第47話
あがけよッ!、あがけよッ!――
ソラの彼方から、決してコードなどでは表せない声を張り上げて
無言で、その轟音の塊は僕に訴えた
止めるな!、止めたら‘お前’は死ぬぞッ――
‘お前’のあらがう声を聞かせろよッ――
「ベーンッ! 」
そう言うように、懸命に身を乗り出して、へばりつくほどに、心折れかけた僕を助けようと揺さぶる音
指の皮を擦りむくほどに力強く、力強く、弾かれる太い弦の音
「…ッ…」
途切れることなく、何度もそれは続いた
(僕は…僕は…)
そして、逃げたい…と泣いていた僕は思い知る
負けとわかり、死に際に立たされた僕にだって、まだ‘死に方’ってものがあることを
ゆりを傷つけ、別れ、ここに立っている、その意味の代償にもがかなくちゃいけないことを
僕が生きる為の同等の意味を持ったこの路上ライブだ
――変わるんだろッ!!
(灯…ッ、ありがとう )
閉ざされ、すっかり荒れて汚された僕の心は、頼りなく震えた
鳴り止むことのない、影の優しさに満ちたベース音を抱いて、瞳には涙をたらふく浮かべ、泣きべそをかいた子どものような唇をひくつかせた
「……」
負けとわかっていても、縮こまって腐るには、まだまだ早すぎる
そして、いじめられっ子は
再び、再起する――
顔をあげ、乱れた銀色の髪を夜風になびかせ
ピックを握り直し、はみ出すくらいに強くフールのネックを握りしめる!
周囲は、あいつら三人を含め、いきなりソラから降り注いだ大音量のベース音に混乱していた
その隙をつき、譲れないこの歌を、僕はもう一度奏で始める
(変わる―…変わる! )
見せつけるように、右腕をソラへ高々と掲げ
救いのベース音に、返事を返す
そのまま腕は、垂直にフールへと豪快に落下する!
「ギャィィンッー!!」
低音と高音、二つの音はテトラゾラのメロディで並び、フールは強くしなやかに暴れた
***
「はぁ…はぁ…」
(くそ… )
その問題は、歌い直してすぐに気がついた
歌い手にとって一番大切なものが傷ついていた
闇にまとわれ、さっきの挫折と涙で、どうやら‘声’がやられた…
自分でさえ居心地が悪いほどに喉が枯れて、ニュアンスさえ不安定で、酷くがさつな声だった
(だめだ…全然、上手なんかじゃない )
でも、諦めたりはしない
もう諦めるか…一年間待ったチャンスなんだ!
それを最後まで出来なきゃ、投げ出すくらいなら、此所に立つ資格なんてない
助けてくれた灯のベース、頑張っている皆の背中、守ると誓った部室
悔しくて悔しくて、すり減った喉を震わした
死に損ないの渾身の力を振り絞って、前の観客に想いを叫んだ
カラオケ五時間後のような聞くに耐えない掠れ声が
汗まみれ、涙で薄汚れた顔から精一杯発せられる
もうだめなことはわかってた
でも、最後までちゃんと歌わなくちゃいけないと思った
こんなのは…初めてだ
何を発したって痛みに変わるだけだった声が、自分をこんなにボロボロにするまで叫び
絶えず偽り続けてきた、本当の僕の‘カタチ’を響かせて
ためらいもせず、真っ直ぐにガチンコでぶち当たっていたのは
完成度という言葉を使われたら、これ以上にないってくらいド下手な歌だ
だけどたぶん、僕の中では、これ以上にないってくらい、一番上手に歌えた歌だった
ひどく愚かで自虐的で、何を言っているのかもわからない
ノコギリのような音が、胸に溜め込んでいたモノを噴出させていた
歯を食いしばって、真正面から何べんも奴らに‘僕’を叫んだ
喉は熱を増し、酸素不足で痙攣しそうだった
空気でさえつっかえて痛い
だけど、最高に楽しくて幸せだった…っ!
どうか、この感情よ――
(――届けぇぇえ!! )
迷いのない、勢いだけのガラガラの声と、汗を含んだフールの音色で、最後の大サビを360度ぶっぱなした
生ぬるい風が漂う真夜中に、路上の解放感の中で、僕は喉を潰す勢いでそれを街中に訴えかけた
歌い続けることだけが、僕を生まれ変わらせる唯一の方法だから
汗は止まることなく吹き出し、瞳には涙を浮かべ、抑えきれず溢れていた
独りじゃ、どうやっても無理だったんだ…
ギターを持つことも、反抗することも、ましてや傷つくとわかっていて歌うことも
けれど今は違う、僕も皆も、それぞれの痛みに果敢に立ち向かっている
一人のソラで頑張っている、確かに支えて繋がっている
四つのソラで、仲間との生活で得た勝利の方程式を使い、あらがっている
そして、それぞれに抱えた痛みに、それぞれの描いた結末へ、向かおうと努力している
(Parce que, comme pour un, trois personnes sont seules pour trois personnes )
………
僕は‘テトラゾラ’を、最後まで歌いきった
僕は、僕を、取り戻した
「はぁ…はぁ 」
今にも腕がちぎれそうだ
潤んだ視界とふらつくまぶたのせいで前がよく見えない
あいつらは、まだいるだろうか
どんな反応をしているだろうか
今、目の前はどうなっているんだろう
…何も、反応がない
(やっぱり、誰もいないのか…)
たまらず不安がよぎった
(そりゃ…そうか…)
そう思った瞬間、不意に耳に、身を包むような音が浴びるようにして飛び込んできた
―パチパチパチッ!
「…?? 」
(なんだ…?、なんの音だ? 」
ハッとして気がつく
細めていた目を見開き、青い瞳でぐるりと見渡すと
「………」
数人並んでいた客が、拍手をしてくれていた
「…ぁ…」
言葉にならない喜びが溢れた
最後まで、聞いててくれていたんだ
瞳の奥の奥から、涙がスーッと滴り落ちた
認められた
僕が唄う歌が、認められた
どこからともなく湧き出たその最高の評価表現に身を預け、酔いしれた
(そうだ、あいつらは、どうなったんだ )
並ぶ人の肩の間を見ていくと、すぐに三人組を見つけた
ちゃんと、最後まで聞いていた
身を隠すくらいの最後尾で、ただじっと、こちらを向いていた
ニタニタ笑うこともなく、もちろん拍手もなく
あっけらかんとし、その反面、真剣な眼差しも向けていた
少なからず、何かを期待している顔だ
あと、一撃だ…、そう確信した
喉が最後まで持つかわからない
でも僕は最後に、どうしても此所でやりたかった歌を唄うことにした
此所でそれを歌い、僕を救い、今度はソラからも救ってくれた彼女へ
変われた僕から、僕へ向けた
そして、奴らへの勝利を目指して
僕の主題歌、一番の恩歌、生きた証
“sailing day”