第37話
どこで間違っちゃったのかな?
どこでこんな結末に繋がっちゃったのかな?
こんなことになるなら…、あの日死んでおけばよかった
死んだほうが、ずっと楽だった
誰とも出会わずに、一人で夢なんか追わず、こんな張り裂けそうな気持ちにならないほうがずっとマシだった
アニメみたいにあがいてみたって、どうせ…無理なんだ、弱者の反撃なんて所詮こんなもんなんだ
カルマだらけの落ちこぼれなこんな私には、結局無理なんだ
***
いつの間にか、外からは降りだした雨が地面を叩きつける音が校内のあちらこちらに鳴り響いていた
蛍光灯の光さえない二人ぼっちの部室には、ひよりが来ない時間と比例して不信感と裏切りの亀裂が入っていた
「ねぇ…ゆり、どういうこと? …教えてよ 」
俯いた灯は、髪で瞳を隠すようにして顔を伏せていた
目は見えずとも、今朝いた夢を追う少女の姿ではなくなっている事は一目瞭然だった
震えて、どす黒くて、狂うような声
親友に裏切られた大量の悲しみに、殺気を澄まして怒っているような、そんな震えた声だった
「ねぇ……」
暗闇の先からぼやけた低音の彼女の声が届く
「ねぇ…って、言ってるの…」
その声に私の顔は思わずこわばった
「ひ、ひよりに…秘密にしてほしいって、言われてたの…」
目も当てられず、弱腰な言い訳を言う
「……」
その回答に、前の灯が無言で私をぐっと睨み付けた
何かを殺すような狂気のこもった視線に私は鳥肌が立った
(い、言わなきゃだめだ…っ )
そこから一息の間を開けて、追い詰められた私は、灯に全てをぶちまけた
早くここから逃げたかった、自分の犯した罪を吐き出したかった
(…ドクンッ)
「ゴクッ… じゃあ…話す…から」
生唾を飲み、そうして、あの日から続くひよりとの秘密を語り始めた
ウィザードの日、灯と有珠が帰った後に校門で起きたひよりの悲劇
夕焼けの非常階段でのひよりの涙
そしてひよりの、明日…花火大会での最後のカルマ
私は、ひよりに泣いて秘密にしてほしいと言われたこと全てを暴露した
***
語り終わると、灯はさらに声を変えて言った
「…ずっと、あたしに内緒でひよりと隠してたんだ 」
モザイクにぼやけた空気に、灯がぽつりと呟く
「ずっと、あたしがこんな頑張ってる間 あたしだけ…仲間外れだったんだ 」
「違う そんなつもりじゃ…! 」
「なにが違うんだよ!! なにが違うってんだ!! もうこれで明日だって無理じゃんかっ 有珠が抜けて…それにひよりまでっ 」
「しかも…全員こんな、こんな状態で…もう絶対無理じゃんか! 」
乱れ飛ぶかすれ声が、私を容赦なく怒鳴り付ける
「まただ…どうして、どうしてゆりはまたそうやってひよりとだけ秘密を持つの?、あたしに隠し事して、先週と同じじゃんか… 」
「なぁ あたしのカルマさ…ゆりはちゃんと覚えてる…? もう、忘れちゃった?」
(!!ッ―― )
そうだ…
まただ、また私は忘れていた、また繰り返してしまった
たった一週間前、ちぎれた私と灯の関係、灯の真実と痛みを知ったばかりなのに
灯の痛みは‘私’
そう、誰より身近にいる私なんだ
紛れもない‘小林 ゆり’なんだ
悲しいくらいに同性の親友を好きになってしまったレズビアンは、その真実を私に泣きながら語ったんだ
なのに…私は、また灯を差し置いて、のけ者みたいにひよりと秘密を持ってしまった
灯の為、チームの為、何よりひよりの為だと思った
有珠が抜けるなんて事がなければ灯にだって簡単に言えてるはずだった
それが、灯の痛みをえぐる行為ということがどうしてわからなかったんだ…!
一度塞がったはずの灯のカルマの痛みが、私の無神経な過ちのせいで、むしろ傷口を深く侵食させてしまった
「灯…本当にごめん…っ 」
謝ってどうするんだろう、許してもらえるはずもないのに
そういう予防線が、また灯を傷つけてるのに
「許せない… ゆり あたしは…頑張ってたんだよ、ゆりを助けたくて助けたくて…!、毎日深夜二時過ぎまで作戦も考えて、必要な物を買って揃えて調べて、三人の為になんとかって、明日だって作戦が成功できるようにずっと頑張ってた…っ! 」
「……」
何も言えなかった、何も返せなかった
「でも…なんなんだよ! なんでそうやっていつもあたしを傷つけるんだよ! 痛いんだよ!!めっちゃくちゃ痛いんだよ…!!」
栓を抜いたように灯が涙を流して叫ぶ、手加減せずに鋭く尖った言葉を何度も私の胸を突き刺し貫かせる
「……ごめん、こんなつもりじゃ…なかったのに 本当に…ごめん」
惨めで、ただ惨めで、私の瞳にも しこたま涙が溢れかえってきた
したたり、鼻水とまざり、唇をきつく震わせた
自分の罪を強く責めた
(…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…)
自分が今、全てを終わらせてしまった
目の前の友達を、またこんなにも酷く傷つけてしまった
有珠を助けられず泣かせてしまった
ひよりを最後まで悩ませ、何度も謝らせてしまった
仲間をバラバラにして傷だらけにしてしまった
崩壊する真っ暗な世界で、ぐじゅぐじゅの瞳からはさらに涙が流れていく
ゴミ箱みたいな色の部屋が、裂けた二人の少女の心を止めるすべもなく、どうしようもなく狂わせた
「なんか言えよ! ゆりが始めたんだろ!! 」
涙声まじりに枯らした声で灯が尚も叫ぶ
「…っッ …灯 ごめん…ッ 」
なにか言わなきゃいけないのに、私はただ止まらないどしゃ降りの涙を止められなかった
「もう…終わりだな もう…ライブにも、行けないんだな 」
「違う、違うの…違うんだよ! 」
嫌だ嫌だ嫌だ、離れないで…!
