表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/74

第51話

「はぁ…あぢぃー 」

喉元に唾を絡ませて、がらがら声で言う


現在あたしは、時計台の前に立つ、古い四階建てビルの前にいる


幸いにも今日は日曜日で、ビルに入っている企業の人が働いている様子は見受けられない


裏手に回り、日光に焼けた裏口の扉に手をかけると


(あいてる…?? )

鍵が、開いていた


どう侵入するか悩んでいただけに、あっさりと意図も簡単に開いた事に不安感を募らせながらも


あたしは中へ入った


潜り込み、低い姿勢で辺りを伺う、入り口のすぐ真横に階段を見つけた


(いや、階段は…さすがに無理だ )


そのまま台車を押して通過し、電気もついていない暗い廊下をこっそり進んでいると、ぽつりと、小さなエレベーターを見つけた


(誰も、いないよな )

鍵のこともあり、今このビル内に人の行き来がある可能性を考えれば、エレベーターを使うのはアウトだ、危険すぎる


(大丈夫、きっと大丈夫 )

根拠なんてなかった、足は震えていた

だけど、幾戦と戦い抜いてきた自信が、仲間と過ごしてきた日々が、汗ばんだ背中を強く強く後押ししていた


「……… 」

ゴクリと粘っこい唾を飲み、危険の連続に臆することなく、あたしは一歩を踏み出した


箱の中に他の人の姿はなく、冷暗なまでに殺気めいた空気だけが漂っていた

逃げることのできない緊迫した空間の中で、汗でしめった手のひらを握り、早く四階に着くことをだけを願った


駅のようなアナウンスや音もなく、エレベーターは無音で四階に着いた


扉がゆっくり開くと、そこは一階にも増して鬱蒼と暗い光景が広がっていた


フロアにテナントは入っておらず、床は埃とも汚れとも言えないモノで侵されていた


とても人が何かをするような場所ではない


(屋上を…探さないと )

怯むことなく、あたしは台車を押した


散策していると、どうやら屋上に通じる扉は、突き当たりの階段から通じる、通用口の扉だけのようだった


およそ十数歩ある段差には、鉄製の扉の小窓から微弱な陽光が注がれている


台車は階段の下に置いたまま、いったんあたしだけで屋上の通用口に近づいていく


(…! )

裏口も開いていたからどうかと思ったが、やっぱりだ

屋上の薄い扉にも鍵はされていなかった


…ガチャッ


ドアノブを右にひねり、勢いよく押し開く


埃臭い空間からやっと開放され、目の前には真っ青な空が眩しく輝いた


なんの変哲もない小さな屋上には自動販売機が一つだけ、もちろん人の姿などなく、他には何もない殺風景が広がっている


先にカバンとベースを野外に下ろし、日陰に置く

身体にまとわりつく汗を払い、あたしはしゃきしゃきと作業を始めた


外気を受けた階段に戻り、台車からアンプを持ち上げる


底に両手を当て、ふっと息を止め、渾身の力を振り絞り抱えあげる


優に四十キロ以上はある黒い塊を、まずは一段目に乗せる


「はぁ…はぁ 」

あまりの重量に手のひらは感覚を失い、膝が驚いてガクガクしていた


(いや、あと十回繰り返すだけだ、それで完了なんさから )


すぐ目の前の屋上への境界線を見上げ、焦げ臭さの先に広がる


あの青空を目指して――


あたしは作業を続けた



***


手は水気を失い、白いかさかさだらけになっていた


胸を押し付け、ブラウスに新しい汚れを作っては、またアンプを持ち上げる

そして、高い高い一段に下ろす


腰がやられそうだ、一歩進むにつれて痛みが全身を貫き、すでに疲労困憊の身体にその作業は拷問だった


開きっぱなしの扉からは真夏日が差し込み、たまに微風が吹き抜ける



(はぁ…はぁ はぁ)


それは、やっとあと三段で屋上というとこだった


中間を過ぎ、足元を見た、その一瞬の気の緩みが……惨事に繋がった


うっかり汗で片手を滑らせ、あたしの支えを除いて‘宙に浮いた’巨大なアンプが、崩れるようにガクンと落下しそうになった


(しま…ッ!! )


…気がついたときには、アンプだけは守ろうと、身体を張っていた


……その代わりに



――ごん……


階段には鈍い落下音が響いていた


あたしが、反動で階段の上から飛ばされていた

もうろうとした意識の中で、それに気がつくのは少し時間がかかった



(あれ……なにが… )


階段が傾いて見える、支えてたアンプがあんなに遠くに見えてる


(あれ…なんで )

左腕がじんじんする、痛いな


見ると、左腕がぐったり横たわった身体の下敷きになっていた

見るも無惨に痛々しく赤く腫れていた


(………そうか )


(あたしは )



