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第45話

「灯…ちゃん? 」

見上げると、そこには


――灯ちゃんが立っていた


鋭い目付きで、今にも消えかけの私を見下ろしていた


「何やってんだ こんなところで 」

打ちのめされた屍を見て、灯ちゃんは力強く言った


「…っっ、私は…」

負けた…だめだった、無理だった

そんな事言えない…


「電車、行っちゃうよ?」


見ると、急いで改札をくぐる人の姿が見えた


「………」

今の私じゃ、もう何も出来ないんです

触れもしない、キスどころか手も繋げない

よりを戻せても、今よりずっと遠くへ行ってしまう

‘当然の事’が出来ない恋愛


たとえ追いつけたって…


「いいのかよ、それで」

沸き立つ感情に満ちた眼差しが、私を捉える


「そんな、生半可な覚悟でゆりを置き去りにしたの? 」


「………」

何も、言い返せなかった

不甲斐ない、申し訳ない限りだった…


「追いついてやれよっ! ひよりは、本当にそれでやり終えたのかよ 一年間抱えてきたもんは、それが終わりなのかよッ」


「っ…ごめんなさい」

答えられず、惨めに俯いて、また涙で顔をぐしゃくじゃに濡らした


「もし今このまま帰ったらさ 相当ひより情けないよ? きっと、最低でもこの高校生の間はずっと情けないよ…」

けれど、灯ちゃんは断固として引かなかった


「こんな私じゃ…彼を追いかけても…」

嗚咽まじりに、私は彼女に醜い弱音を吐いた


「ぁぁ追いかけても、たぶん後悔するよ」


「………」

そうですよね、今さら…追いかけても


「‘けどさ…’」


「…ッ」

その瞬間、灯ちゃんは私にスレスレまで顔を近づけ

そして言い放った


「ずっとそこでうずくまって、一生惨めに後悔してるよりはいいだろ?」


「……ぅッ」


「もし、この為にひよりがゆりを置き去りにしたなんて言ったら あたしはひよりをひっぱたくよ?」

灯ちゃんは瞳を見開いて、視線を逸らすことなく、言った


「納得できないんさよ、突き抜けるまでやりきって後悔するならいい」


「けどさ!…‘好きなんだろ!’泣くほど後悔するほど、好きなんだろ!」

声を張り上げて、周りなど気にせず無我夢中に貫き通した


「…ッッ 」

ずっとしまい続けてきたその言葉に、私は無意識に、壊れてるほど頭を縦に振って頷いていた


好き、大好きです


でも…


こんな姿に成り果てた自分、お互いの距離、一年前の過去

数えきれない不安が、去年のトラウマと重なり巡って、足をすくませた


「好きなら…好きと! どんなに遠くに行っちゃうとしても、好きなら好きって言ってこいよ! 一年間悩んで悔やんだ 彼の為の‘大好きです’を叫んでこいよ!!」


お腹いっぱいに空気を吸い込んで、連呼し続ける言葉が眩しかった、必死だった


「後悔するのは…それからでも遅くないだろ! 」


「…グスッ 」

私は、なんでこんなに泣いているんだろう

嬉し涙?、解放感?…そんなはずない


そうだ、彼は最後に何を言いたかったのだろう

なんで、泣いていたのだろう


嬉し涙?、解放感?…そんなはずない


だとしたら、私は逃げの感情をまとっているだけじゃないのだろうか?


(……終わってない)


未だ沈む私を見て、灯ちゃんは聞かせるように静かに唇を動かした


「あたしもさ、先週そうだった… ゆりは同性で友達、一番近くにいながら分厚い壁が確かにあった、こんな気持ちは間違えで、ただ傷つけるだけ、迷惑、あたしはずっとそう思い続けてきた」


