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第43話

夕暮れ六時過ぎ


街が幾分か涼しくなり、どこか懐かしく思う橙色が桜ヶ丘の空をそっと染め上げている

昼間の夏の名残を残したまま、生き返るような青々とした匂いが漂う時間


雲が焦げたように黒くなって、徐々に街が木陰のように暗く薄まっていく


私は今、学校の真逆の駅向こう、聖蹟桜ヶ丘男子高校の正門の前にいた


ずっと一年間、逃げてきた場所だった


「まだ…かな」

深まる西の空を見上げながら、私はぼんやりと呟いた


ブカブカと羽織ったカーディガンは蒸し暑く、汗を滲ませた


指先だけをちょこんと出し、毎日着続けたその紺色カーディガンは、年期の中で右手の生地のほうだけが薄くなり、小さな穴が開きかけていた


花火大会当日、私はいつもと変わらず制服に身を包んでいた

カルマから身を守るには、どうしてもこの鎧が必要だったから


そして彼が今日、最後の聖蹟桜ヶ丘になるからと、部活の先輩や友人や先生と会ってから花火の待ち合わせという理由もあったから


正門の端に、服が汚れない程度に背をつけ、私はじっと待った


しかし、とてつもなく男子校の前で待つというのは落ち着かなかった

敵地か地雷元のようにさえ思えてしまい、単純に…怖かった


ローファーでレンガ道を踏んだり摩ったりして時間を潰して

瞳にかかった前髪と、度の入っていない黒ぶち眼鏡のフィルター越しに、辺りを伺っていた


門を出た部活終わりと思われる数人の男子グループに、見定めるような視線を受けながらも

身をすくませながらも、私は…彼を待ち続けた



***

それから少し時間が経ち、新鮮な風がストレートの髪を吹き抜けたとき、彼は現れた


「ひより 待たせてごめん 」

後ろから一人、ぎこちなさそうな男子の声がした


シャープですらっとした細身

灰色のスラックスをサラリーマンとは別物のようにスリムに着こなし、学校指定のネクタイを夕涼みの風に流し

大きくTOMMYとロゴの入った青と緑の配色のボストンバックを肩から斜めがけに、腰あたりにぶら下げていた


拓未は、そこに立っていた


幻じゃなく本物の、伸びたサラサラの髪も制服も…色んな部分は変わってしまっていても

あのままの拓未が、そこにはいた


「…久しぶり」

罪悪感にも似たものを混ぜて、彼は私に言った


「…久しぶり」

背の高い彼を見上げて、けれども視線はごまかして、私も言った


あらためて聞けた一年ぶりの声に胸を痛めて、…安心もした


「部活、もう大丈夫なんでしょうか 」

大きく膨らんだボストンバックを見て言う


「陸上部の仲良かった人とも、担任とも最後に話せたし、アドレスも交換したし、もう…大丈夫、この高校も街も好きだったから、もうこの制服も今日でホントに最後だと思うと寂しいけど 」


(アドレス…)

