第34話
日も落ちかけ、辺りには影と静寂が深まるころ
広く薄暗い屋上の中心に私はいた
ひっそりと、冷たいコンクリートにひざまづきへたりこんでいた
膝が汚れるとか、もうそういう当たり前の事もよくわからなくなっていた
心から大切だと思えた人間をひとり失ってしまった
その悲しみや痛みや、言葉にも出来ない大量の想いや、抱えきれず込み上げた感情に、あまりに脆い私の小さな身体はまともに立つことさえ出来なくなっていた
でもきっと私だけじゃない、こんなもんじゃないくらい、今は有珠が一番傷ついている
部室で待つ灯とひよりもそうだ
今日までずっと頑張ってくれて、やっとウィッチを捕まえられるかもしれない寸前まで来たのに…
もう明後日の作戦も出来ないかもしれないなんて
このまま、どんな顔をしてあの部室に帰ればいいのかな…
いつの日か、偽物の有珠ちゃんにチョコ色が美味しそうなんて言われた髪を、無惨にだらんと垂らして、顔を覆うようにして私は泣いた、泣き叫んだ
「ぅ…うぁぁああ…ッ! 」
かすれたちぎれそうな声で屋上に叫んだ
誰にも届くことのない悲痛な叫びは、バラバラになりそうなくらい響いた
ごめん…、ごめんなさい…、本当にごめんなさい
――何だよお前、友達も助けられないで!
――死んだほうがいいんじゃない?
――どうせお前なんか誰の力にもなれないんだよ!
自分を責める内の声が、有珠や灯やひよりの声に変換されて頭をガンガン叩いた
身を切られるように辛かった
どうしようもなく痛くて痛くて、こんか世界から今すぐ自分を葬り去りたかった、息をしている自分が憎たらしかった
(なんで…)
どうしたら、私達はこんな地獄から救われるんだろう?
心が軋んで悲鳴をあげた
わけもわからず、私は小さな右手で硬い屋上の地面を殴った、何回も強く殴り付けた
「ぅぁ…ッ! ばかぁ…っ! 」
三発くらい殴ると、柔らかい拳の皮膚と骨がずきずき痛んだ
薄皮がめくれて血がじわりと滲んでいた
(…なんやってんだろ、私)
手じゃないほうの痛さに空を見上げてみると
景色がひどく滲んでいた
世界がぐにゃぐにゃにぼやけた
(ぁぁ、違う… )
これは涙だ、大粒の涙が濁流のように滴り落ちているんだ
一度、視界を閉じた
閉じたまぶたさえ、涙は溢れて出てきた
またぽたぽた落ちる
苦しいくらい、ぼたぼた落ちてくる
「…っ…ひっく…ぐすっ 」
耳や鼻まで熱くして、呼吸が乱れるくらい小刻みな鳴咽を繰り返した
鼻水だってみっともなく出ていた
(…助けられなかった…っ )
灰色のコンクリートの地面が容赦なく溢れる涙をすする
尚もボロボロの右手から流血した赤いものがぽたりと落ちている
それらが灰色に染みを作っていた
ずっと泣いた、とても誰にも見させられない姿で、耳障りなくらい泣きじゃくった
大嫌いな世界は、また当たり前に、鼻歌でも歌い上げながらのように、簡単に今日を終わらせようとしていた
***
「………」
しんみり、暗く人気のない廊下を歩いていた
駆け上がってきた道を、打ちのめされた敗北感を背負って部室へ戻っていく
足が異様に重い、出来るだけ部室には着きたくなかった
通知表が親に見せられないくらい最悪だった小学生の帰り道や、ひどく叱られるとわかっていて家へ向かうときと同じ気分だ
とぼとぼ、遅くて幅のない一歩が、拒むように階段と廊下の帰り道を進んだ
最悪のざまな姿に頭もあがらなかった、おばあちゃんみたいに背中を丸くして肩を落としていた
ため息のようなものを漏らしては、鼻をすする音が廊下に鳴く
薄っぺらい上履きがまた一歩、部室へ近づいていった
***
-軽音楽部 部室-
(………)
鬱蒼とした4階の突き当たりに、私はとうとうたどり着いてしまった
大好きなはずの部屋の中からは、変わらず温かい蛍光灯の光りで満ちているようだった
しかし、捨て猫のような哀れな今の私の姿で、この温もりに包まれる資格はあるのだろうか?
