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第59話

ハルの胸にざっくりとアマリリスを斬りつけ、その衝撃でハルは横に弾き飛ばされた


電柱横の建物のシャッターに背を打ち付け、そのまま身を地面にずるずると落としていく


足をだらんと伸ばして座り込み

シャッターに完全にもたれて、頭と首だけがこつりと前へ垂れ下がっていた


「…お前だったんだな、美弦の携帯の拾い主 」

生傷に痛む身体を置いて、ハルは俯いたまま、どこか安心したように静かに微笑んだ


「教えてくれませんか、貴方のウィッチになった理由と訳 」


「…まぁ、約束だしな… 」

ウィッチは何か意味ありげな間を入れ、そして決心したように口を開いた


「じゃあ、言われた通り、話すよ…美弦と俺とウィッチの事 」


屍にも似た通り魔の少年は、それからフードを捲って顔を晒した


目の下にはくっきりの隈、やつれた真っ黒の瞳に青白く血色の悪い肌、バッツリ雑に切られた前髪


オッドアイや赤茶の髪やピアス、そんな特異なものは何もない


どこにでもいる、至って普通の男子だった


そしてハルは、然も他人事のように、この街の真実を語り始めた


カルマの止んだ駅前からは、パトカーのサイレンが掻き鳴り、響いていた


***


それから、私は知った


一年前の日に同じ海で自殺により溺れ死に、同じ病院にいた事


同学年で、聖蹟桜ヶ丘男子校の生徒だという事


魚の武器の名は、メリッサ、メルトであるという事


そしてその全ての始まり、弟が目の前で轢き殺された事も


その犯人や加害者が今まで通り魔という名で斬ってきた人物であり

更には、それが桐島逸希であるという事


悪…などではなかった

敵などではなかった


彼が一番の被害者だった、それはそれはもう元の形を失うほどの、被害者だった


本当は、暴いた後に言うつもりだった

警察に自首して下さい

私達をライブに行かせて下さい

ついでにこの体温が治る方法があれば教えて下さい


……無理だ、そんな事、言えるはずがない

彼が覗かせた痛みは、大切な人を失った悲しみは


病弱な、どこにだっている高校生男子を通り魔にさえさせてしまったカルマは


とてつもなく大きく深く、そして複雑に絡み合っていた


言葉を失った、呆然と立ち尽くしてしまった


この状況で、私は適切な言葉や行動を何ひとつとして見つけられなかった


ただ唯一、深く被っていたフードを捲り、私は顔をウィッチの前に見せた


「…私が、出来ることは―― 」


不意に、どこから口走って漏れてしまった軽はずみの偽善発言は


――バチンッ!


丁度生き返った、膨大な光にかき消された


ウィザードの限界時間だった

街は人工色を取り戻し、徐々に静寂が去っていく

長時間の闇に慣れた瞳には、それはひどく眩しかった


灯と揃って駅のほうを見つめ、目を細めているときだった


………


ふと、見直したシャッターの前には


……跡形もなく、もうハルの姿はなくなっていた


私達の二週間追ってきた作戦の幕引きは

あまりにも残酷な真実であり、現実を痛感したものだった



終わりが、新たな旅路の始まりを告げた



***


「しゃーない、しおどきさね 」


突っかかりは残るものの、仕方なく、灯のその一言により私達は作戦を終了した


警察官や通行人に見つかる前に駅を脱出する


辺りに放置されていたギターケースを拾い上げ、中にアマリリスをしまう


人を斬ったにもかかわらず、アマリリスの刀身は使用前と変わらず、血の汚れひとつなく純銀色に輝いていた


刺された肩は、先程までの激痛は消え、右手も動かせるようになっていた


それはまるで、元から傷などなかったかのように


思えば、アマリリスの最後の一撃も、ウィッチは血の一滴も服から滲ませてはいなかった


(……… )

まさかそんな訳があるかと思い、アマリリスの刃に、半信半疑で恐る恐る人差し指をあてがう


(痛…… )

すっぱり切れる感触はあった


(…やっぱりなんだ )