お願い、お願いだから…!
それから、灯はゆっくりと口を開いた
ゆっくりと、最後に、本当に小さく呟いた
「……‘さようなら’…」
そう言ったんだ、言ってしまった
真っ赤に腫れた瞳がこちら側を睨み付けて、悲しげに彼女は最後に確かに言った
「………ぁ…」
その数秒間、私は理解が出来なかった
何がおきたのかも、何を告げられたのかも
口は半開きのまま、流れていた涙は止まる
変わりに世界が白黒のスローモーションになった、気持ち悪くうねっていた
そして、冷たい上履きの足音が密かに、ぺたりぺたりと部室を去っていくのを感じた
暗闇の中で、今 最後の友達までもが消えようとしていたんだ
一歩一歩、影が離れていく、音が消えていく…
「ぁ……ぁ… 」
動けない、声も出ない、瞬きすら出来なかった
呼吸さえ出来ているのか分からなかった
ただそのあまりに頼りない無力な身体は、灯との最後を呆然と
見送った
――バチンッ!!
私を切るように、灯は殴り付けるように部室の扉を閉めた、古びた扉が痛々しく大きな悲鳴をあげた
「…ぁ…灯… 灯」
その瞬間、私の中で何かが壊れた、プツンと小さな音と共に何かが崩れ去っていった
立ち尽くしていた足が砕けるようにして、私は床に倒れた
もう、何もかも終わった
完璧なまでのバットエンドだ
見たこともないくらい、笑えるくらいなバットエンドだ
先週なら有珠とひよりが助けてくれた、でももう二人もいない
…そうなんだ、私みたいな劣等生の落ちこぼれがこんなことするのが間違いだったんだ
これが、所詮 私の当然なんだ
本当に、すべてがここで終わった、終わったんだ、…元通りに戻ったんだ
「…ぅっ…ヒクッっ…」
窓に雨粒がポツポツ当たる音を背に、電気も付けない、寄りかかれる温もりもない、私は独りぼっちで小さくうずくまり涙をすすった
まぶたの裏側には、異常なまでに懐かしい感情がどっと押し寄せていた
二週間の日々の間、何かに青春や喜びを感じたこと
何かに勝てそうで無我夢中にあがいていたこと
物置小屋を部室に変えた日の精一杯の汗の喜び
一緒にアイスを食べた帰り道の笑顔も
夕立に打たれて幸せを感じた気持ちも
夜空の丘、有珠がくれた小さなキャラメルの大切な味も
その全部がかすんでしまうくらい、静寂は私を何度もズタズタに傷つけた
「……ぐすっ…ッ」
大切な大切な思い出が、唇を噛み こらえる雫と一緒にこぼれるように流れていく
何時なのだろう、街からは太陽の光は完全に消え、煙るような色や匂いを漂わせていた
雨は強まり、広い部室に朽ち果てたほんの小さな心を冷やした
不意に視線をあげると、微かな視界の先に灯の身につけていた、あの‘白いヘッドホン’が無造作に床に転がっていた
偶然…じゃない、捨てたのかもしれない
(……)
近づいて手に取ってみた、冷たい手のひらにわずかに残った灯のぬくもりが伝わる
――めっちゃくちゃ痛いんだよ!!
――頑張ってたんだよ!!
思い出される灯の狂い叫んだそのセリフとともに、そばにいた愛おしすぎる彼女の温かさが、また私に涙を溢れさせた
ずっと一緒にいた、ずっと一緒いたよね
どれだけ感情を抑えてみても、どれだけ我慢してみても、寂しさは溢れて、震える唇は止まられなかった
胸の奥が痛くて痛くて、想えば想うほど、今にも潰れてしまいそうだった
――大好きだよ
そう言ってくれたのに、大切だったのに…っ
(恋しいよ、恋しくて恋しくて…たまらないよ…っ )
――大好きだよ
「ぅ…うぁぁ…ッ 」
そして私は、押さえきれない気持ちに、また泣いた
叫ぶようにおいおい泣いて、過呼吸寸前になるくらいに泣きじゃくった
どれだけぬぐってみても、両手がびしゅびしょに汚れても、ぽたぽただくだく溢れる涙が止まらなかった
鼻水はずるずる粘って、顔をぐちゃぐちゃ汚して泣き崩れた
(死にそうだよ…灯 )
(孤独は嫌だよ…、会いたいよ…っ 皆ぁ…ッ)
貴女のヘッドホンを胸に抱きしめて、私はいつまでも隙間だらけの身体を震わせた
………
私はただ、ずっと皆と一緒に笑って ココにいたかっただけなのに、ただそれだけなのに
…冷え切った30度の身体には、それすらも叶わないことだったのかな
***
それからどのくらい独りぼっちだったのだろう
すっかり深い夜になっていた
やっと立てるくらいになって、私も真っ暗闇の部室の出口に足をひきずって向かった
灯のヘッドホンは机の上においたまま、自分のカバンだけを持った
この世の悲しみを詰め込んだような部屋の扉をゆっくり、音も立てないくらいにゆっくりと、見納めのように開いて閉ざした
もう… ここに集まることも、ここに来ることも
たぶん…ないんだろうな
ありがとう皆、本当にありがとう
じゃあ…
‘さようなら’