第53話
…………
花火が爆音を突きつけて、俺を滑稽にして笑う
たかが色のついた光のくせに、線香と大して変わりないくせに…
(うるせぇな…、煙いんだよ )
遮るように、カーテンをピシャリと閉める
もし美弦が生きてたら、どんな気持ちでこの窓から見れたのかな
屋台とか、美味しいものとか、いっぱい食べてたのかな…
今はどれも、俺には鉄の味くらいにしか感じれないんだよ
祭の人混みも、オレンジ色の明かりも、うっとうしい熱気も、苦痛にしかならないんだよ
「美弦…」
自分の今の哀れな姿と比較して、妬ましさにも似た苦い感情が胸に滲んだ
安いアパートの一室が無色に侵されていく
暑いだけの太陽が深い闇に塗りつぶされ、街が色を失う
***
あれから少し、衰弱したように俺は眠った
寝る前にはなかった僅かな首の痛さを覚えつつ、起きると、夕方窓から見えた駅前の花火大会は疾うに終わっていた
あれだけいた人も、今はまばらにしか歩いておらず、街はどこか不気味なまでに静まり返っていた
時計を見ると十時を過ぎていた
本当に静かだ、夕方の賑わいが嘘のように、殺気めいた無音だけが漂っている
……ありがたい
……今宵、全てを終わらせられる
独りぼっちの暗い部屋で立ち上がり、殺害の為の支度を始める
ピクニックのように嬉しくて、思わず口元だけが、別人のようにニヤけた
久しぶりに…笑った気がした
どす黒いローブコートを着込み、表情を隠すようにフードを深々と頭に被る
メリッサ、メルト、両刀の凶器に白い布をきつく巻きつけ、死体のように冷たい両手に固く握る
準備はたったそれだけだ
(そろそろ……殺しに行くか )
煙の香りがまだ僅かに残る月夜の晩、低体温者は二匹の悪魔と手を繋いだ
誰にも聞くことのできない悲しい悲鳴を呟いて
遺産の美弦の携帯もポケットの奥にしまう
「もう、ここにも帰ってこれないのかもな…」
玄関に立ち、振り返る
蛍光灯も点いていないぼろアパートをゆっくり右から左へ見渡す
「………行ってきます」
深夜十一時過ぎ、二回の瞬きをした後、俺はドアをゆっくり開けた
***
救いようのない何かが背中に渦巻く真夜中
誰にも見られないよう、焦げ臭い裏道を慎重に歩いていく
闇と同化し、気配を消す
それはまるで、名の通り‘魔女’のような振る舞いだった
「ァ………ッ 」
学校帰りに何度も調べた結果では、あの‘人殺し’は、いつも同じ駐車場を利用している
六台分のスペースがある、小さなパーキングだ
今回もきっとそこだろう
駅前の真ん前、大通りから川辺まで続く広い直線街道を進み
程無く歩いた突き当たりに、その小さなコインパーキングはある
人の足音もなく、前を横切る人影ももちろんなく
真後ろの駅前からの光を背に浴びて、その場所は俺は着いた
待ち構えた入り口には缶コーヒーの空き缶が無造作に置かれ
くすんだ駐車場内にあいつの黒い車はしっかりと残されていた
「………」
また、笑った
駐車場脇の電柱に身を潜め、俺は息を殺して待ち伏せた
***
六十分ドラマ一話分で解決できるような軽い悩みなんかじゃなかった
努力とか、前を向こうとか、弟の分も生きようとか…
そんな前向きな人間じゃなかった
痛みや後悔を伴わないと明日にすら進めない、そんなどうしようもない人間だ…
濁った目に殺意だけを浮かべ
絶やすことなくその瞬間まで膨らませてゆく
もう四人も斬りつけてんだ
今更、一人斬り殺すことに大げさな迷いなんかない、どうってことない
お前が悪いんだ…お前らが殺したから
だってそうだろ、忌々しい過去を植え付けたのは紛れもないお前ら四人なんだから
人をひとり殺してるような人間が、人並みの幸せを得れると思うなよ
俺だって、本当はお前らと同じ人殺しなんて事したくないよ
でも仕方ないだろ、目の前で弟をボロ雑巾のように轢き殺して
薄っぺらい手紙一枚だけ送りつけて、あたかもそれで終わったかのようにひょうひょうと生きてんだから
許せないんだよ…、どうして加害者が花火で娘と笑って
被害者はハンバーグ一つで泣いちまうような、こんな惨めな仕打ちしか与えられないんだよ
だからさ…、この行為自体が過ちだろうと、真実を知るたった一人の俺が
やらなくちゃいけないだ
こんな…醜い死体の身体のままでも、復讐に蝕まれても、人を斬りつけるだけの毎日でも、やるんだ
あんたらが蒔いた‘原因’だろ、俺はそれ相応の‘結果’を返すだけだ
えぐられたような胸の痛みの中で、喉が狭まり、息が細くなる
永遠とも思える静かな夜は
月明かりだけが、固いアスファルトに通り魔の影をゆらゆらと揺らしていた
何分、何十分とじっと辺りの様子を伺う
微動だにしない狂気の眼差しが増幅していく
ただ迫るその瞬間を、今か今かと待ち望んでいた
(今は何時ごろだろう… )
そろそろ十二時を過ぎたころだろうか
あいつがいつ帰って来てもおかしくない時間だ
「ァ……ァ… 」
思わず息を呑む
握る手のひらは汗で湿り、何度も握り直す
そして――
遂にその瞬間はやってきた
虫一匹の鳴き声も、風の匂いも辺りに消えた、そのときだった
不意に、目の前の駅のほうから、足音が迫ってきた
黒々とした闇の中で、それは規則的にコツコツとリズムを刻み
疲労感というよりは、楽しげとさえ思える憎たらしい音だった
俺は確信した…
それは徐々にこちらへと近づいてくる
乾いた空気が、緊迫の一秒が、ねちねちと俺の緊張を煽った…
今にも身を乗り出して噛みついてしまいそうだ
街からの逆光でまだ顔は見えない
お互いの距離が、残りほんの十メートル弱というところ
極限まで張り詰めた空気の中で、足音は大きく、人影は迫ってくる
六メートル……
五メートル…
四メートル…
(ドクン…ッ…ッ )
そして、対象物が目の前まで迫り、闇の中から顔を晒した
(……! )
間違いない、この闇夜でも見間違えない、あいつだ
(霧島…逸希! )
その瞬間、邪魔な外野には何も感じなくなった
地を踏む感触も、息苦しさも、背中の冷や汗も、握りすぎた手の内の痛みも
ただ敵意だけを宿した目が、コインパーキングに入る人物だけを睨み付け
剥き出しの殺意を荒々しく対象に突きつけた
ただ一点、憎しみの矛先を捉えて、入った後をつける
両刀に巻かれていた布がスルリと無抵抗に地へ落ちる
(……美弦の、美弦の仇だ…)
そして―――