けれど、そこに切り傷などは出来ていなかった


他人は斬れるのに、低体温者同士、魚の刃同士、またその使い手本人に傷を負わす事は出来ない


使い手にのみ重量が無になる事以外に、私はその凶器の性質を知った


「ゆりっ、早く乗れー 」


ウィッチコートを脱いだ灯が自転車を起こし、小声で叫ぶ


困惑していた頭がその一声でピクリと現実に戻り

慌ててコートを脱ぐ、アマリリスをケースに押し込み、斜めがけに肩に背負った


来たときと同じように、私は自転車の荷台に跨がった


灯は、今から駅向こうの日だまり喫茶店を目指すのに、大通りを突っ切るのは無理と考え


行きと同じく、大外の川沿いから旋回して行くルートで、自転車はコインパーキングから来た道へ走り出した



***


止まれの標識を無視して、電柱の脇を抜け、自販機を横切る


濃い木々の香りたっぷりの小道トンネルを抜けて、川沿いの遊歩道にばっと飛び出すと


「わぁ……! 」


世界は二人だけのものになった


遮る物は何もない、空一面の大スクリーンに悠々と星空がさらけ出た


「すごいよ灯!、すごい…キレイ 」

「やべー、めっちゃ目が浄化されそうさーっ 」


五感が刺激されて、胸が高鳴った

灯は自転車の前輪に付いているランプを消した


空は川の両端まで横たわり、柔らかく深い瑠璃色の空が折折に幻想的な色を漂わせていた


近くて遠いそれに、走りながら私はぶらんと頭を後ろに反らして眺めた


ご褒美とばかりに心地いい瞬きををして、吸い込まれそうな頭上の世界にたそがれる


道の脇に生えた若葉は、自転車の走った後に瑞々しく揺れて、ポニーテールに結わえた髪が涼風になびく

頬は水を含んだように気持ちよかった


翼を広げるように、そんな帰り道を自転車は軽やかに走っていった


(そういえば携帯、返し損ねちゃったな )

