第57話
――‘三分半’
ひよりが灯との通話で話していたクラックの限界時間
そして、カルマが終わる所用時間、それが約三分半だ
皆が身を削って託してくれた、皆の想いが詰まった、このかけがえのない‘三分半’以内で
私は、ウィッチに一撃を与える
背に受けていた駅からの白い光も今は消え、隠れていた夜空の広大さに街が溺れる
闇の隙間からは、ウィッチの細い呼吸だけが溶けて聞こえてくる
何がどうなっているのか
いきなり自分と同じような黒ずくめの二人組に邪魔をされ
かと思えば、街からは明かりが消え、突如として爆音が鳴り響く
態度に示さなくとも、その浅い息が、平静を失った通り魔の動揺を表していた
(………)
背負っていたギターケースを下ろし、身の丈ほどもある大刀を抜き出す
夜の中でも、咲き誇ったように、アマリリスがおもてをあげる
「なんだよ…それ… なんで…! 」
あり得ない存在を前に、ウィッチの言葉が揺らいだ
「貴方だけじゃないんですよ、一度死んで、こんな化け物を手にしてしまったのは 」
重さゼロの刃を月明かりにかざし、私は口にする
「………」
ウィッチは何も言うことなく、しかし逃げるわけでもない
沈黙し、佇んでいる
こいつを殺すか殺さないか
まるでそう考えているようで、…ぞっとした
「一つ 教えてください 」
虫一匹たりとも通さない張り詰めた空気が、重苦しく私の喉を締め付ける
「もし、私が貴方に傷をつけられたら、貴方の正体と、どうしてこんな事をしたのかを、教えてください 」
謎だらけの連続通り魔犯を前に、強張った声で私は条件を突き出した
「……何者なんだよ…お前ら 」
疑問ではなく、怒りの矛先として呟いた
そんな条件は、ウィッチからすればどうでもよかったに違いない
「―っ!? 」
なぜなら目の前で、私へ向けられた剥き出しの殺意が
今にも飛びかかってきそうなほど、恐ろしく本気の‘姿勢’を作り出していた
――ギチッ…
ウィッチが凶器を強く握りしめ、私の胸めがけて構える
「………ドクンッ」
‘死’に直結した恐怖を突きつけられ、たちまち爪先から頭までを包み込む
アマリリスを握る右手がピリピリと痺れて、足の感覚を失う
無言で、コツコツとコンクリートに足音を響かせて、ウィッチは私との間合いを詰めていく
(違うだろ 今更何を恐れるッ もう負けられないんだぞッ )
そのとき、頭上にはラジコンヘリコプターが見えた
(…有珠、背中は任せたからね )
余計な明かりを消し、夜光だけが騎士の星を静かに反射させ、エールを送り続けている
(ひより、もう少しだけこの子を‘暗がり’に照して )
カルマの激しく贅沢な、溢れんばかりのエレキギターの爆発音が耳で跳ねて暴れまわっている
(灯、ちゃんと届いてるよ )
リスクまでも共有する、頼もしい仲間達のフェイクのおかげで
警察官がこちらに来る気配はない
気がつくと、桐島逸希のGPS付きの車はなくなっていた
「…スゥー 」
お腹いっぱい夜更けの香りを吸い込む
そうだ、怯むことなどない
嘘じゃない、ついに私達はここまできたんだ
ここが、私達の夢の着地点だ!
正真正銘、一騎討ち、猟奇的通り魔と刃を交えるとき
この街の謎を抱え持つウィッチを、今こそ、私とアマリリスで引きずり下ろすときなんだ!
(ひより、有珠、奏、灯… )
アマリリスをきつく握り締め、凛とした決意で迎え撃つ
―勝てる、勝てる、勝てる!!
