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第39話

喫茶店を飛び出して、暗い夜道を進む奏の後についていく

言葉を交えることもなく、振り向くこともなく、涼しい青い風の向こうへ歩いた


でこぼこ道を過ぎ、階段を下り、いろは坂に出る、目の前には目的地の桜ヶ丘公園が見えた



***

-桜ヶ丘公園-

そして現在、静かな静かな夏の夜、ふたりは古びたベンチに座っている


「この時間… 一番綺麗なの…」

奏が少し得意げに呟く


その言語通り、目の前には視界の端から端まで、活気ある熱をおびた花火大会前夜の街並みがたたずんでいた

それはまるで、文化祭の前夜にも似た匂いや気持ちを思い出させた


「…うん…」

でもそれと同時に、ただ二人がその場に取り残されている気分にもなった


右に座っていた奏が、おもむろにフタがわりに包んでいたバスケットの布を開く


「…お腹…減ってる?…」

ジト目の少女がまたもロボットのような口調でポツリと呟く


麦色のバスケットの中には、今さっき作られたばかりのシナモンロールが六つも入っていた

こんがりきつね色の焼き色に自作の渦巻き模様が可愛い

シナモンの甘い香りがふわっと広がった


「………」

私が答える前に、白い包み紙にくるまれたその優しい塊を、奏はすっと差し出した


「ありがとう、いただきます」

正直今の私には自分がお腹が空いているのかも分からなかった


冷たい唇で静かに噛みしめ頬張ると

(…! )

不意に感じたことのない甘くあったかい温もりが広がった

たぶんそれは、お母さんの作ってくれたおにぎりに匹敵するくらいな、平凡でありふれて、でも奏の優しさがぎゅっとたっぷり詰まっているようなぬくもりだった


そのとき初めて思い出した、私はお腹が空いていた、ひどく空っぽにすっからかんだった

だからついまたもう一口頬張った

「おいしい、本当においしい 」


どうしようもなくがつがつ頬張って飲み込んで、…なんでだろう

枯れるまで流しきった涙が、真逆の理由でもう一度瞳に染み込むように溢れてきた


「っ…ぅ…ッ」

気がつけば、たかが菓子パンの仕業に、私は背中を丸めて鼻水をすすっていた


「…よかった」

私の味気ない感想でも奏は満足してくれた

動作もなく、小さく笑ってくれた


そこで理解する

言葉ではうまく表せないけど、きっとこれが私にくれた奏のモノなんだと


震える私の横で、奏は冬に使うような紅葉色のひざかけを膝の上にちょこんと乗せて、私と同じように、寄り添うようにしてシナモンロールを食べた


言葉さえない奏の優しさに、また少しだけ、刺々しかった私の心が救われた気がした


そんなことを思って、残った手の中の温かい菓子パンを、冷めないうちにまたかじった



***


今は何時だろう、黒や紺の夏の夜が深まり、大きな街並みがオレンジ色に揺れている、京王線の電車が走って、いつものように駅前が騒がしい


「ねぇ、奏…?」

奏にそっと出された紅茶を飲みながら、柔らかい夜風に垂れ下がった前髪をなびかれながら、私はもう一度奏に尋ねてみた


「…??…なに…」


(……)

もう一度繰り返し、私は思いつく限りの言葉で心の悲鳴を口にしようとした


「あのね…実は今日、灯とすごい喧嘩しちゃったんだ、ひよりとも会えなくなっちゃって、有珠とも…昨日別れちゃって 」

口にしている自分でさえ、途中からその言葉が辛く胸に響いてきた


「奏は知ってると思うけど、私達は明日のために頑張ってきた、一度きりしかチャンスがない、ウィッチを捕まえるために……だけどでも それがもう」


頑張った、でも一つだって残ったものはなかった

幼い私達には無力だった、それが最終的な結果発表だった


毎日が幸せだった

でも…もう仲間も居場所も夢も、何もないことを、自分で口にしてさとった、思い知らされた


「だから…もう無理で、わかんない、ごめん、自分でも何が言いたいのかな…ッ」


奏にこんなことを言ってもしょうがないのに

私はなんて無力なんだろう、惨めだ

どうしようもない女だな、めんどくさくて重い…

せっかく奏がここまでしてくれたのに、また…苦しい、たまらなく苦しい


「……ぅ…ッ」

追いやられるようにさらに身体は縮こまって、虚ろな瞳を隠すように私は顔を髪で伏せた


「もう言わなくて…いい」


(…ッ )

