第55話
「‘皆 待ってるさよ’」
「皆って? どういう事? 」
その言葉に、思わず耳を疑った
更けこんだ暗闇の中、灯がさらっと突拍子もない言葉を放った
「ひより、有珠、それから奏もだ 」
「いや、だからなんで…、だって二人は…! 」
そうだ、二人は痛みによって散ったはずだ
今夜、カルマと向き合っていたはずなんだ
訳がわからず、一人取り乱したときだった
不規則に揺れる暗闇の先、灯がこちらを向いて
一歩引いたように、意味ありげに‘ニッコリと’笑っていた
「――ッ 」
その表情を見て、私は芯にグサリときた
(まさか…灯 )
私は、灯ならやりかねない‘大遅刻の理由’を静かに悟った
と同時に、月明かりに照らされ、初めて晒された目の前の人物の現状が、まさにそれを物語っていた
(……あかり )
灯は、布切れのようにボロボロだった
灯は、溝ネズミのようにぐちゃぐちゃだった
それなのに、私の前で、子どものような瞳で笑っていたんだ
「指、擦り傷だらけだよ? 左手も…腫れが」
弦楽器でしか出来ないような指の切り傷、左手首は痛々しく真っ赤に腫れていた
「転んだ」
灯は適当な返事をした
「髪、すごいぐしゃぐしゃだね 」
どれだけ全力疾走したらそうなるのか、髪はひどくはねてボサボサだった
「ちょっとな 」
また、生返事をした
「制服、泥だらけだよ…っ」
ブラウスはあちこち真っ黒に、部分的に擦れていた
「そうだな 」
そのやり取りだけで、今日一日、灯が何をしたのかは明白だった
「ねぇ、灯 あのね」
目の前の姿を見て、ありったけのサプライズを知って
言葉じゃ言い表せない感情が、小声で溢れた
「本当にね… ありがとうね…ッ 」
「おう 」
夏夜の解放感に流れた最後の返事だけは
なぜか深く小さく、そして何にも増して優しく、胸に染み込んだ
顔を髪で伏せ、声を震わす私に
リーダーは近づき、顔は合わせず、ただ私の髪をぐりぐりと撫でた
心なしか、身体中の傷達も誇らしげに笑っている気がした
「わりぃ、あたしさ、仲間外れ好きじゃないから」
「馬鹿だから、遅刻しちゃった」
***
灯は、とっくにもう戦ってきていたんだ
皆を繋ぎ会わせるという途方もない一か八かの戦いを、それもたった一人
ろくな時間さえ残されていない中
死に物狂いあがいて、こんな姿に成り果てて、ここまで紡いできてくれたんだ
「灯…… 」
そうして、この土壇場にきて、ついにシナリオがひっくり返った
全ての伏線が、歯車をがっちりと噛み合わせたんだ
病んでまで街を利用したクラッカー
大嘘の幼き仮面をつけた道化師
仲間の為なら満身創痍で爆走さえするリーダー
もしかしたら、本当に勝てるかもしれない
いや、勝てない理由が見つからない
(やっぱり、灯の優しさには敵わないな )
***
「時間がないから、手短に説明するさよ 最後の作戦‘まぐろ剣士’」
文化祭のようなワクワクしたノリで、灯は今晩の作戦の趣旨、そして二人が待っている事を息継ぎなしで話した
灯は実に見事な大胆不敵な計画を企ていた
その大層なもくろみは、夏の香りと共に私の鼓動にまで反映させた
「ぉ、そういやリリスも、ちゃんと持ってきてくれたんだなー 」
にっこり笑って、灯はリリスの入ったギターケースをポンポン叩いた
「誰にも見つからないように運ぶの、大変だったんだからね 」
油断すると、また涙が目の端から溢れてきそうで、そんなことを言って私ははぐらかした
「ぉー アリガトな 」
「あっ、そうだ! 」
すると、灯はひらめいたようにカバンから何かを取り出し、まぐろの入ったケースのファスナーを開けた
「灯?? 」
背を向け、何をしているか分からない
けれど、どうやらリリスに何かを書いているようだった
「ほら、お前の新しい名前だ 」
灯がリリスの前から離れる
「アマ…リリス? 」
-Ama.Lilys-
バーコード文字の隣に、そう黒ペンで三文字が書き足されていた
「アマリリス、ラテン語で‘騎士の星’、ギリシャ語でなら‘輝かしい’って意味があるんさよ」
「輝かしい…騎士の星」
「受け売りのうろ覚え、多分綴りも違うけどな」
照れ隠しのように灯は髪をいじりながら笑った
「ううん、ありがとう …なんかすごくいい 」
ただの凶器だった化け物が、そのたった手作りの三文字のおかげで
皆との夢が詰まった、希望の結晶に生まれ変わった気がした
「かましてこいよ、ゆりが、ゆりだけが振り下ろせる‘一撃を’ 」
そんないかにも臭い台詞も、今の私には込み上げるものに変わった
「それから、はい 」
月夜の教室、灯は私に差し出した
「なに?服? コート? 」
渡されたビニールの中には、真っ黒の、まるでハリーポッターに登場するようなフード付きのコートが入っていた
「奏から託された、ウィッチコートなのさー それ羽織って」
かなり薄い生地で作られているのか、制服の上に着こんでもそれほど暑くなく、サラサラと軽く動きやすかった
それを考えて選んでくれたのか、感情の乏しい奏なりの優しさが愛おしかった
丈は足元まであり、まさに二人の女子高生は魔女の姿に変貌した
「なんか秘密の悪役みたいだね 」