ふと、夢見心地でポケットの重みを感じた


このままではライブには行けない、警察との問題も進展なく残ったままなのは分かっている

ハルと桐島さんの問題だって新たに出てきた


けど今だけは、とりあえず私のカルマとの戦いが無事に終わった事

ややこしい事は全て忘れて、この余韻と感動に、幸福のラッシュに浸っていよう



「ゆり、右肩大丈夫さ? 血は出てないっぽいけど 」

鼻歌まじりに灯が聞いた


「うん、大丈夫、もう全然動かせるよ ほら」

そして、私は荷台からお尻を上げ、ピョンと立ってみせた


両足で車体を挟み、灯の肩に手を添えて、そのまま土の香りを含んだ風を全身に浴びた


「ぁ、ごめんっ、というより全然灯のほうが 」

車体が少し揺れて、立った今更ながらに灯の重傷さに気がつく


「あたしは大丈夫さよ、平気平気 」


「なんかさ、やりきった興奮に麻痺してんのかな、今はどこも痛くないんさよ、むしろ有り余るほど元気、きっと明日やばいタイプさね コレは」


嬉しそうに、灯は言った

後ろ姿からは、灯が笑うたびに頬っぺが横にぷくりと見えた


そのまま、私は灯が漕ぐ後ろで立ったまま、久しぶりに他愛もない話をした


自転車は意味もなくスピードが上がっていった


なんとなく、少しだけ空に手を伸ばして近づけてみる

すると、右手はまるで引かれるようにして夏の空気の溶けていくのだった


河辺からは、流れていく柔らかい水のせせらぎが、頬の酔いを冷ました



「ねぇ ゆり? 」

ふと、灯が前を向いたまま尋ねる

「なにー? 」

気まぐれに、さらりと腕に当たる細い髪が気持ちいい


「あの携帯、てかメールもだけど、どこで知り合ってたんさ? 」


問い詰めるのではなく、気の緩んだいつもの口調で灯は言った


「えっと、言えなかったじゃなくて、それどころじゃくてっていうか、なんていうか、本当にがむしゃらですっかり忘れてて ごめん」


謝罪も込めて私は言って、続けた


「この携帯はね、前に皆で駅に行ったときの帰りだよ ほら、私と肩をぶつけた人の、その落とし物だったんだよ 」


「へぇ、あれかー、まさかそれがウィッチだったとはぬー 宿命的出会い感じるな、…にしてもこの街 やっぱし狭い 」


今となれば先に言うべき事だったに違いない

けれど方法はどうあれ、試行錯誤を繰り返して得た確かな結果に、灯も大満足していた


「だねー、偶然にしてはすごいね 」

二人一緒に素直に笑って、広い広い夜空に楽しげな声をたくさん並べた


「まったく、でも言ってくれたらいくらでももっと簡単な作戦思いついたのにさー 」


「忘れてて、ごめん 」


「ゆりはいつもそうやって全部抱え込んじゃうんさから 」


「ごめん、でも、灯ほどじゃないと思うな 」

赤く腫れた左腕に視線を向ける


「むー、一日ここまで頑張ったリーダーにそれを言うかっ 」


「嘘嘘っ 本当に感謝してる、感謝しきれないほど灯にも感謝してるよ 」


「むーっだ 」

いじけたように灯が頬っぺたを膨らませる


「ねぇ、灯 」

立ったまま、少しだけ灯の耳に顔を近づけて


「んー?? 」

ほっとする小さな声で、言った


「‘お疲れ様’」


それは心の底から出た、ありがとうより強い親友宛ての気持ちだった


「…なんか、ズルい、上から目線だし 」

照れ隠しのように、灯がまたいじける


「えーっ 何が」


「なぁ、ゆりー? 」

そのまま灯は優しく言った


「?なに? 」


「‘お疲れ様’」

振り向いて、にんまり笑って、お返しばかりな微笑みを浮かべた


「うん、ありがとう 」

だから、私もまた笑った


「皆待ってる、早く帰ろうさー 」


「うん 」

それを合図に、また自転車が嬉しそうにジャリジャリと鳴いた


それはまるで部活終わりの高校生のように

戦い抜いた戦士の帰還のように


お腹を空かした子どものように


夜空を彩って、響いていた



***


「ぁーぁ、そろそろだと思ったけど、ついにか… 」


灯がため息混じりの声を漏らす


川沿いを曲がり、踏む切りを越え

いろは坂への入り口に差しかかった辺りで、私達は立ち止まった


その原因は、ここ最近無理をさせた自転車の前輪が、ついに役目を果たしてパンクをしてしまったからだった


「まぁ、こいつには今日は特に頑張ってもらったからな 」


灯はそっと、潰れてへたれたタイヤを撫でた


「でも、どっちにしても押して上らなきゃいけないんだから 不幸中の幸いだったかもね 」


「そうさねー 」


私達はそれさえも前向きの材料にして、自転車から下りて、今日一番の働きをしたそれを交代で押した


深夜一時、坂道に車の姿はなく、澄んだ空と相まって、端から端まで余白いっぱいの貸切だった


名誉の証とばかりにゴムの擦れる音と、空気が抜けて車輪が一周回るごとに剥き出しで地面に当たる虫ゴムの部分が

コツンと音を鳴らして、僅かに車体を上に揺らし、リズムを刻んだ


いろは坂にいつものような疲労感はなく、ワクワクした新鮮な解放感が満ちていた


奏との思い入れのある公園が近づき、右側には騒がしい駅前の全容が見えてくる


そこは、星を見守る丘とはまるで別世界に思えた


嘘で固められた黒い城が崩され、パトカーが怒り

ただ事ではないと、人が騒いでるのが遠くからでも分かった



「有珠、大丈夫かな? 」


「大丈夫さよ、あの子は強いし、きっとすぐに‘ただいまなのですー’とか言って帰ってくるはずさよ 」


ちょっとだけ小バカにした笑い声と一緒に

どこからか、甘いスイカの香りがした


「うん、そうだね‘有珠’だもんね 」


私が灯と代わり、自転車を押すと


灯は蛇行して好き放題に坂を走った

うっすら見えた二の腕の日焼けの跡に、たまらず努力賞を送ってあげたくなる


灯は先に公園までの坂を上りきり、得意げに立って、馬鹿みたいに手を振ってはしゃいだ


「ほら、もう少しさよーっ 」


「はぁ…はぁ、これでも一応、肩を刺された人間のはずなんだけどな、私」


「着いたら氷ぎんぎんのメロンソーダおごってあげるから、ゆりファイトーっ 」


カラッカラの喉に音を鳴らして炭酸を飲む想像をして、最後の夏とばかりに汗びたで走った



それから坂を外れ、脇道を抜ける


街灯もない物騒な夜道を行き、不安定な砂利道を進む


そして徐々に、日だまり喫茶店の優しいオレンジ色が見えてきた


その上は相変わらずの星空だ


それだけ、たったそれだけの事なのに


本当に久しぶりな気持ちで、私は涙ぐむほどの幸せを感じた


暑い暑い夢を終えて、ぼろぼろになって、私と灯は帰ってきた


重い重い扉を開いて、やっと、言えたんだ


「ひより、奏、」



「――‘ただいま’」




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