…キィ…
擦れる鈍い音と共に、怯える私は扉を微かに開けた
不意に中の光りが動いた、こちらに気がついたようだった
内側から温かい手の平が扉を開ける
「お帰りなさい、ゆり 」
「ぁ…」
…灯だった
灯の変わらず優しい声だった
優しくて、優しくて、あったかい室内の明かりが、ずっと泣いていた私の身体を包んだ
だから…、また泣いた
立ったまま、さっきまでとは違う理由で、大粒の涙の塊が、灯とひよりの顔を交互に見て頬から落ちていった
「ゆりちゃん、肝心なときにいなくてごめんなさい 」
ひよりが言う
「ゆり、本当に、お疲れ様 」
灯に手を差し出された
近づくと、無抵抗に私は灯の胸に寄せられた
抱きしめられて、くしゃくしゃの髪を撫でられた
ぁぁ…、よかった
安心した、ぎゅうぎゅうに苦しかった胸が一気に緩まった
それと同時に、スーッとだらし無いくらいの気持ちが押し寄せてきた
「灯 ひより ごめん…ごめんなさい…っ だめだった…私 有珠を助けられなかった…ッ さようならって 」
灯の胸の中でぐしゃぐしゃに泣いた、ぎゅっと強く握りしめたブラウスをシワだらけにして、泣いた
自分でも驚くくらいにボロボロだった
「わかってますから、誰もゆりちゃんを責めたりなんてしていませんよ 」
ひよりはそっと、灯に抱きしめられたままの私の右手をとった
そして、何度も硬いコンクリートに殴り付けられたその傷口に、絵柄もない市販の絆創膏を貼ってくれた
「ごめんなさい…もう 本当に私…っ 」
「大丈夫だよ、ゆりがそんなになるまで走ってくれたおかげで、そんなに泣いてるおかけで、ほら 見て? 」
私を抱きしめていた灯が視線を一点に向ける
(…?? )
そこは、部室の奥、黒板の隣だった
立てかけるようにして置いてある黒色のソフトケースに入った灯のベースの横
「ぇ… 」
追いかける前にはあったはずの有珠のギターがなくなっていた
「ちょっと前にな、有珠がさ、めっちゃすごい勢いで走ってきたんだ、ギターだけ持って、あたしやひよりと目も合わせずに飛び出していっちゃったけど 」
「本当に…別人のようでしたね、見ているだけで…痛々しい姿でした 」
ひよりが思わず視線を下に向ける
「ゆりがそんなに傷つくほど頑張ってくれたおかげなんさよ?、有珠が迷わずギターを持って帰ったってことはさ、そういう行動に動いたのはさ、明後日、きっとこの部室と友達との想いを守るため、自身の痛みに対峙する為だからだと思うんだ 」
「有珠が本当に仲間を辞めるなら、わざわざ明後日ギターなんか弾く必要はないはずさよね?、でも有珠は真っ先にギターを手にした、きっと有珠にそうさせたのは、ゆりの気持ちだと思うんだ 」
冷たい身体を更に強く胸に抱きしめて、灯は熱心に私に伝えようとしてくれた
「…っ…ぐすっ…」
「あたしには、走って追いかけるくらいなストレートな優しさは持ってなくてさ、あのギターに忍ばせたあたしのMDディスクは、ゆりのおかけで、明後日きっと有珠に力を貸してあげれるはずだから 」
灯は微笑んで、また髪をくしゃっと撫でてくれた
「でも、ごめん…せっかく、ここまできた作戦も…」
「勝手に終わらせんなって、あたしらはまだ終わってないぞ? 捕まってないぞ?」
「でも…もう 」
「ゆりが行く前にあたし言ったでしょ?、もしだめなら、あたしもひよりもいるからって、一緒に悲しんで、有珠がいなくても作戦が成功できるよう考え直すからって 」
「有珠ちゃんがまた無事に帰ってこられるように、私達はやるべきことをやりましょう 」
有珠と変わりない問題を抱えたひよりが、なけなしの勇気を振り絞る
「そう…だね 」
………
――そうだよ…
こんな世界から這い出すには、やっぱり痛みと戦うしか道はないんだよね
(私、だめだなぁ )