「人を斬りに行くんだから、街からしたら悪役だけどな 」
新たな名を宿した‘騎士の星’が入ったソフトギターケースを斜め掛けに背負い、紺野美弦の携帯もポケットにしまう
ぺったんこのカバンも肩にかけ
準備万端だ
すると、灯はおもむろにポケットから携帯を取り出した
「何してるの? 」
「ほら、さっき言ってたGPSで、車の駐車場を特定するんさよ 」
そう言うと、アプリを開き、手慣れた手つきで操作していく
「…きた 」
数秒経った後、灯は得意気にニヤリッと不敵な笑みを浮かべた
そしてそのまま、携帯はポケットにしまわず、今度は耳に押し当てた
静寂に、着信音が漏れてきた
誰かに電話をかけているようだった
「ぉっ、ハロハローひよりー 日だまり喫茶店には間に合ったさ? 今ゆりを拾ったから もうそろそろ始めるぞ 」
「GPSそっちにメールで送るけど、準備大丈夫? 」
「はい、任せてください、いつでも大丈夫ですよ、三分半くらいまでなら街を堕とせます 」
久しぶりに聞こえたひよりの声だ
裏切り者と自身を罵って散ったメールの面影などなく
ウィザードが、笑みを浮かべていた
通話が終わり、一息入れずまた別の着信音が響く
「有珠ー 今から駅前行くから始めるぞ ラジコンの使い方、作戦手順は大丈夫かー? 」
「場所送るから、しっかりゆりを守るんさよ」
「了解なのですっ ハリウッド並みに小学生になりきっちゃうのです 必ず、ゆりさんを死守してみせるのですー」
懐かしい、有珠の幼い声だ
もうあの日の屋上のような声はしない
スイミーが、頼もしい声を張り上げていた
それだけで心が満たされて、思わず両足が衝動的にうずいた
そうして私は、皆が繋いでくれた‘タスキ’を
今、アンカーとして引き継いだんだ
全ての支度を終え、灯はフライング気味に先に扉を開けようとしていた
「ぁ、 灯ちょっと待って! 」
「ぬー?? 」
私は慌てて、とっさに机の上に昨日から置き去りの灯のヘッドホンを手に取った
「えっと…その、はい 」
そのまま、足先だけ背伸びをして、フードを被る前の灯の後ろ髪に手を回した
ふんわり柔らかい栗色癖っ毛の首元に、白いヘッドホンが添えられる
「ありがとう ゆり 」
特に意味はなかった
けれども、その行為のおかげで、私達の散ったカルマはすっかり消化されていた
いつもの灯が戻って、嬉しくて、堪らず頬が染まった
私達は、部室を飛び出した
***
十二時過ぎ、水を得た魚のように、二人は剥き出しの階段を四階から飛び降りていった
ジェット機のようなスピードに身を乗せて、競うように二段飛ばしで下っていく
「はぁ…ッ はぁ…ッ 」
だだっ広い濃紺は洗い立てのように晴れ渡り
密度の濃い夏の空気が宙にひしめく
吹き飛ばす衝動を抜群に含んだ空気をたっぷりと吸い込み
余計な感情だけを汗と共に吐き出していく
ペチペチ当たる生ぬるい風の躍動感と、ローファーから伝わる着地の感触に速度を委ねた
「はぁ…はぁッ! 」
地上に到着すると、なぜか階段の脇に、ケースに入ったベースが立てかけられていた
「?ベース? 」
「ぁ、そのベース あたしのだから気にしないで 」
またニカッと笑って、灯は走りながら言った
なぜこんなところにベースがあるのか、その理由は聞かずとも分かった気がした
魔女達は裏門を余力たっぷりに飛び越え、真夜中の学校を抜け出す
人気など全くない狭い裏道、夏草の青々とした匂いと、活力を促進させる虫の音色
今にも懐かしいキンカンの匂いが漂ってきそうで、不思議なほど胸がウキウキと弾んだ
そしてそこには、見覚えのある自転車が一台横たわっていた
「うんしょっと! 」
それを灯が起こす
見ると、前輪の一部がひん曲がっていた
右のペダルにもひびが入っていた
「じゃあ ゆり 行くぞ?」
前カゴに二つのカバンを押し込み、サドルに跨がり、両手でハンドルを握りしめて灯は言った
「手 痛くないの?」
「痛いに…決まってんじゃん けどさ、今更止める理由なんてなくね? 」
「だってさ‘ゴールが目の前に見えれば 走るでしょ?’」
でたらめに微笑んで、灯は髪を夜風になびかせた
「絶対誰にも見つからず、あいつの元まで運んでやるからさ 」
「やるぞ、最後の反撃の時間だ 」
落ちこぼれ達の快進撃は止まらない
テロリストにだって止められない欲望を、吹きこぼす勢いで風待ち空に放つ
‘この街の背景にうごめく怪奇事件の犯人を突き止める’
国家や警察まで相手取ったその企みは
どこにでもいる‘落ちこぼれ’の類い 夢や青春からは一番遠く離れた省られ者達の掲げた夢だった
・体育の授業はいつもぼっち
・家庭科の実習では気がつくとお尻は小麦粉まみれにされ
・昼休みは図書室の隅で逃げるように時間を潰す
・教室が苦しくてわざとギリギリで登校する
そんな奴らが、ひと夏のタイムリミット付きの夢を持った
長く険しい綱渡りの日々で何度も真実にぶつかり、壊された、離れた
やめようとなんて何回も思った
でもそのたびに、私達は痛みや能力を共有して困難を乗りきってきた
そして、遅咲きの二人の主人公は
――再び、スタートラインに立った