背伸びをして、世界最高峰の主題歌を背に浴びて、私は得意気にスタンバイする
(皆、ちゃんとやってる? )
そして――、ついに
(私は、めちゃくちゃバッチリやれそうだよ )
夏のほころびを含んだ真夜中
出会った同類は、己の企みの為、真正面の敵を討つ
魚の形をした痛みの塊が、鉄の打ち合う音を鳴らして、激しくぶつかり合う
***
『ガラス玉‘ひとつ’落とされた 追いかけて もう‘ひとつ’落っこちた 』
「はぁはぁ… 」
どこで、俺はこんな結末を辿っちまったんだ
なんで、俺は…こんな奴と戦ってんだろう
ここは、地獄だ
『ひとつ分の陽だまりに‘ひとつ’だけ残ってる 』
(美弦…ごめんな、兄ちゃん…だめだったよ…っ )
兄ちゃん、殺し損ねちまった
『心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る 』
『奪われない様に 守り続けてる 』
目の前のこいつを殺したって、何も変わりやしない
いつからだったんだ、計画的に仕組まれた罠だったんだろうか
きっと一人二人じゃない
(畜生…お前らは、一体何者なんだっ )
『汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた… 』
俺はただ……弟の仇討ちをしようとしただけなんだ
通り魔なんかじゃ、ないんだよ…ッ
被害者なんだよ…ッ
自分の心さえ養えない人間なのに
それなのに、誰が俺を責められるっていうんだよ
『記憶を疑う為に 記憶に疑われている 』
静寂を切り裂いて、尚も巨大な凶器が俺に降り注ぐ
だから、俺も仕方なく悲痛の刃を振り下ろす
『必ず‘僕らは出会うだろう’ 同じ‘鼓動の音’を目印にしてッ!! 』
「――ああぁぁッ!」
「――くそあぁぁッ!」
――ガシャンッ!、ギチッ…
皮肉にも巡り合った人種は、闇の底で、同種の武器で共食いの如く斬り合う
風を切り、馬鹿でかい刃が幾度も的を狙ってくる
そのたびにお互いの武器は悲鳴をあげ、握る手のひらに振動を伝える
「はぁ…ッ 」
振り回すのは小さな身なりの黒コートだ、声や体型からして女
それも俺くらいの世代の女子だ
『ここに居るよッ! いつだって呼んでるからぁぁッ 』
『くたびれた‘理由’が重なって揺れるとき 』
(…くそっ )
他人に見つかった…終わった
でもやっぱり、まだ敵討ちは断ち切れそうにない
だって…憎しみも無しに、弟を殺した人間と和解なんかできるか?
俺は……無理だ
潰れるほど、まぶたの裏に居座っちまってるんだ
擦り傷じゃ、ないんだよ
『生まれた意味を知る 』
誰か、この救難信号に気づいてくれよ
何度も何度も、叫んでるじゃねぇか
本当は、本当はさ…誰より優しかった俺なんだ
楽しいことも、夢も何もかも抜け落ちて、空っぽになって
色々失って、人を殺そうとしてるだけなんだ
『‘存在’が続く限り 仕方ないから場所を取る 』
両手に携えるメリッサ、メルトをもう一度、肌に食い込むほど握りしめる
『‘ひとつ’分の陽だまりに‘ふたつ’はちょっと入れない 』
――ギリッ…
「はぁはぁ… 」
妬ましくてしょうがない
そういう、悪ふざけみたいな格好で、寄って集って人の痛みを邪魔することが
俺は許せない、見たくない
『ガラス玉ひとつ落とされた 落ちたとき何か弾き出した 奪い取った場所で 光を浴びた 』
気がつくと、だうだうと涙が溢れてこぼれ落ちていた
体温を無くした頬を伝って、顎からぽたぽたと滴り落ちていく
「…なんで、涙が出るんだ…コレ」
悲鳴に近い涙声もあげていた
たちまち、固くて冷たい地面が雫をすする
惨めだった、辛かった
…羨ましかった
…羨ましくて、しょうがなかった
俺は何にもない独りぼっちで、繋がりもない人間だ
なのに、なぜお前は
…一度死んだくせに、体温もないくせに、化け物を与えられたくせに
そんな生き生きと仲間とひた走っているんだッ
(だからさ…お前も…ついでに死んでくれよ…)
俺は、こいつを殺すと決めた
『数えた足跡など 気付けば数字でしか無い 』
『知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間 』