そんな枯れ果てた私をそばに、食べかけのシナモンロールをバスケットの中に置いて、奏はゆっくりと口を開いた


広大な夜空を浮かべる殺風景な丘に、少しだけ沈黙が流れた


そして、息を調えるようにして、また奏は口を開いた

けれどその返しは、私の想像していたものとは少し違っていた


「会って始めに…言った、ボクのお姉ちゃん…、今も病院で寝たきり、昏睡状態なんだ…」


おもむろに、奏は視線を伏せて、私に聞かすようにして、しかし独り言のように話し始めた


(…?? )


「…お姉ちゃん、去年の入院以来 高校も部活も…行けなくて、…だから、ピクリとも表情を変えない、全く笑わなくなった」


なぜ、今この瞬間に私にそんなことを言い聞かせようとしているのか私には分からなかった

言い方は悪いけど、今の自分には所詮他人事だった


「…そして、お姉ちゃんは昏睡状態になった、ボクは何も出来なかった、なんにも…出来なかった」


「でも…ボクは知った、見た‘あの絵’のお姉ちゃん…優しい笑顔だった」


「もう一度、ボクがこの絵みたいに描けるようになれば、きっとお姉ちゃんも起きて笑ってくれる気がして」


「いろいろ調べて、でも…ボクはこんな不登校で見つけられるはずもなくて、途方に暮れていたとき、まさか貴女から来てくれた 」


「…偶然だよ 」

何かを切るように、私は奏の話しに割り込んだ


「………」

奏は、また一息つくと、相変わらずぎごちい口調で話し出した


「…ボクが学校に行けず制服や教科書や弁当を持って引きこもっている此所は、元々はお母さんが趣味で始めた喫茶店だった、休みの日にはお姉ちゃんとボクが一緒に手伝ったり遊んだりして」


「でも…お姉ちゃんがあんな姿に変わってから、此所はお母さんやお父さんの‘痛み’になって、意味をなくした 」


見ると、ひざかけを握る手が小刻みに震えていた

「ぁ… 」


「家 そんなにお金もないし…っ、お姉ちゃんも大変で、ボクまでこんななの…お母さんにもお父さんにも、とてもじゃないけど言えなくて、知られたくないんだ、悲しませたくないんだ…負担、かけたくないんだ 」

ロボットのようにさらさらと言ってるけれど、それは奏の抱えた途方もない痛みで

小声のそれらが、街の雑音に紛れながらひしひしと私に伝わってきた

(奏…… )


「毎日…家では、ボクはありもしない今日一日の学校の話しをして、存在しない友達との会話を話して、お姉ちゃんのいない食卓で、お母さんもお父さんも楽しそうに優しく笑うんだ…笑うんだ」


「ゆりや皆が当たり前に行けてるあの学校は、ボクは今風邪で休んでることになってる、けど…これから先、ずっとこうしていれば見つかっちゃう…、だけどボクは見てのとおり引きこもりでいじめられっ子で不登校で、こんな見てくれで、上手に人とは交われない…」


「全部後悔してる、もっと…どうして出来なかったのか…、学校も、お姉ちゃんも、家も 」


「…気がつけば、何も出来なくて、毎日をその場しのぎで、こんな小さな居場所に引きこもってた…」


重い息を吐いて、慣れない長話を終えた奏は、声のトーンをぐっと変えてこちらを向いた



「…ゆり、…夢や守りたいモノは、そんなに簡単じゃないよ 」


「叶えられないから、夢って言うんだ… 」


「大概の人間は、ゆりの今いるそこらへんで夢を諦める…」


「絶対的な敗北、引き裂かれるほどの挫折、目を背けたくなるくらいな惨劇、屈辱、侮辱、トラウマ、中傷 」

「それを含む、評価や批判やレッテル、さらには時間やプレッシャー、現実までもが重く…のしかかる」


「必ず…叶えようとする夢は痛みを伴う」

「そしてその痛みは…死ぬことなんかよりずっと痛い…」


「…今のゆりなら、わかるでしょ?」

(………)


確かにそうだ

一瞬で簡単に死ぬより、今のえぐられるような痛いのほうがずっとずっと辛い、キツイ


「ボクはね…、ボクもね、ちょうどそこでつまづいて、終わった、…でもだからずっと後悔してる 」


「口で言うのは簡単…、でも実際は全然…違う、絶対にどうしよもない」


「自分自身を保てなくなる人間、トラウマに今も泣く人間、代償に一番下まで成り下がってしまう人間 」

「…何度もの後悔に‘こんなになってしまった者’」


(………)