「けど、ひよりや有珠に色んな風に背中を押されて、ゆりに真っ正直から告白できた」


「あのときの後悔や勇気があって、何より仲間からのエールがあって本当に良かったって思ってる、あれがあって今の私がいる、今の自分に自信がついた」


呼吸を整え、身を乗り出し、もう一度灯ちゃんは私に叫んだ

今までの灯ちゃんとは真逆のような、むき出しの感情をぶつけてきた


「ひより! 追いかけなかったら 絶対ぜっったい!! 後悔する! ぜったい後悔するんだぞ? 」


「本当に好きなら 抱きしめれなくたって 追いかけるべきだろ! 」


「…ッ」


確信に近い、身体を貫く言葉

なんとしても引きずり起こそうとする、大口で唾も飛ばす発声



「一度でいいから!‘0か100だけの可能性で物事を考えてみろ!’」


「…!ッ 」

最後のその言葉に、私は胸の奥で何かが弾けた

頑固に錆びきっていたリミッターが、意図も簡単に外れた


震える唇を酸っぱくひきつらせて、グッと噛み込んだ

脈が沸騰するくらい早まっていった


そうですよね、今すべきことは後悔でも絶望でもない


もう、わかった、…わかっていた


涙なんて忘れよう


――解き放とう、終わらせよう



「私は、拓未が好きです 大好きなんです!」

言った、言ってしまった


ずっとトラウマに怖がっていた、ぶり返した傷に怯えて言えなかった言葉を、大声で叫んでしまった


気がつくと、私は立ち上がっていた

顔をあげ、裸の気持ちを荒く抱きしめ、雑音に近い撒き散らされていた不安や迷惑といった感情を脱ぎ捨てた


涙を拭い、冷たいホームを踏みしめる感触のない足に力を込めていた


このまま、逃げるように負けて、大切な拓未と別れるわけにはいかない


「私は、離れてもずっとずっと、前みたいに彼と一緒にいたい」

去年のお返しに、今度は私が彼を支えてあげたい


今日一日、ずっと彼の隣で隠していた、心から願った答えだった


「だったら、やるべきことは一つじゃん 」

灯ちゃんはニッコリと満面の笑みを浮かべ

込み上げた熱に、私も最後の涙を流して笑った


そして二人の少女は、行動に移した


‘拓未を追いかけよう’


奇跡なんて一瞬で起こしてやる


後悔や涙なんかは、その後でいい

終わってない、まだ遅くない、私ならできる


絶望の頂上から、私は自分に反抗した



プルルル…ッ――


――けれども、まさにその丁度だった


無情にも、ゲームオーバーを告げる発車ベルの音が響いたのだった…


電車の扉ががっちり閉まり遮断される音

新宿行き快速電車が、のっそりと、聖蹟桜ヶ丘の地を動き出したアナウンス


「ひより 行くぞ 」

「はい」


意図はわからなかった


けれども真っ先に、灯ちゃんは改札とは逆の方向に走り出した

つられて、私も足を振り上げた


駅を飛び出し、向かった先は、上ってきたエスカレーターだった


この時間は、上りとは逆に下りは人がほとんど乗っていなかった


二段三段飛ばして、跳ぶように走り抜ける

身体を縦にして、突っ立つ人をギリギリですり抜けていく


そして、エスカレーターを下りきると


そこには――


「自転車ですか? 」

灯ちゃんの自転車が止まっていた


「ひより 乗れ 」

答える間もなく荷台を叩いて灯ちゃんは言った


「はい 」

立たせていたスタンドを勢いよく足で蹴り、自転車は走る準備に構え、灯ちゃんがサドルにまたがる


荷台にお尻をつけると、固くてひんやりとした


私の最後のチャンスが始まった



劇的な変化の兆しを前に、車輪が回り始めた



***


風景がゆっくりと動き出し、灯ちゃんの呼吸が夜風に溶けていく


花火大会後の散々とした空気の街を、なりふり構わず駆け抜ける


あっという間に駅前を越え、スクランブル交差点をすり抜ける


するとすぐに、線路沿いの緩い下り坂に出た


それは前、夕立に打たれ、四人一緒に帰った道だった


真夜中に沈み、街頭だけの微弱な灯りだけが地面に光を当てている


線路には、後ろから物凄いスピードで迫る鉄の固まりの気配がした

私達の相手だ


「はぁはぁ ひより 何車両目だ…っ 」

ペダルを蹴りながら、灯ちゃんが言う


「ギリギリに別れましたので、たぶん真ん中付近だと思います 」


根拠なんてなかった、反対側を向いているかもしれない

猛スピードで走る電車に向けて、自転車の上から、一人の人間に数秒間で気持ち伝える確率なんて限りなく低い


「わかった…ッ 」

栗色の髪を激しくなびかせ、おでこの真正面に風を当てながら

そんなことはわかりきった上で、灯ちゃんは言った


頼りない車体が、二人の身体を前へ前へ走らせていく


汗は飛び、髪の毛をペッタリと額に張り付け、灯ちゃんは必死にペダルをかざして漕ぎ続けた


その間にも、電車は赤茶色の線路を耳障りにキィィと、鉄と鉄が擦れる音を鳴らして迫ってくる


どうやらここの線路は、道ではわからない程度のカーブがあるようだった

それが好都合にも、電車が思うようなスピードを出せないでいた


うねりをあげる生ぬるい風が目に染みる、灯ちゃんは加速を続ける

車輪に食い込む小石を弾き飛ばし、ハンドルを握る手が不安定に自転車を右左にと揺らしながら


体力を一滴残さず私を運ぶことだけに両足を動かしていた


「ああぁぁ!!」

熱は量を増し、風を切り裂き、一閃に突き抜ける

顔をしわくちゃにし、パンパンに張ったふくらはぎが更に力を増す


ひし形の網目が開いた薄いフェンスの向こう

まるで怒り声をあげるように、ゴーッと凄まじい音を立てながら電車は地面を揺らす


電車が、ついに自転車の横に並ぶ


そこからは早かった、一秒二秒と、車両がまた一つと私達を追いこしていく


下り坂を転げ落ちるような全力のスピードで、懸命に車輪は擦りきれて飛ばしていく


「まだだぁぁあ!!」


見るからに心臓をバクバクさせながら、カラッカラの粘っこい唾を吐き捨てながら

灯ちゃんはさらに這いずり叫んだ


転んだっていい、骨折したっていい

どうしても追いつきたい、伝えたい!


