なさそうに、有珠は灯に頭を撫でられながらアリス服だけを返した


(あれ? そういえば奏は? )

有珠が帰ってきたというのに、奏は店の奥に籠ったままだった


「とにかくです、三人ともこんな場所で立っていないで座りましょうか 」

ひよりの言葉により、ドアの前ではしゃいでいた私達はテーブル席に座った


そしてその丁度だった、奏が店の奥からやってきた


その無表情の手の内にはおぼんが乗せられていた


そしてその上には


メロンソーダ、紅茶、アイスコーヒー、苺ミルク、が入った入れ物


「ぁ… 」

それは、私達が初めてこの日だまり喫茶店にやってきてそれぞれが頼んだ飲み物だった


(奏…ずっと裏で )

覚えててくれた優しさ、作ってくれていた優しさに


喉を浸した紅茶が、更に奥の場所にまでじんわりと染み込んだ


「……おごり…だから 」

感情の乏しい奏は、奏なりの祝福をしてくれていたのだった


「ぷはーっ からっからの喉に炭酸が染みるぜー 」

仕事終わりのビールの如く、灯がメロンゾーダを一気に飲み干す


ひよりは一口一口大切そうに、有珠は両手で持って幸せそうに


一日分の疲労に乾杯した


「……お腹、減ったなら、ハンバーグか…サンドイッチなら…作れる 」

おぼんを手に持ったまま、私達四人に向かって奏が呟いた


「あたしらはもう帰るから大丈夫さよ 明日学校だし、ありがとうさよー 」


その返答に奏が黙って、そのままカウンターの奥に戻ろうしたときだった


灯がもう一度口を開いた


「奏、それよりお願いがあるんさけど 」


「……なに 」

ピタッと足を止め、小さく振り向く


「ゆりのアマリリス、今夜だけでいいから置かしてくんない? あと外にあるパンクしたチャリンコも 」


「えっ? 灯? 」

いきなりの予想外で、思わず隣の私が声を出してしまった


「……どうして 」

奏は冷静に、灯に理由を聞いた


「駅前じゃ今ごろ警察がわんさかいるしさ、何よりあたしら皆ボロボロで、帰りはバスだから 」


先程までとは変わり、真剣な話し声だった


「そうですね、私も灯ちゃんの考えには賛成です、これ以上、ゆりちゃんが無用心に今夜これを持ち出す事は出来れば避けるべきです 」


シリアスな顔色で、ひよりも続けて念を押した


「…… 」

少しだけ意味深に考えて


「………うむ 」

奏は、頭を縦に振った



「ありがとさー 」


何度目か分からない感謝の言葉が店内に発せられた後

今度はこちらにぐるりと灯が顔を向けた


「ところで ゆり君 マジで傷口大丈夫さ?? 」

バッサリ話題を変えて、がりごり氷を噛みながら灯が私に振る


「傷を負ってたですかっ!? 」

有珠が大きな目をぱちくりさせてオーバーリアクションで驚く


「ぁ、えと、傷…は 」

今ごろ人に言われて私は無痛の右肩に目をやる

案の定、ブラウスはすっぱり切れていた


しかし、そこから覗く地肌には血の痕どころか、肉をえぐられた傷口の痕すら出来てはいなかった


「……傷が、ない 」


「は? 傷がないって?、どういうことだよゆり? 」


「本当にウィッチに刺されたのでしょうか?? 」


「刺された…刺されたよ、だけど 」

私は言葉を濁して、アマリリスの入ったギターケースを手元に寄せ、ファスナーを開けた


とっさに、整理のつかないこんがらがった言葉ではなく、この場で実践したほうが早いと思ったから


「多分これが、ウィッチと同じこの刀の… 」


そして―― 皆が見る前で、先程と同じように指先を切って見せた


「な、何してるですかっ 」

有珠があわあわと声を震わせる


二人はじっと刃が裂く肌の先を見ていた


そこはやはり、痛みはあるものの、回復以前に傷など出来てはいなかった


「……どういう事だ ゆり 」



「実はね―― 」


そこで、私は三人に事の真相を話した


重量ゼロの他に、新たに発覚した低体温者と魚の刃の秘密を




***


「なるほど、そうだったんですか」

ひよりが怪訝と納得が入り交じったような表情をする


「にゃぅ…、ちょっと怖いのです 」


「やっぱし 得体の知れない物さね 他にもなんかあるかもだし 」


灯がアマリリスに慎重な眼差しを向けて、ぽつりと呟く



………


そしてそれ以降は、灯がひよりと有珠に、駅前の三分半で起こった‘ウィッチの真実’を語った


紺野春貴、紺野美弦、桐島逸希


この三者の関係、ウィッチの目的と理由、私達が目撃した全て


それから、私が持つ美弦の携帯電話の事も、包み隠さず全部だ


まだ何も終わっていない事に、二人共ひどく困惑していた


まだ何も…解決などしていない実態


それどころか、この街に複雑にうごめく現実を突きつけられてしまった


私達とウィッチは所詮他人で、蚊帳の外の女子高生四人

むやみに首を突っ込んでも、恐らくは邪魔者か無意味になるだけだった


残り二週間で何をすればいいのかも、どうすればいいのかも分からない


けれども今は、今だけは、この打ち上げのような酔い心地のノリで、具体策や解決策も話さないまま、私達はこの話題を洗い流したのだった


解決はしていない、しかし巻き戻ったわけでも、失敗でもないのだから


私達は今日、確かに進んだのだから


最高の策士に、無敵のクラッカー、道化師のギタリスト、まぐろの大刀使い


また次も、そこにBUMP OF CHICKENの音色を共有して、導き出した策で戦えばいいんだ



***


その後、アマリリスは奏の制服が大量にしわれた、あの薄暗い小さな部屋に一時的に隠される事になった


三畳ほどの狭い部屋の中央に、横たわるようにしてまぐろの大刀は隠蔽された


「そろそろ出ないと、深夜バスがなくなってしまいますよ? 」


ひよりの声を合図に、携帯の時刻を確認すると、すでに深夜二時前を指していた


「じゃあ、今日はそろそろお開きにしますかね 皆本当にお疲れ様でしたっ」

灯は両腕をうーんと伸ばして、今日一日分の言葉で締めくくった


「お疲れ様なのですー 」

有珠がビシッと敬礼のポーズを取る


「奏ー、じゃあ またな アリガトな」


「奏ちゃん、おやすみなさい 」


「おやすみなさいなのですー 」


「………コクリッ 」


「奏、またね おやすみ 」


「………また 」


‘また’奏との再会を約束して、私達四人は日だまり喫茶店の扉を開けた


敵だらけの帰り道に飛び出し、駅を目指して進んだ



背に佇む町外れの喫茶店は、手を振るように、そっといつまでもオレンジ色の明かりを灯しているのだった



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