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第42話

家を出ると、見渡す限りの夏の朝が広がっていた


清々しい風の匂い、道端に茂る雑草のざわめきが心に染みわたる


胸が高鳴り、身体が疼く


深く息を吸って、いざ決戦の舞台へと繰り出す

故郷の家が遠ざかり、強く背を向けて戦場へと歩き出す



しかし改めて見た通学路は、朝とはいえ人通りや車も多いように思えた

朝の散歩にゴミ出し、出勤に朝練、意識して初めて認識する


この街にどれだけの人がいて、どれほど犯罪行為を起こすことが大変かを痛感させられる…


背中から伝わる異様な緊迫感に、家を出たことを私は少しだけ後悔した


街が息を潜めているようで、逃げるように黙々と、出来るだけ早歩きで目的地を目指した



その最中、前から早朝ランニングをする男性が走ってきた

特に何食わぬ顔で私の横を通りすぎていく

それだけじゃない、普通の通勤中のサラリーマンや大学生も、後ろから私を抜き去って駅へ向かっていく


端から見れば、何ら変哲もない清らかな朝の風景

私だけを除いて、それは穏やかな日常だった


でも違う、一メートルと感覚をあけずに他人とすれ違うことに、私は命懸けだった

そのたびに鳥肌が立って、一人恐ろしい身の危険を感じて震えた


たまらず逃げたくなって

もうぐちゃぐちゃだった…


その間にも、何台もの車やバイクが私の隣の道路を平然と横切っていく

後ろからは、至近距離で自転車だって通過していった


当たり前に歩いてくる見も知らぬ人々が、怖くてたまらない…

顔が強張って、手のひらは滲み出た汗で湿っていた



この薄いケースの中に、自分の身の丈ほどもある化け物を隠し持っている、それを無防備にも持ち出してしまった

つまり今の自分は、大量の札束を持ち歩くより、拳銃をぶら下げているより、脆く恐ろしい姿をしていた


決して大げさではなく、周りの全てが敵に思えてきて、ただ歩くことに必死だった


空には塗り立てのペンキのような真っ青な青空が広がっている


きっと皆も…この空の下で、私と同じように独りぼっちで頑張っているはずだよね

絶対痛みになんか逃げずに、必死にたてついてるはずだよ


どんなリスクが目の前に立ち塞がっていようと、これは全部自分で選んだ道なんだ


だから私も、どれほどの危険を冒してでも、前に歩くことだけはやめちゃいけないだ


仲間との再会を夢見て、息を吹き返したように私を顔をあげた

強く握りこぶしを固め、ふらつく足に力を込めた


そしてまた一歩一歩、逃げ場のない航海のど真ん中を尚進み始める


恐怖に全身の産毛を逆立てながら、見える限りの視界に意識を尖らせて、慎重に敵陣をひっそり進んでいく



***


早朝、たった徒歩十五分の道のりを私は完全にあなどっていた

やはり朝の通学路は不安材料で満ちている


私は、分岐点に差し掛かった

こうなれば、やむを得なかった


本当は、最短の正規ルートから行きたかった

でもその現在地は、安全とは程遠い人の多さの危険地帯だった


多少の時間をかけてでも、裏の大回りや抜け道を使って学校まで進むしかない


(…大丈夫 )