……落ちたのか



バチンと叩きつけられた床の痛みが、徐々に顔や胸や足、全身に巡り始め、麻痺していく


視界が狭まり遠くなる


そこであたしは、一度意識を失った



***


それから意識を取り戻したのは、かなり時間が経ってからのことだった


すっかり空は茜色に染まり、駅前からは太鼓や笛の音が鳴り響いていた

ぼやけた意識の中でも、花火大会が始まっていることがはっきりとわかった


(はぁ ヤベー…ミスったさ )

不思議なことに、頭や足の痛みはそれほどなく、安心した


早くあげなくちゃ、そう気持ちを切り替えようとしたときだ


「いっ!? ぅ…痛った…! 」

思わず身体はうずくまり、ある一部分が致命傷を受けていたことを痛覚が叫んだ


‘左手首’だった


「……くそ 」

最悪だ…自分を殴りたくなった、何やらかしてんだ


「やら…ないと 」


身体をぐったり起こし、ゆっくり階段を上っていく

作業途中だったアンプに近づき、身体を必死に擦り付ける


なんとか、前へ上へ、上らせようとする


けれど……


「ぅっ…グスッ… 」

片手だけではあがるわけもなく、無力で惨めな自分の姿だけが、後ろに小さな影を作って震えていた


「皆ぁ…… 」

埃臭い段差にまたうずくまり、消えることなくズキンズキンと痛む左手首に涙を落とした


わからなかった、悔しくて情けなくて、悲しくて、申し訳なくて


「う…っ ひくっ…ぁッ 」

ただただ、涙をすすっていた


時間は刻々と進み、望んでいた未来が今にも破り去られようとしていた


「なんだよ…っ 動けよ畜生ッ! 痛みなんか…どうってことねぇだろうが…! 」


もう少し、もう少しなんだ!

あとたった数段なんだよ!


終わりたくない、終わりたくない…


皆で頑張ってきた、やっとここまできたのに……



――結局、何も変えることなんてできないのか……?


――何も変えられぬまま、終わるのか……?


限界が脳裏をよぎった そのときだ


涙で汚れた瞳を見開いた瞬間


‘何かが’視界に映った挫折を吹き消した


代わりに視界を占領したモノは

アンプでもなく、汚れた床でもなく、夕闇空などでもなく


――‘三人の友達だった’


ジャンプを楽しげに読む、ぶかぶかカーディガンを着込む根暗な女の子


お菓子を頬っぺいっぱいに頬張って、幸せそうににゃあにゃあ言う小さな銀髪の女の子


それから、いつも悩み事がありそうな顔もして、でもいつも素直な笑顔を見せてくれる

絶対に助けたい…絶対に果たしたいと思わせてくれた

大好きな、ポニーテールの女の子


「……ぐすっ 」


それはもう…いないけど、ここにはいないけどさ


今ごろ皆、自分のカルマと向き合っている、今の自分を変えようと逃げずに戦おうとしている


その中に、あたしもいる


あたしだって、変わらなくちゃダメなんだ


(変わらなくちゃ……ダメなんだぁっ! )


床に流れ落ちたものを見つめ、腐りかけの野心に呼びかける


気がつくと、そのときには、床を踏む感触さえ失った両足に力を込め、心許ない手のひらが、無言でアンプの底を押し上げていた


「はぁ…はぁ 」

足の裏にビリビリと響き、左手首の痛みが全身に張り裂けるような激痛を与えた


「はぁ…はぁ! 」

それでも、あたしは手を止めなかった

優に四十キロ以上ある塊を何度も落としかけても、何度も身体を踏みとどめて支えたんだ

ボロボロの身体を、絶対に止めなかったんだ


痛かった…、でも、恐らく本当の痛みなんてモノは、疾うに彼女達が奪ってくれたから


(この手で、夢を叶えるんだ…!)


今晩まで持てば、こんな身体は使い捨てになってもいい

それほどの強い意思だった



そしてようやく、第一段目から何時間もの戦いの末、あたしはそれを屋上の舞台へ のしあげた



***


台車を屋上へ持ってきて、アンプを乗せる

時計台側の端っこにそれを移動し、台車から下ろして作業を終える


「はぁ… はぁ… 」

崩れるように自動販売機の前に寝そべり、ほんの少しの休息をとる


外からはピーヒャラやらカンカンやら、騒がしい祭りの音が響いていた


少し立ち上がり、痛いほどに枯れた喉を癒すため、普段コンビニで買うより二十円高い三ツ矢サイダーを買う

ガコンと落ちたペットボトルを取り、だくだくと飲む


また寝そべり、何もない空を見上げると、近くて遠い夕空を濃紺色と茜色がくっきり染め分けていた

それはどこか贅沢にさえ思える景色で、あたしは無心で、吸い込まれそうになるほど見つめた


ふと足元を見ると、靴下の長さが違っていることに気がつく


(ぁ… )