私のアドレス帳に、もう彼の名前はない


「…なにより」

付け足すように、私を見て何かを言いかけた拓未は、視線を落として声をしぼめた


「そう、ですか」

辛くなるから、その続きは考えないようにした


そして、連れ添うように、一年ぶりに私達は駅前へと歩き出した



***

日暮れの河川敷


川沿いの遊歩道を制服姿の二人は歩く


私はどこか怯えるように、彼はどこか頼りなく進んだ

彼との最後の夜は、着々と別れに近づいているように思えた


気がつけば、いつの日か好きと素直に言えた幸せは、どこか遠くの空へ流れてしまった

一年という長い長い孤独な年月を経て、今の二人の間には確かな溝が出来てしまっていた


会話もなく、歩幅の大きな彼の背の半歩後ろを歩く

夕日を受けた彼の背中はひどく悲しそうで

腕に捲られた長袖のワイシャツが、たまらなく彼の気持ちを代弁している気がした


河原の土手では、子ども達が無垢な笑顔をいっぱいに浮かべ、草をかき分けて遊んでいる


そよ風が吹くたびに、辺りの緑はわさわさとなびき、濃厚な草と土の匂いを鼻に伝えた

川の上を渡ってきた風は、頬の熱をひんやり冷まし、残り火のような街の熱気をさらに落ち着かせた

まちまちに聞こえる夏虫の鳴き声が、それらの川沿いの夕暮れ景色に涼しげな色合いを添えている


意味もなく不安に振り返った遠くの空が、やけに切なく暗く感じた


寄り添う影を揺らしながら、川沿いの道を曲がり、人込みで賑わう国道に出る


駅までの一番の大通り、ウィッチの現場まで続く道

普段はバスや車が占拠する道路が、今日限りは夏祭りの為に歩行者天国のように広く解放されていた


道の両脇にはびっしりと屋台や夜店が連なっている


そこにはカップルから小さな子ども連れの家族、もちろん友達まで

色鮮やかな浴衣姿や甚平姿の人々がひしめき合って、足音にまじって下駄の音もしていた


ちょうちんの灯りもあり、駅前はどこもかしこも明るく熱を帯びていて、夜とは思えない程にがやがやと賑やかな笑顔が絶えなかった


そしてその間には、私達と同じように制服姿で身を寄せあう男女の姿もあって


…でも、彼女らと私達では、もう何もかも違っていて


「………」

たまらず伏せた私の瞳をかばうように、拓未は言った


「せっかく花火に来たんだしさ、久しぶりに遊ぼうよ 」

‘もう次はないから’決してそうは続けなかった


去年のことも、暗黙の了解のように、お互いに話題を避けた

口にすれば、一年間お互い溜まりに溜まった罪の意識が、両者を蝕むだけだから


そのときだった


不意に、突っ立っていた私の腕を

拓未が屋台の波のほうへ引っ張ろうとして



――触った


「―ッ!? …嫌ッ! 」


その瞬間、意識なくいきなり肌を触られた恐怖に、去年から続くカルマがフラッシュバックした

たまらずパニックが押し寄せ、悲鳴に近い拒否反応を起こしてしまった

「…っいや」

動揺に…肌の震えが止まらなくて、去年のトラウマが一気にして蘇る


「…ぇっ 」

いきなり振り払われたその手に、拓未が目の前で呆然としていた


「ご…ゴメン 」

瞬間的に拓未の口から出た言葉は、知るはずもない接触障害にではなく、恐らく私が拓未を嫌っているという推測からの謝罪だった


「…ごめんなさい、違うんです、私は… 」


私は…


まだ肌をひきつらせながら、怯えながら

夏祭りの行列を前に、私は彼に静かに打ち明けた


去年の一件以来、私が重度の接触障害を患っているという事を



***


「本当に…ごめん 」

拓未は何度も謝った

言葉の最後にゴメンをつけて、何度も私に謝った


「…ううん」

私達は屋台の群れを外れ、人の少ない近くのコンビニの駐車場、車止めのコンクリートブロックに腰を下ろして座っていた


まだ肌が少し震えているけど、先程に比べればずいぶんと落ち着いた



「もしかして、…俺があげたそのカーディガン だから着てるのか? 」


「…うん」

だけじゃなかった、もっと色んな理由や思い出だってあった

色んな支えにも、痛みにもなっていた

だけど、言えなかった


胸の奥が押し潰されそうなくらい苦しくて、とても声にはできなかった


青い夏の夜風が肌を流れるたびに、フランクフルトのおしいそうな匂いが漂ってきた


「拓未? 」

私は、久しぶりに彼に向かって名前を呼んだ

自分でも本当に久しぶりな、スッと自然に出た慣れ親しんだ言葉


「なに? 」

「どうして、急に転校なんてことになったのでしょうか? 」


「…ぁぁ 」

私に似た、何かを抱えるように、彼は意味深に呟いた


そして何か、重い隠し事を打ち明けるように

私の知らなかった去年のもう一つの事実を、彼は少しずつ口にした


「ウチ…の親さ、離婚することになったんだよ 」


まるで他人事のように拓未は言ってみせた


「離婚…」


「今に始まったことじゃなくて、というか‘去年の夏から’…ずっとウチん中荒れてて だから、引っ越すんだ 」


「私といたころからでしょうか?」


「いや、その前から…だと思う 」


知らなかった、思いもよらなかった

だって…いつもあんなに笑顔で、悩み事なんてなさそうで


「ひよりもなんか抱えてそうで言ったことはなかったけど、あんときは家ん中もめっちゃ気持ち悪くて…、中三の俺にはどうしようもなく本当に耐えられなくてさ」


「吐きそうなくらいウザくてうるさくて、ムカついて…こらえきれなくて‘痛み’のピークだった 」


「そんなことが…」


「よく学校終わりのまま、出来るだけ家に遅く帰るようにもしたりしたんだ」


「中学生で、毎回マックやスタバに行くほど金もなくて、半額五十円のパンだけ買って、人の少ない駅ビルのトイレの中で座ってひっそり食べたり、ずっと引きこもって時間潰してたりしてて…」


(…… )