「…ゆり、夢を叶えるのは、本当に大変…」

「もう泣き叫んで、抱え込んで、ぐちゃぐちゃになって、尚も惨めに落ちぶれて、ゴミみたいな存在になって…、 夢を持つなんて不幸だよ、馬鹿のすることだよ…つくづく」


「…そう…だよね」

私も馬鹿だな、そうだよ、馬鹿だよ

昔みたいにただ毎日を普通に生きていればよかったのに

何ちょっと頑張ってこんなドラマみたいな夢持っちゃってさ



「‘――だけど…’」


(…!? )

思わぬ切り返しだった

感じたこともない、骨にまで響くような強く低い小さな声だった


「馬鹿なそれを、満身創痍 死に者狂いで最後の最後、ギリギリで行きついで、突き抜けた、そういう人間が 」


「‘叶えたモノを夢と呼ぶんだと思う’」


「…っ、でも…もう」

皆こんな状態で明日なんて


「…最後にはね、諦めの悪い奴が勝つんだ」


(ッ――)

鳥肌が立つくらい驚いた

なぜなら、今まで見たこともなかった奏のジト目の瞳が、視線が

――初めて合ったんだ

こちらを向いて、ぐっと見開いて、大きな黒目が私を離さず強く捉えていた


「…貴女は、ここで終わりたい?、今は死ぬほど痛いと思うけど、でもこんなところて、ボクに慰められていいの?、終わっちゃうよ? 」


「…それが貴方の本気なの?、本当にこれが、最後の最後、死に物狂い、君の出した本気なの? 」


「…明日なんでしょ、貴方達の‘全てを懸けた最後の戦い’」


「…その痛みは明日を過ぎたら何千倍になるよ、私が貴方を抱き締めたら何百倍になるよ」


「どれだけ不幸者でも、どれだけの距離やハンデがあっても、どれだけ劣等生だろうと、泣きわめいて一つ誤った答えを知ったなら、一つくらい、正しい答えもわかるでしょ? 」


「貴方なら…どうする? やっぱりボクと同じ…?」



(…… )


「奏… 」

その瞬間、すっかり消えていた込み上げる感情が、熱いものが、ドクンドクンと心臓を脈打たせた

沸き立つ鼓動が‘何か’を変えようと身体中に叫んでいた


「私は…」


――最後の分岐点だ


(…ゴクリッ )


何百回、私は正解を探した

痛いのは嫌だ、でもまた皆と戻りたい、あそこにいたい

ライブに行きたい、勝ちたい、もうこんな結末は嫌だ

嫌だ…いやなんだ


ギュッと固めた両手のこぶしに、爪が食い込むほどの力がこもる


「私は…!」


そうして――冷たい死体は


ようやく答えを出した


‘殺しに行こう…’

もうここに来ることもないんだろうな、なんて部室で言ったあのふざけた自分に、引き金を向けてこよう



「もう一度…もう一度、今度こそ叶えてくるよ…ッ」


私はベンチから立ち上がった、思いもよらぬ軽い足に驚いた


地面を打つローファーの音に、たまらなくうずうずした


――走り出したい!


赤くただれた目元をぬぐって、流れ星もない、霞む星しかない夜空を見上げた


そして衝動的に、ボサボサに垂れ下がっていた髪を束ねた

決してほどけてしまわないように、きつくポニーテールに結んだ


「奏 ありがとう、ごちそうさま 」

もっと奏の痛みを気遣ったり、こんな晩くまで付き合ってくれた事や、他にも言わなくちゃいけない感謝がたくさんあった


「…こくりっ…」

でも、合った視線が、言葉にせずともちゃんと何かを伝えていた


――私、やってみるよ


「……うむ…」

恥ずかしいくらいの夢と、街を敵に回した企みを、たった小さな高一の女子高生は再起する


よれよれの学生カバンだけを握りしめ、新しく立ったスタートラインに立つ


「奏、いってくるッ!」


そして―――勢いよく地面を蹴りあげる


抱え込んだ全てを空に投げ出して、がむしゃらに走り出す!


今度こそ、世界を変えてやる


これが 私の最後の本気だ…!


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