ここら一帯の路地や裏道は、小さいころから知り尽くしていたし、自信はあった

何より今考えられる最大の安全策だった


私は何がなんでも、こんなところで皆との夢を終わらせるわけにはいかないんだ

必ず背負ったこの子をあそこまで運ばなきゃいけないんだ

今日が…最後だから


強い決意を胸に、学校やひまわり畑に続く毎日の通学路の一本道を大きく外れ

そして、裏の抜け道を選択する



***


裏手に忍び込み、学校の正門とは正反対のルートを進む


家と家との高い塀の間、小柄な人がギリギリ通れる、道と呼べるのかすら怪しい細い道


夏の日差しにさらされながら、背伸びをして歩く


狭苦しい細道を抜ける

人通りは全くなく、朝の夏の匂いがただ道に溢れていた

通学路とは真逆のような平穏を前に、あれだけ包まれていた恐怖も、いつの間にか静かにどこかへと流れていった


路地を歩いていると、ふと吹き抜けた風が髪にからまって気持ちいい

銀色の風を越えて、だんだん先に学校が見えてくる


すでに背中は汗でびっしょりだった


夏の空気はおいしい、口の中にふくむと味がした


通学路の真逆、補整もされてないいりくんだ小道を進む


頭上には、家の敷地内から伸びた高い木の枝が見えた

風が流れるたびに、嬉しそうにカサカサと葉と葉が擦れる音がする


真っ青な空には、もう入道雲が浮かんでいた

ふわふわ漂って気持ちよさそうに、まだらな形が不規則に膨らんだりしぼんだりしている


ゆっくりと、夏の景色が完成する


そんな風景に、私も衝動が掻き立てられた


複雑な狭い路地を曲がり、全く人通りのない いりくんだ灰色の裏地を抜け

通常の通学路の倍近くの時間をかけて


やっと、私は学校の裏手に出た


いつもの校舎が背を向けている


息を殺し探るように歩くと、またあそこにたどり着いた

昨日、汗だくでよじ登った小さな裏門だ


周りには小さな道と木々や電柱しかなく、人の気配はない


(…… )

重さゼロのまぐろを背負って、手を伸ばす


何度も辺りを確認して、きゅうくつな姿勢でがりがりとよじ登る


そして ――飛び越える



***


二度目には、もう慣れたように学校の敷地に着陸する


早速、目の前、青い空まで続くようなゴツい非常階段を上っていく


生徒の姿のない学校、夏の景色ともあいまって、夏休みみたいな雰囲気でドキドキする


太陽はもう暑くなってきた


むあっとした直射日光がジリジリと校庭や階段を照りつけ、コツコツ鳴らすローファーの靴底にも熱が伝わってくる


打って変わって、人がいない校舎は、どこかひんやりした冷気を持っているようだった

冷たい廊下にぺったりと頬をつけて眠りたい、なんて想像もしてしまう


最上階の四階に近づき、活気づいた駅前を見下ろす

車が走り出して、人の動く音もする

洗濯物なんて一瞬で乾いてしまいそうな日差しを受けたビルが、銀色にまばゆく反射している


どこまでも爽快な濃い青が視界いっぱいに広がり

白く輝く入道雲がすぐそこに浮かんでいた

柔らかそうな形をした雲が次々に湧き出てくる様は、視界に入りきらないほど壮大だった


今日もまた一段と暑くなりそうだった

花火大会には、最高の一日になりそうだった



「…?? 」

素肌にまとわりつく日差しをぬぐいながら、ふと足元を見る

古びたコンクリート製の非常階段の隅に、茶色い何かがぽつんと落ちていた

目を凝らしてよく見れば、ひっそりと息たえたセミが横たわっていた


そういれば、いつの間にセミの鳴き声は消えたのだろう?


短い夏の自然、九月も終わりに近づく時期


ワクワクしてドキドキして、でも切なくて、辛くもなって

風物詩と呼ぶにはあまりに儚いものに、私は不思議な気持ちになった


私達の夏は、あっという間に、何事もなく通りすぎようとしていた



***

四階、軽音楽部に到着する


露骨に古びた鉄製の非常扉に手をつける、変わらず鉄錆びの臭いがした


重く擦り付ける鈍い音を鳴らしながら開く

ローファーを脱ぎ、入った部室は真空のように静かだった


校舎の中は、外とは違ってやっぱり涼しい

床からは、靴下を挟んで直にひんやり感が伝わり、まるで吸い付くようでしっとりと気持ちいい


そして、外は晴れ渡る夏の朝でも、室内は木陰のように薄暗い


誰もいない校舎の匂いを一人で噛み締める

まぐろを置き、近くのイスに座る


手を膝の上において、ふぅと息を吐き、じっくり室内を見渡してみると

昨日までやってきた私達の活動を一つとして欠けることなく、此処は手付かずのままで残っていた


黒板には -selling day- と大きく掲げられた私達のチームの文字


・四つの共有ルール


-この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある-


-I pray for the safety of the voyage-(航海の無事を祈る)


