表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/74

第41話

-9月14日-(日)- 花火大会-


早朝、五時にセットした目覚まし時計が部屋に鳴り響く


目を覚ますより先に、反射神経で時計を止める


むくりとベットから起き上がり、冷たい床に素足をつける


ぼんやりした意識で窓辺に立ち、カーテンを一気に引くと、同じように眠った街が顔を覗かせた


信号機の明かりだけがひっそりと光っている

いつも車やバイクが走っている道路は空っぽで、道幅が幾分か広く感じる


歩く人もパトカーのサイレンもない、普段は賑やかな街全体がしーんと静まり返り、灰色まじりの暗闇に包まれていた

まだ肌寒い外気に、私の寝起きのまなこも開かれる


そんなゆったりした時間が流れる街の片隅に身を潜めながら、目新しい音もなく、私も静かに作戦の支度を始める


毎日の作業、壁にかけられたハンガーからブラウスを取り、第一ボタン以外のボタンを閉めて着る

紺チェックのプリーツスカートを穿き、中にブラウスをしまいこむ


ソックスにリボン、毎日のアイテムも欠かさずつける


その間にも徐々に空は流れていく

東の空からは朝日があがろうとしていた

星が薄くなっていき、月もぼやけ始める

冷たい夜が朝焼けに飲み込まれ、街は次第に白い空気に包まれていく



部屋を出て、一階に下り、洗面台の前に立つ

歯磨きと同時進行で寝癖まじりの長い髪にクシをいれる


今日は私達の全てがかかった日だ、身なりも気合いを入れてしっかり整える


もし灯に再会できたら、…また可愛いって思ってもらえるように、抱きしめてもらえるように

普段の倍近くの時間をかけて、丁寧にポニーテールを結ぶ


時刻五時半過ぎ、毎朝の身支度を終える



***


そして、ここからが私の非日常…


もう一度部屋に戻り、ベット脇に置かれたナイロン製の黒いソフトギターケースを手に取る


灯が傷つきながらも私に残してくれた、託してくれた最後のチャンスだ


きっと本当に最初で最後‘これ’を使うときがきた


じりじりと…すり足で、私のカルマがしまわれた押し入れに近づいていく


ゴクリと唾を飲み、指先でそーっと薄い扉一枚を開いてゆく


…毎回、開けて思う


思わずウッと異臭がしてきそうな濁りきった空間だ

タバコの臭いより遥かに気持ち悪い


気味の悪いぼやけた暗さで、湿気のようなじめっとした感覚も肌に触れる


そして、その中央に、…あれは不気味に横たわっていた


変わることなく殺気を研ぎ澄まし、待ちわびたかのように、それはいたんだ


意図も簡単に人を殺せるであろう代物

と同時に、私を海から救い、体温を抜き去った張本人


決して誰にも知られてはいけない凶器、まぐろの大刀‘リリス’


ほの暗い底から覗かせたリリスの顔と目が合う

音のない静寂の中で、死体のように横たわるリリスが、嬉しそうに私を誘っている気がした、手を伸ばして笑っている気がした


おそらく世間では、化け物や異物と呼ばれるそれを、拒否し続けてきたそいつを…

今日だけは、私の方から手を差し伸べる


冷えきった埃まみれの押し入れの中にスッと手を入れ、久しぶりにまぐろに触れる


すると、リリスは相変わらず水死体のように冷たかった


そのとき思わず私は、私から抜け落ちた分の体温を、実はこの物体が宿して存在しているんじゃないのかと

そうなふうに思った


少しおうちゃくに、ずるずると床を擦り付けながら外に引きずり出す


ふと外を見れば、空にのぼった太陽が街を照らし始めていた

空気中のしずくや道に付着した水分も、朝の光を浴びてキラキラ輝いている

霧がかった街は幻想的だった


じわりと暖かい朝日が窓のそばから部屋に伸びていく

視界が光で覆われ、色んな音が動き出して、また一日が始まろうとしていた


そんな場違いな風景の一角に、リリスは抱え出された


光をまとい、光沢の刀身をあらわにする

差し込む朝日の全てを吸収し反射させる銀色のフォルム

怪しげに、背と尾びれを染める青みがかった深い黒色


そして、腹部に黒文字で小さく刻まれた私との証明‘Lilys’


振りかざせば、人の腕なんてスパッと斬れてしまいそうだ


試しに、尾びれとの付け根あたりを右手でぎゅっと握りしめて構えてみる

重さはほとんどない、体感は携帯電話よりも軽かった

本来ならば何百キロもあるはずなのに…


私は人を斬ったことなんてない、当たり前だ


でも本当にやる、私がやらなきゃいけないんだ

私達の正義の為に、あと数時間後にはやるんだ


この子で‘ウィッチを斬る’



