第46話
お父さんのネクタイで死のうとした事もあった
浴槽の中で何十秒も息を止めて、でも結局苦しくて顔をあげちゃった事もあった
僕さ、この瞬間、いなくなったら…楽だろうなって
死んだら何もかも終われるんだなって、そう毎日思って生きてきた
寝る前は眠らないように、理由すらわからない涙をすすって
朝は起きないように、カラッポの胸で、風邪でも引いてないか落胆した
また…いじめがスタートする
学校に行っていじめられ、また家に帰るだけの日々
どうすることも出来なかった、従うしかなかった、終わることも出来なかった
けれど、今
それはチャンスになった、僕次第になった
守ること、倒すこと、傷つくことも、全ては僕の今夜にかかっているんだ
(フール? やれるよな?」
膝の上に乗せられたテレキャスターに問いかける
僕と武器、愚者と道化
スイミーは演じない、僕の姿と声、フールの音で、僕は勝つ
銀髪を認めてくれた皆がいる大切な部室も、偽りのない僕という存在も、守る
僕が僕である為に――
制服を着込み、空の学生カバンを手に取り、中にアンプを入れる
電池式のバッテリーで、野外でも多少の時間なら鳴らせるミニアンプ
ギターとお揃いの水色、四角いコンパクトなボックスタイプで、小さな楽曲屋さんで一目惚れして買ったものだ
音もそこそこ出るし、音質の荒らさも気にするほど問題はない
ついでに、一つしか持っていないエフェクター‘Over Drive’BOSS BD-2も入れる
手のひらサイズのレトロな形に青色のフォルム、ペダルを足で踏んでギターの音質を変える歪み系のタイプだ
昔どこかの雑誌でBUMPのボーカル・藤くんがこれを使っていることを知り
自分のギターとの相性や音の特徴も知らずに、夢中になって中古屋に買いに行ったことを覚えてる
フールの流れるような軽いチャキチャキ音さえも、ロックのように激しく歪ませ変貌させる
相性は良くはないけれど、弾き語りのロック曲でのインパクトには充分使える
愛用のピックとギターケーブル、そして、切り札のテトラゾラの楽譜も入れる
フールの弦も全て張り替え、水色のボディをクロスで丁寧に拭き、念入りに‘半音下げ’チューニングを調える
黒色のソフトケースにギターをしまい、背負う
一式を入れた重い学生カバンも肩にかける
MDプレイヤーのイヤホンを耳にはめ、テトラゾラをリピートで流す
――世界を変えてこよう
そう呟き、僕は家の扉を叩き開けた
生意気な両足が威勢よく戦場を目指し始める
高ぶる戦意と、打ちのめされる恐怖が子どもじみた瞳に入り交じる
僕より遥かに強いであろう奴らを叩きのめしてきてやろう
***
塗りたてのような黒い空に花火が打ち上がっている
華やく街の隅で、僕は陰に張りつくように密かに足を進めた
伸び伸びとした夏の香りを含んだ風が頬に当たる
解放間に溢れた生ぬるい外気に袖がなびいた
ギターを背負う背中はもう汗でびっしょりだ
星さえなく見上げたそんな僕の静かな夜に、臆する感情は徐々にほどかれていった
***
聖蹟桜ヶ丘駅に着いた
夜も更け、どこか不気味に待ち受けた駅前が、今日ばかりは圧倒的な威圧感を持って立ち塞がっていた
急に足が冷たくなり、すくむ…、緊張で喉に唾が張りついた
でもこのどこかに、あいつらも必ずいるんだ
もしかしたら、今日の僕の事なんか忘れてるかもしれない
どうでもいい暇潰しの一環に過ぎなかったのかもしれない
だとしても、それでも駅中に鳴らしてやれば、あいつらの耳にだって響くはずだ
いや、きっと響かせてみせる
馬鹿かな?、馬鹿だよな
駅を見ただけでビビるようなチビで弱虫の感情が、またそんなことを耳元で笑ってささやいている
(この舞台で、今夜全てを変えるんだっ )
だだっ広いに大空を見上げ、道化師は夢中で主人公の舞台を作り上げる
か細い足の震えは止み、スクランブル交差点を越えていく
大通りの花火大会はいつの間にか終わり、イベント後の駅前は熱気を帯びながらも、人はまばらになっていた
気にせず、お構いなしに通過し、目的地に足を進める
背後からは、京王線の電車が走る音がした
そしてやっと、僕は駅の中心に設置されている‘大きな時計台’の前にたどり着いた
ここが僕の戦いの舞台だ
周りをキョロキョロと見渡す
幸いにも警察官や警備の人の姿は見当たらない
僕は街のはじっこで、大袈裟に反抗の準備を始めた
すっかり静寂に沈む空にめがけて、持ち合わせた力の限りをかざす
ふとそのときだった、大学生だろうか、三人組の男の人達が何かを見ていた
いたずらに、驚いたように話し合っているのが映った
なんだろう?