離れていても、それぞれに向けられたエール

そして、今日の作戦のシナリオが灯の字で書かれていた


その目の前には机が四つ囲んで並んである

上には…灯のヘッドホンが無造作に置かれていた


窓辺には、クラッキングをするために、ひよりが持ってきたデスクトップパソコン

横には、少し葉の萎れかけたミニひまわりも咲いている


奥には、有珠が演奏に使ったアンプも静かに佇んでいる


両側の窓を全開にして毎日を駆け巡った日々が、胸にじーんと溢れてきた


懐かしむようにそれをボーッと見ていると、なんでだろうか

卒業式のときみたいな気分になった

少しだけ、物置部屋から始まったあのときより自分が成長した気がして

なにより、心がとっても落ち着いた



***


無事にまぐろを運び終えると、急に暇が訪れた

穏やかすぎる日常が、この街を包む


私が今出来るのはここまでだから

あとは、灯が来てくれるのを待つだけ


両側の窓を全て開け、窓辺にひじをつけ、靴跡一つさえない校庭を眺める

街をぐるりと一望できる絶景に、風と共にたそがれる


いつも狭く息苦しいと感じていた学校は、人がいないとこんなにも広いんだ


通り風が頬を撫で、耳元をすり抜けていく


やることもなく、時間はただ漠然と過ぎていった



***

お昼前、走ってトイレに行く


もし私がいない間に灯が来て帰ってしまったら大変だから

そんな子どもみたいなことを思っての行動だった


でも部室に戻ると、変わらず…広い空間があるだけだった


灯が来る気配はない、携帯が鳴る気配もない



***

お昼過ぎ、お腹が減った


これで何回目だろう

さっきからぐーっと鳴ったりぐるると鳴ったり、口の中の唾液も量を増している


(そっか、今日は学食ないんだ )


ご飯は学校の前、ひまわり畑の隣の小さなコンビニに行くしかない


あそこにも色んな思い出があった


(五分なら、大丈夫だよね )

自分に言い聞かせ納得させるように、私はローファーを履いた


リリスを部室に残し、携帯とお財布だけを持ち、部室を後にした


せかせかと急いで非常階段を下り、また裏門をよじ登る


たぶん、正門から出ても大丈夫だったと思う

だけど、もし万が一先生に問われて肌に触れられたら、リリスが見つかったら、…取り返しがつかない事になる

そう思ったからだった



相変わらず、青信号への変わりの遅い横断歩道を待ち、コンビニに入る


(豆乳と… )


(豆乳…そうだ そういえば、前に皆とお昼ご飯を食べてたとき、私だけ飲み物が揃わなくていじけたこともあったけ )


棚から取りかけた紙パックの豆乳をそっと戻し、変わりに隣のリプトンを手に取る


ただそれだけのことに、どうしてか、たまらなく嬉しくなった


パンが陳列された棚は、普段授業がある日はこんなに種類豊富ぎっしりと並んではいない

いつも余ってるパンがある

今日は、美味しそうなパンが選び放題だった


だけど私は、わざわざいつも余っているそのパンを手に取った


一人の生徒を除いて、学校でくそ不味いと評判のパンだ


久しぶりに私はそれを買った

たぶん美味しくない、でも、私はそれを買いたかった



***


レジ袋は貰わず、お昼ご飯を手に持って私は部室に帰ってきた


けれども…やっぱり、そこには誰の影もなかった


木漏れ日のように穏やかで、お昼寝ができそうなくらい静かで、夏があるだけ


チャイムもお昼の放送もなく、机四つイス一席で静かにパンを頬張る


味はまあまあ予想通りだった



***


昼食を終え、また暇が訪れる


なにもしていないと時間は一秒が五秒にも十秒にもなった


三時、四時と経ち、ふとカバンから携帯電話を取り出した

私のではなく、今野美弦の携帯を


やっぱり、着信も受信も …なかった


自分のほうの携帯も、それは同じだった



……

……


***


気がつくと、私は眠っていた


イスに腰掛け、窓辺に頭をたらして眠りこけていた


辺りの空はすっかり夕焼け空から夜空に変わろうとしていた

夏の静寂と茜色がまじり、入道雲が消えかけの夕日に照らされている


「ぁ……」

慌ててバッと振り向き、闇に溶け込んだ部室を見渡してみた


しかし肝心の灯は


……来ていなかった



(あか…り )