無我夢中で気がつかなかったけど、思えば私は、無意識に灯ちゃんの脇に手を添えて触れていた


灯ちゃんが前のめりに立ち漕ぎをし、食いしばるように更なる加速を続ける



「追いつけぇぇえええ!! 」


渇れるほどの心の叫びを、灯ちゃんは並ぶ車両にぶつけた


目まぐるしく風がビュンビュン流れていく


それでも、間近で見る巨大な箱は怯むことなく、平然と汗を撒き散らす女子高生二人を無視していく


――(拓未? )


間違いない、見間違いなんかじゃない

その一秒間、見開いた瞳の先

丁度真ん中の車両に、彼が扉に頭をつけて立っているのが、風の間から見えた


(拓…未? )

この世の終わりとまでに俯き、塞ぎ込む顔と、震える唇を見た瞬間


頭で考えるより先に、身体が動いていた

車輪が悲鳴をあげる全速力の最中、荷台からお尻を離していた


心許ない足で自転車の後輪を挟み込むように固定し、立っていた


他の乗客に見られる恥ずかしさなど忘れ

これでもかと、両手を大きく振っていた


「私は、今も ――今もずっと 拓未が好きです!! 拓未のことが大好きです!!」


言えた、やっと言えたんだ


がむしゃらに笑い、汗が滲み出し、溢れんばかりに手をブンブン振って轟かせた


彼にめがけて、身体の全てが叫ぶこの気持ちを、持てる限りの力を尽くし、響く線路の音さえ貫いていた


なにもしない後悔に負けて、俯きながら老いぼれていくくらいなら、思い出となって顔すら忘れるくらいなら


そんな明日なんていらないから


どうかお願いだから、擦り傷だらけのこの声を聞いてください!


やっと言えたこの感情を、どうか届いてください!!


今にも倒れてしまいそうな灯ちゃんは、引きずりながらもペダルだけは離さない


自転車がバラバラになりそうなほどの音をたて、チェーンが今にも千切れそうな悲鳴をあげている



それは彼の乗る車両と並んだ、たったコンマ数秒の出来事だった


そして―― 徐々に遠ざかる車両を見て、小さくなる彼の瞳が、一瞬でもこちらを見た気がした


最後とばかりに手を振って、彼を乗せた電車を見送った



「はぁはぁ… 」

徐々に自転車はスピードは落とし、下り坂を終えて停止する


「はぁはぁ…どうだった 」

死にそうな表情を浮かべ、灯ちゃんは聞いた


「届きました、きっと 」


「そっか…っ はぁ…よかった」

激しく鼓動を打つ胸を手で押さえながら、くしゃりと幸せそうに灯ちゃんは笑った


私も、ぼさぼさの髪など忘れて、頬を染めて笑った


静かな街に、制服姿の二人の乗せ、自転車はゆっくりと来た道を戻っていった


「今日は星きれいさね」

「そうですね」


紺色に浮かぶ光を、二人は前も見ずに見上げていた


じんじんするお尻の痛みも、触れた灯ちゃんの温もりも

喉のかすれ具合も、風に触れた瞳の新鮮な冷たさも


数個浮かんだ星も、全てが幸せだった


そして、自転車は走る以前にはなかった振動と軋みを、まるで勲章のように見せびらかして走っていくのだった



***


聖蹟桜ヶ丘駅に着き、私は彼を待った

やれるだけのことはやった


「じゃあ、あたしはこれで」


まだ僅かに息を切らしながら、灯ちゃんは言った


「もう行くのでしょうか??」


「まだ心配な奴が残ってるからな」


またニッコリ笑い、そう言い残し、灯ちゃんは私に‘一枚のメモ’を渡した

「一段落ついたら、それ見て」


最後にそう付け加え、灯ちゃんは忙しそうに、颯爽と夜の街へ消えていった


………


「………」

それから、五分十分と時間は経っていった

それと比例して、やっぱりだめだったのかもしれないという気持ちも増していった


静かすぎるホームに、不安が胸を圧迫する


完全に瞳が足元に落ちたとき


改札を抜ける人の足音がして


そして、――見覚えのある‘靴下’が視界に映った


慌てて顔をあげると、そこには

携帯の赤外線が、差し出されていた


不思議なことに、街からは、聞き覚えのあるギターの音色が響いていた




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