そしてそれに、二秒とかからず僕は気がつくんだ
――ぁぁ、また僕か…
時計台の下、場違いの銀髪少女を、通行人は歩く速度を遅めて見ているんだ
皆が気がついている、晒し者になったこの不適応者が、何かをしようとしてることを
ピエロのように振る舞う、滑稽に笑う対象をだ
(……… )
僕はどうしてそこまでして、必死になっているんだろう
(……… )
たぶんそれは、小さな小さな僕にも、仲間という最強の存在が出来たからだ
きっと勝てると思わせてくれた、揺るぎない友達の存在だ
それがあるだけで、僕はあらがえる、あらがえるんだ
お前ら、今からすることはピエロじゃないぞ
世界一哀れな犯罪者の反抗歌だ
あの日‘此所で’僕を救ったベーシストへの感謝と、彼の宿した此所の力を借りるときだ
僕は、ギターケースをそっと肩から下ろした
ファスナーを開け、厨二くさい名前をつけられた僕の宝物を取り出す
フールにつけられた黒色のストラップを肩にかけ、学生カバンの中から一式を出し、セッティングする
ミニアンプを立て、エフェクターを右足付近に置く
ケーブルをギターに接続し、ピックを右手の親指と人差し指で握る
(大丈夫、きっとやれる )
また足が冷たくなってきた、異常なほど緊張もしている
けれど、思ったほど手は震えていない、足も怯えてはいない
アンプの電源スイッチを押し、ボリュームダイヤルを勢いよく一気に右に回す
すぐさま、アンプがジーッと小さなノイズをたてる
その音が割れる限界音量よりも、少しダイヤルを左に戻す
今の僕にはこの音でさえたまらなく心地よく、そして懐かしい
エフェクターをアンプに繋ぎ、三つ全てのツマミを真ん中十二時の向きに調整する
周りを見れば、ちらほら歩く人が、すでに訝しげな表情をこちらに向けていた
テトラゾラの楽譜を足元に広げ、準備万端だ
――フール、始めるよ
僕の歌を、僕達の歌を
***
「ギャィィンーッ! 」
その瞬間、時計台を背景に、クリーントーンの滑らかなメロディが、大音量で街の片隅に弾け飛んだ
思ったよりも大きな音がアンプから飛び出し、自分自身少し驚く
そして前の通行人の反応はそれ以上に、足は止めずとも、目をぱちくりさせて驚いていた
(大丈夫、いけるっ)
衝撃を与えたフールの第一声は、わんわんわん…とアンプの電子音をはもらせ
瞬く間に、なんの縛りもない澄みきった世界に、次の衝撃をギャインッと響かせた
錆び一つない張り替えたばかりのスチール弦が、灯された街の明かりを反射させる
待ちに待った音と歓喜に全身が痺れた
テトラゾラの伴奏を均等な音で奏で、六弦全てを右手で操り、左手でネックを握り、コードを正確に押さえる
すると、フールも嬉しそうに唸った
(ぁぁ、これだっ! )
この弾かれるピックの感触、指に食い込む弦のジンジンとした痛み、全てが懐かしく
そして間違いなく、それが‘僕’の正しい姿だった
伴奏が終わり、マイクもなしに、生声で歌詞を歌い始めると
人は正反対に更に冷めた視線を僕に向け、足を早めた
-テトラゾラ- の歌詞というのは
三人の痛みを持った友達が、ソラを通じて、落ちこぼれの‘一人’を救おうとするストーリー的なものだ
三人がサビ毎に交代で感情を言い、大サビで‘一人’を救い出す
テトラ(四人)ゾラ(の空)
灯の作ったこの歌には、その想いが大切に込められていた
僕は、唾を飛ばす勢いでそれを思いっきり歌った
フルスイングのごとく素早くピックを振り下ろし、弦を振るわせた
アンプからは、テレキャスター独特の電子音が誇らしげに響き渡る
溢れんばかりに胸が高鳴り、手応えを感じた
しかし…、眼差しは冷ややかなものだった
「うるせぇ…」
不意に誰かがぼやいた
「耳、痛…」
次は明らかに、僕にも聞こえるような捨て台詞を吐いた
気がつくと知らぬ間に、僕の回りは険悪な雰囲気に変わっていた
(頑張ろう、あいつらに絶対響かせるんだ! )
反抗して、また声を張り上げる
フールもそれに応え、負けじとアンプから音色を放出し続けた
だけど…僕の評価が変わることはなかった
あっていう間に、感じたことのない、尋常ではない圧迫感と悲壮感に苛まれた
雑踏や雑音に音が埋もれかけ、明確に、全ての人から‘不快’そう思われていた……
負けない、負けない!