またずっとぐずぐず泣いてるばっかりで
――そうだよ
終わりじゃない、終わりなんかじゃない
明後日、有珠はきっとこれで迷いなく己のカルマと対峙する道を選ぶ
私達の部活の存続は、少女に任せる
そして私のカルマは、灯とひより、…ひよりもまだ明後日はわからないけど
出来るところまでやってみよう
立ち直るには、まだ傷が深すぎた
でも、努力しようとはしていた
やっと、二人の大切な友達のおかけで、長く溢れていた涙は乾いた
そして、私は有珠の真実をゆっくり言葉を選んで二人に説明した
本当の有珠を知ったからと言って、有珠が私達の仲間ではいられないなんて、そんなことは絶対にないと思ったし
誰も何も、望んで悪いことなんて一つだってしてないんだから
ずっと友達でいいはずなんだから
明後日の作戦が終わったら、胸を張ってまた会おう
***
一つの大事件が終わり、私達三人は校門の前にいた
頭上の空はすっかり夕闇の濃紺色に染まっている
夕暮れ過ぎの遠くの空には、微かに濁った桜色がひっそりと残り沈もうとしている
また今日も、一日を終わろうとしていた
もうクタクタだった
けれども、誰もいないあの家に帰るのは、何だか無性に嫌だった
ひとりの夜は、決まって寂しさや不安が増大するから、それでいて意地悪なくらい長いから
「じゃあ、あたしはこれから駅前に行って明後日の作戦に必要な調査とか物とか準備してくるさ 」
「灯? 私も…ついてっちゃ だめかな? 」
「ごめんなー、駅前だから ゆりは来ないほうがいいと思う 」
「そうだよね、 …ごめん 」
自分らしくない子供みたいなわがままにちょっと冷静になる
「謝るなさー 笑え 」
灯がくしゃっと笑う
「うん、…ありがとう 」
私もつられて少し笑う、気が楽になる
「あの…… 」
少し俯き気味だったひよりが何かを口ごもり言った
「む? ひより どーしたー? 」
落ち着きなく身体を揺らす灯が頭を傾げる
「えっと…明後日 」
ひよりが不審な仕草をする
「明後日ー? 」
「……… 」
灯の問い掛けるにひよりは無言になった
理由は、その口先から発しようとしている言葉は、きっと彼氏との約束のことだったんだと思う
「どうした ひより? 」
少しだけ、あの嫌な空気が流れていた
「ごめんなさいっ、えっと…何でもないです 」
明らかに何でもないはずがなかった
暗い前髪がそう語っていた
「ホントにかー? ホントに何でもないかー? 」
灯も探りをいれる
「ちょっと不安だっただけです、 頑張りましょうねっ 」
少しひきつった笑顔が、無理矢理な空元気で話しをごまかす
「ぉー がんばるさよっ 」
単純な灯がキリッとした表情になり、両手をグーのまま天高くあげた
「じゃあ、灯 ひより‘また明日ね?’」
さようならなんて…決して言わない
「また明日さー 」
「はぃ‘さようなら’」
一瞬、その何気ないひよりの言葉に反応してしまった
最後の有珠の姿と声を思い出してしまった…
そして私達は別れた
道路向こうの前のひまわり畑は、少し黄色をしぼめ始めている
ただの花に、なぜか胸が切なくなった
家に帰ろうとしたとき
不意に、ポケットに入れていた携帯電話が鳴った
メール受信 1件
(誰だろう? )
パカッと開き確認する
液晶画面には 双葉 奏 の文字が表示されていた
(奏?? )
向こうからメールをするタイプじゃなさそうなだけに、ちょっと驚いた
そしてメール内容に、もっと驚いた
-本文-
「…ゴキブリ出た、きて 」
(は?、なにこれ? )
意味ありげな短い文章だった
けれども‘きて’の言葉に私は反応してしまった
(…… )
誰もいない家に向かっていた足を、並木道へ続く道へ向けた
ゴキブリは私も大嫌いで苦手だ
でも誰もいない家に帰るより、奏のいるカフェにいたほうが、心が安らかに和む気がした