聞くからにかわいそうだと思った、私は…彼の何も知らなかった


「あとは、勉強なんかする気もないのに、やたらと長い小説とか持って図書館に行ったりして」


「ひよりは知らないと思うけど、ひよりと俺が出会ったのは、あの夕立の日じゃなくて、この図書館の向かい同士に偶然座ったときだったんだよ」


「…ぇ?」

思わず、彼の顔を覗き込んでしまった


そのとき彼は、まるで遠い過去の話をしているような冷たい瞳をしていた


「今と違って、本当に裏では病んでて…本当に頼れる友達ってモノもいなくて、だけど、初めて見たひよりの顔も、そんなだったのは…どっか嬉しかったのは覚えてる」


「わざと寝たふりして、小説を落としたりもしたんだけど、ひよりには気づいてもらえなくて、かといって声をかける勇気なんてなかった」


「………」

もう、話す彼の顔も見れなくて、足元に落ちていた踏まれて汚れたリンゴ飴の容器だけを見ていた


「でもあの日、偶然出会った日、俺は目の前のびしょ濡れのひよりの肩に、カーディガンをかけた、本当の本当に恥ずかしくて気持ち悪がられないか怖かったけど……」


してよかった、とも拓未は続けなかった

そのカーディガンを見て、拓未も視線を落とした


「楽しかった、家庭内は悲惨だったけど、たいした友達もいなかったけど、彼女になったひよりがいた、側では明るくいれた」


「…けどゴメン、ごめん」

少しだけ震えを混ぜた声は、離れたあの日の事を謝っていた


と同時に、私側では知ることもなかった

もう一つの‘痛み’を知った


「でも本当は、もっと友達が欲しかった…」


「学校じゃ…無理だったけど、今に思えば、無理だなんて決めてつけるのは間違ってたってハッキリわかるけど」


「努力すれば、結果はどうであれ、ひよりのように振り向いてくれる人は必ずいるのに…」


「…うん」

今の私は、灯ちゃんやゆりちゃんや有珠ちゃん、それに奏ちゃんもいる

だから、その拓未の言葉が実感して身に染みた


「でもあのときの俺は、何かにすがりたくて甘えようとしてて、楽で怖くないほうへ、頼った先の携帯なんかで…‘あんなもの’で友達を作ろうと努力してた」


「それが間違いだとわからず、こんなにもひよりを傷つけてしまうとは思わなくて、だからと言って、去年こんなことを言ったって、情けない後付けの言い訳にしかならなくて…むしろ、きっともっとひよりをひどく傷つけちゃうと思って」


「ゴメン、俺は…ひよりの前から消えることにした」


それが、去年のもう一つの真実であり、事実だった


「………」

私は、ずるい女だ

まるで自分だけが被害者のように、不幸ぶって


…拓未だって同じように傷ついて、同じように苦しんでもがいて

でもずっと笑ってくれて、ずっと悩んでる姿も見せないで、そばにいてくれた


気づいてあげることも出来ずに、勝手に嫌いになって…臆病になって


私はずるい


私の感情も行為も、正しくはなかった

謝らなくちゃいけないのは、私の方だったんだ



けれどそれから、季節は私達に穴を開けてしまった、小さすぎた二人は、はぐれてしまった

ずっと友達のままでいれば、お互いにこんなことにはならなかったのかな


「……ゴメン」

最後に、もう何度目かわからない謝罪を終えて

拓未は去年の真実を話し終えた


「だから結局それから離婚して、俺はお母さんのほうに引き取られることなって…明日から、代々木のアパートに住むことになった 」


(代々木…)

近いようで、高校生が付き合うにはきっと遠い距離だと思った


「ひどいよな、子どものことなんか考えないで、勝手に親だけで決めてさ 俺がどれだけ…、こんなこんな去年から傷ついてきたかも知らないくせに 」

憎しみに満ちた言葉がトゲを吐いた


「挙げ句のは果てには、結局離婚で済まして、大会目指してた部活だって…ごめんね の一言で片付けられてさ、ずっと、この街にいたかったのによ…」


次々と、拓未は声を枯らして言った

悔しそうに、奥歯をぐっと噛み込んで、その両手には無力にも握り拳が震えていた


拓未はまるで、去年までは辛かったみたいに言うけど、終わったみたいに言うけれど

多分、それは違う


今も、私の前では去年の自分のようにいてくれているだけで

今も裏では…拓未は壊れるくらいに、ずっと現在進行形で傷ついている延長なんだと、そう思った


私は、ずっとうやむやに彼に対する感情を先伸ばしにしてきた

私は、彼の裏を知っても、真実を知っても


まだ許せないのかな?

まだ嫌いなままのかな?

それとも――


たった一人、好きだった人にさえ、私は何もしてあげられないのかな?

守ってもらった彼に、傷つけてしまった彼に、私は…


このまま隣で、別れを待つことだけなのかな



***


「俺からも、一つ質問していいかな?」

一息入れて、目の前の人込みを見ながら、拓未はふと言った


「なんでしょうか? 」


「どうしてさ、また」


「――ウィザード始めたんだよ? 」


「……ぇ」

いきなり出たその言語に、私は耳を疑った


拓未は、何食わぬ顔で私に尋ねてきた

ゆりちゃん達以外、私しか知らない、その正体を…



「どうし…」――そのときだった

凍りついく私を妨げるように、第一発目の花火が会話を割って夏の夜空に打ち上がった


目の前で歓声があがり、街の盛り上がりはピークを迎えていた




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