いつの日か、こんなことをゆりに笑われたことを思い出した


呼吸のたびに響く左手首の痛みなど忘れ、あたしは一人笑われたようにクスクス笑った


右手にサイダーを握ったまま

目を閉じて、夜風に髪をなびかせ、夏の匂いを含んだ外気に浸った


***


すっかり街は日が暮れた


台車を持って屋上を出て、薄気味悪い階段を一階まで下り、外に出てみると

まだ花火も打ち上がってないのに、駅前はすでに夏夜の熱気に満ちていた


さっき見ていた屋台のおじさんも今は忙しそうに、熱い鉄板の上でせっせとフランクフルトを焼いていた

空にはおいしい香りをたっぷり含んだ白い煙りが立ち込めている


「…ひより 」

この人混みのどこかにいるであろう仲間の名前を呟き、あたしは残り僅かな仕事に向かった


駅ビルの中の楽器屋に台車を返した後、路地裏に止めていた自転車を引っ張り出して

また時計台前の古いビルに戻り、裏に止める

チャリの荷台にくくりつけていたコードリールを外し、右手に持つ


また四階までの階段を上り、屋上までの来た道を戻る


通用口を抜け、屋上に上がり、コードリールをアンプの後ろに置く


コードリールの延長コードをガラガラと回して伸ばしていく

そのまま自動販売機の横のコンセントに接続し、今度はアンプのコードをコードリールの内蔵コンセントに差し込む


脇にはベースを置き、カバンの中に入れていたケーブルやピックを出して確認する


「よし、大丈夫さね 」

間に合った、いつでも爆音ライブが可能な状態だ


(けど本当は こんな物は使わずに、あたしの出番なしに無事に終わることが一番いいんだけどな )


「…有珠 」

屋上の隅から見下ろして時計台へ向けて、あたしはまた無意識に仲間の名前を呟いていた



***


ビルを後にして、全ての荷物を使いきり、ほぼからっぽのカバンだけをカゴに入れ、最後の仕上げに向かう


‘ウィッチコート’を受け取るため、あたしは日だまり喫茶店へ自転車を飛ばした


片手放しで車輪を鳴らし、人の少ない裏道から駅前を抜ける


いろは坂だけは自転車から降り、左手首だけは守るように、肘で必死に押して上った


疲れきった身体にこの最後の難所は応えた

でも、どんなに痛くても、疲労感に苛まれても、ひどく汚れた姿でも

今のあたしは、生涯最高の瞬間を噛み締めていた


だってさ、あの日、ただの憧れで、理想くらいでしかなかった掲げた夢が、もうすぐそこで叶えられそうなんだ


結局最後は、なす術なく全員がカルマによってバラバラに散って、再起不能なくらい傷ついて

もう不可能なんだって…、一度は不条理な決定論をぶつけられた


あたしも一度は諦めた


最後の作戦、ウィッチを捕まえるためには、四人全員の能力が必ず欠かせなかったから


けどどうしても、残されたたった一日の希望を諦めなくなかった


だから、バラバラに散った皆のカルマを手助けする準備や、能力のピースを集結させる仕掛けや、ウィッチを捕まえる細工を、今日ずっと炎天下の下であがいてきた


その勝利方程式を辿る代償にこの程度のカルマなら、あたしにはぬるいくらいだ


なぁ…あたしのカルマよ


なんだか秒速で、今夜中にもお前を塗り潰してしまえそうなんさよ

あたしの探し求めた‘存在の証明’と‘青春論理’


あの子に頼まれたわけじゃない

ただあたしの自分勝手な、不器用な、唯一の欲だ

唯一の、誇れる小さな欲だ


‘ゆりの夢を必ず果たす’それがあたしの青春で手に入れた、欲だ


それがここまでなっても、大人、警察、ウィッチ、この街に挑み続ける

素手で他人の家の柵だってよじ登れる、あたしの存在だ


だからよ…カルマ


今日だけは、あたしに与えた痛みや苦痛を貸してくれよ


全てぶっつけだけど、この街に、勝たせてくれよ


どうしようもない落ちこぼれの四人の寄せ集め

そんな不幸なカルマからでしか得られなかった僅かな力

トラウマに近い能力を持った君たちにしか、この真実は突き止められない


代わりなんていないんだ

並外れた痛みを背負わされた人間にしか、そこまでして求める‘日常’の真価はわからない


此所が挫折をした、打ちのめされた人間にしかわからない、尚あがいたカルマの先だ


本当の終わりに必要なモノは きっともう揃ってる


ふと振りかえると、花火が聖蹟桜ヶ丘の夜空に打ち上がっているのが見えた


着々と、タイムリミットが迫っている事を知らせていた

それと同じに、二週間という痛みの物語に

前人未到のクライマックスが、もう間近に迫っているのを感じた



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