だめだったんだ

無理にでも、私はその何も無い結果を突きつけられた



死んだような虚ろな瞳で四階の窓から外を見れば、駅前が楽しそうに光っているのが見えた


いつもの並木道が幾つもの小さなちょうちんに彩られて、ぼーと怪しげな、でも楽しげな、そんな色の灯りを夜に照らされていた


屋台が立ち並び賑わっているはずの駅前通りからも、今にも焼きそばの匂いや熱気が漂ってきそうだった


学校の正門の前には、浴衣姿で無邪気に走る二人組の子どもの姿が見えた


…そうなんだよね、今日は最後の夏のイベントなんだよね


皆思い思いの人と一緒に綺麗な打ち上げ花火を見るんだ

女の人は浴衣を着て、屋台であんず飴とか買ったりして、金魚すくいで失敗して笑ったりして


いっぱい楽しくはしゃいで、それで花火を写メで撮ったりもして、たくさん笑って


それで…


それで…ッ


わからない…

気がつくと、私は一人真っ暗な生ぬるい部屋の隅で泣いていた…


「ヒクッ… ぁ…ゥッ」

しゃがみこんで、ぐじゅぐじゅに顔を濡らしていた


今ごろ、ひよりは元彼と会って自分のカルマと真正面から向き合っている

有珠は、ギターを背負って逆境の戦いの場へ向かっている


みんな、頑張っている…ッ


「灯 お願いだから…っ」


だめだった、…私があんなことをしたばっかりに、傷つけてしまったばっかりに


もう全部だめなの?、もう最後のチャンスは…私にはないの?、今日まで頑張った…なにもかも


「あか…り、お願いだから… 」


もうなにも言わないから、もうなにもいらないから、絶対迷惑もかけないから


「お願い…だから…っ」


そのとき、無情にも、第一発目の花火が夜空に高くあがった

僅かに照らされたその部屋には


やはり、誰の人影も映ることはなかった

膨らんだギターケースが置かれているだけ、私を独りぼっちだと証明するだけ


その間にも、刻々と…最後の夜への時間は進んでいく


花火や僅かな音でさえ、肌を痛く刺し…無力すぎる今の自分を溢れさせた


…灯は、来ては…くれなかった


来てはくれなかったんだ


あらゆる希望が手の上からこぼれ落ちていき、不戦敗…という無残な結末に、もう何もかもが消えていく気がした


部屋に溺れるように崩れて、誰もいない学校の片隅で、私は壊れるほどにボロボロになってきつく縮こまった

それでも花火の光にあてられて、瞳からは無様すぎる涙がだらだら滴り落ちていった


意味もわからず、すがるように私は、机に転がる灯のヘッドホンをとった

そして両耳をギュッと塞いで閉じ込めた…


震える指先で再生ボタンを押すと、予期せぬ私達の大切な曲‘sailing day’のメロディーが耳の中に流れてきた


「ん…っ ぐすっ…ッ!」

その瞬間、とてもこらえきれないモノが…嗚咽を交えて、みっともなく私の目から溢れてきた

視界をぼやけさせて、胸をぎゅうぎゅうに痛めて

部屋に悲しく響かせながら、頬をつたう大粒のそれは、これでもかと唇を震わせて流れ落ちていった



花火の光だけが それを残酷に照らしては、静かに煙だけを残して消えていき


ウィッチとの最後の夜は、無情にも私だけを取り残し深まっていった


あと数時間で、…結末を迎えようとしていた





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