***

それから、私はまた作戦の作業にとりかかった


リリスの頭のほうを下にして、慎重に厚底ギターケースの中にしまいこむ

万が一リリスが私の肌から離れ、本来の重さに戻ったりすれば、代用のきかないケースが破けて穴が空いてしまう

そんなことになれば、その瞬間に作戦は失敗する


だから本当に、本当にゆっくり、精密機械を扱うみたいにそっとリリスの刀身を入れていく


ファスナーをしっかり閉め、誰にも見つからないよう、念入りに切り札の凶器を隠ぺいする


これはただのケースだ


ギターが入っている何の変てつもない袋

私はそれを背負って学校へ向かうただの女子高生


きっとすれ違う人間の誰もがそう思うだろう


けれどもどうしてだろう

何かどす黒い不安や、緊張に張り詰めた空気が、部屋の中を漂っていた…


そうだ、もう後戻りは出来ないんだよね…

こんなものを背負って街に出たら、もうやるしかないんだよね


…ちゃんと怪しまれないかな?

昨日、あれだけのことがあったのに、灯はまだ来てくれるかな?

本当にウィッチと対峙できるかな?

ちゃんとぶっつけで勝てるかな?


それ以前に警察には見つからないかな?


問題はいくつあるんだろう


できるよね…できるかな?


気がつけば、狭い部屋の中は、何十通りもの些細な身の危険で溢れかえっていた


思わずトイレに行きたくなるような冷や汗が滲み出す

身体中の血が冷たくなって固くなって、華奢な足がすくんでしまう


そんな、今から起こる現実的な恐怖が急に空間を沈めた



だからだった、なんとか私なりにそんな気分を乗り越えようと

追い出してやろうと


部屋の窓を、思いっきりガラッと開けてみたんだ


すると、まるで別世界のように

張り詰めた空間に、朝の新鮮で涼しい空気が入ってきた


すかさず、たらふく胸一杯に吸い込んでみると、身体の隅々まで生き返る気がした


それまでめぐっていた恐怖が嘘だったかのように、スッと浄化されていく気がした


老いぼれかけていた心臓を奮い立たせて、拳を強く強くギュッと握った


私なら出来る、大丈夫、きっと私にしか出来ない

私達なら変えられる!、これまでだって、乗り越えられた


窓から見える抜けるように澄み渡った青空から、半透明な柔らかい日差しがそっと揺れて降り注ぐ


爽やかで甘酸っぱいような夏の気配がまた今日も漂ってきた


直視できないオレンジ色の太陽からも、笑い声が聞こえてきそうだ


色づいた夏の誘惑に、なぜか気持ちが急かされていた

何かしなくちゃいけない、そんなドキドキする衝動が両足を弾ませていた


不安は消え、代わりに自信が満ちた


いつもの学生カバンの中には、念のため‘紺野 美弦’の携帯も仕込ませた

身の丈ほどもあるまぐろ入りのギターケースも背中に担ぐ


正直、背負い心地はいいとは言えないけれど、自信過剰な勇気は溢れてきた


これで、準備は万全だ


窓の日差しに頬をあてながら、ウィッチとの闘争心を膨らませていく


――始めよう、終わらせよう!


作戦名〇〇〇〇〇


筋金入りの落ちこぼれは、威風堂々と部屋を出る


ついに、リリスが初めてこの部屋、押し入れ以外から出される


明日には…警察署の中で泣いて、退学になってるかもしれない


二度と帰ってこれないかもしれない…

今晩には腕が斬り落ちてるかもしれない


……死んじゃうかもしれない


今だって怖い、期待と不安が背中合わせでいる

でも、今こそが船出のときなんだ!


胸を張って、馬鹿でかい凶器を背に

いざ、低体温者は航海の戦場に赴く


両肩を締め付けるケースとリリス

決して私の‘肌’から離れてしまわないよう、さらにきつく締め上げる

自信というよりは強がりで、か細く震える両足を奮い立たせる


運命や惨劇なんて、変えてゆけるんだって証明してやる


突破口なら、灯があの手この手と考えてくれているはずだ


本当に、悪いことをしちゃった

でもきっと、灯なら来てくれるって、そう信じてる


何かを蹴散らすように階段を下り、ローファーを履き、得意気に玄関を飛び越える


保証なんて一つも無い

だけど、やると決めたらやるんだ


きっと独りぼっちじゃ辿り着けなかった場所に、今向かおうとしている

敗北まですれすれのとこ、勝利から一番遠い辺り


今度は私が、頑張る番だから


早朝六時前


そして、――劣等生は


ついに扉を開ける…!


朝の街、これから待つ絶望に、戻ることの出来ない、最後の命がけの悪あがきに


ゴールだけを見据え


野心に満ちた、偉大な一歩を踏み出した





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