潰されないよう、お腹の底から声をグッと押し出した
すーっと息を大きく吸い込み、雄叫びをあげた
まばらにだけど、数人は立ち止まってくれた
でもまるでそれは、見せ物に群がるような、へらへらと好奇の目で立ち止まっていただけに過ぎなかった…
嬉しい客ではなかった、死にかけの小さな昆虫を見るような目だ
他は相変わらず止まることなどなく、刃物で僕に一傷つけて通りすぎていくだけ
通話状態の携帯を耳にあて、僕のほうを見向きもせずに、うるさそうに人差し指で耳を塞いで通過するサラリーマンの姿も見えた
息継ぎさえ出来なくなってきた…
あきらかに僕を煙たがっているんだ
視界が、言葉が、突き刺さる
圧倒的な差で敵が増えていくのを感じた
全身全霊、なんとか必死にかき鳴らす僕は
次の瞬間、致命傷を受けた…
(…! )
立ち止まる人の間から三人組の女子高生の姿が見えた
花火の後の余韻をぶら下げて、浸っているようだった
そしてそれは、死にかけの僕を発見して迫ってくる
そこで、やっと僕は認識した
(あいつらだ… )
いじめられッ子がドラマチックに悪を倒す瞬間を、さげすむ視線でニタニタと笑ってやってきた
僕をいじめ…銀髪とけなし、教科書を捨て、上履きを隠し、部室の扉にペンキをぶちまけ
ゆり、灯、ひより、大切な皆がいる部活動自体もノリでぶっ潰そうと笑う
悪を悪だと開き直っているような、あの連中だ
「路上ライブとかさ…アコギにしてほしいよね、エレキで弾き語りとか、普通に迷惑だし」
「出来もしないくせに出しゃばるなよな」
「てか、アレ言ったことホントにやるとか、…かなり引く」
敵は言った、クスクス笑って、弄ぶような冗談を…僕の喉に投げつけた
僕を見て、どうせ出来ないんだろ?、そういう言い方だった
それだけじゃない
誰も、誰一人として、僕の歌を聞いてなどいなかった…
どれだけ必死に歌っても、ワンフレーズでも聞いてくれる人がいなきゃ
それはもう…歌なんかじゃない
始めとは違う、もうそこは、ただの公開処刑場に成り果てていた…
懸命に弦を押さえる指が…崩れ落ちそうになった
完治することのない肌の色の傷に、堪えきれず滴が落ちてきた
(そんなもんなんだ…僕の音って )
そうだよな…普通
こんな高校生一人が、こんなとこでギター鳴らして、何を思うよ?
雑音?、変人?、イタイ?、恥ずかしい?
……逃げたい
…逃げたい
声は完全にしぼみきっていた、ギターのメロディも聞こえないほどに篭り
意図も簡単にボリュームが下がっていった
瞳には敗北を浮かべ、失望に悔しく唇を震わせた
(……みんな…ごめん)
猫背に俯き、口を閉じようとした
指を止めようとした
(僕は…もう、…歌えそうに…」
――そのときだ、唐突に何かが鳴り響いたッ
「ベーンッ! 」
不意に、どこからともなく聞こえた‘ベース音’
(ぇ… ?)
それは時計台の前のビルのてっぺんからだった
聞き間違いなんかじゃない
(うそ… )
そしてその音は、あり得ないことを連動していたんだ
なぜなら、そのベース音は、この曲の‘作者’を除いて、初披露のテトラゾラのメロディを奏でていたのだから
そしてそれは紛れもなく、あの日此所で僕を助けた
ぶっとく力強いベース音を奏でていたのだから
逆境の変化を呼び覚ます巨大な音色が、頭上のソラから響いてきた