第33話
「人を殺したんだ… 」
少女は静かに、冷酷に、私にそう告げた
「そう…なんだ 」
ちゃんと驚きはした、思わず足元がふらついたし衝撃も走った
身震いや恐怖だってした
でも、なんだろう
それ以上に、今の有珠ちゃんの姿の断片には、むしろそれだけのカルマが蝕んでいる気がして、すんなり納得してしまったんだ
人を殺した、その言葉が、目の前のいじめられっ子兼人殺しの声と瞳には、異常なくらいにピッタリと似合っていたんだ
もちろん、哀れみや悲しみや、ずっと一緒にいた有珠ちゃんを本当にかわいそうにも思った
まぁ、その知ってる偽者の有珠ちゃんとは…今はもう別人だけど
だからなのかな、初めて出会った他人の話しを聞いている気分だった
「これは嘘じゃないから 」
大嘘つきが言う
「…うん」
ただ、私はそっと、現実を受け入れる覚悟をした
有珠ちゃんが人を殺すはずがない、そんなこと出来るはずがない
残念だけど、今の変わり果てた少女の姿では、そう断言出来そうにもなかったから
「正確には…殺しかけたんだ 」
そうして有珠ちゃんは、まるで自白をするように、真実を語り始める
ゆっくりと、私達の友達という関係が離されていく気がした…
「ゆり、その前に一つ聞きたいんだけど、僕が本当にただこんな外見なだけで、どの学校でもクラス中からもいじめられてたと思う? 」
少しふさぎ込んだ表情で、有珠ちゃんがぽつりと口を開いた
「…他にって?」
その問いかけは予想外だった
その問いこそが、有珠ちゃんの真実と…痛みのカルマの現実だった
「いや、別に… じゃあ、これからちょっと、長話をする 」
そう言うと、少女は独り言みたいに、なぞるように過去のトラウマ話を喋り始めた
音のない夕空に、粉まみれの銀髪、痛々しい大きな青痣と白い頬、赤くただれた青い瞳、汚れたそれらが茜色に染まる
「僕はさ、子供のころから、この外見で色物に見られることが多かった、ハーフじゃなくクォーターでここまで外見が向こう寄りになるのは本当に珍しいんだ、ポーランド系、肌も瞳も…そして髪もね 」
その物語は、刺々しい口調に乗せて、自分の哀れな姿をさげすむところから始まった
「僕だって小さい頃は、内になんて篭らず隠すことなんてしなかった、みんなと同じように、人並みに笑って、元気で、こんな男の子っぽい性格だったんだ 」
「…でも、小学校の低学年のころからかな、僕はクラスで周囲の子達から からかわれ始めた、理由は、一人銀髪で黒い髪をした周りとはどうしても馴染めなかったから」
「多分、だからなんだと思う、ウチのお父さんはね、次第に見た目のせいで内気な癖が出来始めた僕が、高学年になって更に浮いて学校でいじめられないように、きっと心配も含めて、優しく‘勉強’を教えてくれるようになったんだ」
「色々親として思ってくれてたんだろうね、大切に愛してくれてたんだと思う、僕は子供ながらにその他人との絶対的な違和感を感じていたから 」
「けれど、中学生になると、そのお父さんの優しさも、半ば強制的に勉強をさせるようになってきたんだ 」
だんだんと、少女の顔色が変わっていく
「テレビを見てると勉強、部屋にいれば勉強、暴力みたいなのはなかったけど…僕には逆らうすべもなかった、この本当の性格は更に内に篭るようになっていった 」
「中学校ではいじめられた、からかいや冷やかしも続いた、家では尚もひどく勉強勉強、期待を超えられなくて心の中には徐々に、でも確実に、傷が増えていった、今思い出しても、楽しい学校生活の記憶なんて僕にはこれっぽっちだってないよ 」
「そんな生活を送って…夏だった、僕の世界を変える出来事が起きた 」
「夕方、僕はたまたま聖蹟桜ヶ丘駅の前を歩いていた、そこで、一人路上でエレキベースを弾き語りしている男子中学生か高校生を見かけたんだ 」
「孤独を生きていた内気な僕に、唐突にして現れたそれは、まさに世界を変える衝撃だった 」
「やばかったよ、あんな大勢の通行人の前でたった一人、汚れを知らないままに自分の存在をアピールする、がさつなベースのぶっとい音色と、口から広がるいくつものメロディが、俯ききってた僕の頭の芯まで響いてきたんだ、生まれて初めて感じた最高の音が僕を導いた、小さな勇気がその瞬間生まれた 」
「すぐに、その人がコピーしてたアーティストのCDを買った、何百回と聞いた、 そんでね、そのアーティストの名前は」
「‘BUMP OF CHICKEN’」
「…ぇ… 」
思わず私は驚いた声を漏らした
だって、有珠ちゃんはBUMPを知らないものだとばかり思っていたから
「知ってたよ、ずっとね、ずーっと前からBUMPは知ってた 」
「初めに、まさかゆりたちからライブに誘われたときは驚いた、でもその反面、かなり嬉しかった 」
「僕さ、こんなだから…友達もいなかったし、かなりの人見知りだったし、ましてやライブの人込みなんて一人ぼっちじゃ行くこともできなくて 」
「…実は、その‘人殺し事件’が起きた日以来、BUMPの曲を聞くとつい思い出しちゃうから、ウォークマンからも…記憶からも消してたのに 」
「やっぱり、好きなんだよね 」
ちょっとだけ‘有珠ちゃん’の笑みが見えた
「話しは戻って、中学生の僕は、その後、真っ先にお母さんに頼んでエレキギターを買ってもらった、本当はあの男子と同じようにベースが弾きたくて、でもベースは中学生の僕の小さな手じゃ不向きで、だから細い弦のエレキにしたんだ 」
「勉強そっちのけで僕は毎日家でギターを弾くようになった、ギターなら自分を表現できる、ギターだけが希望になった、それと同時に、ギターがあるだけで僕は素の僕でいられた 」
「そのおかげなのか、あれだけ勉強って言ってたお父さんも、あまり勉強とは言わなくなってきたんだ 」
「…けどさ、そのかわりに 」
「ギターの練習に口を出すようになってきたんだよね、ギターのコードやら、まるでレッスンのようにさ 」
「僕は…お父さんの為なんかに、このギターを弾いてるわけじゃいのに 」
「きっとお父さんは、僕が勉強よりギターを熱心にするようになって、将来そういうモノに目指せさせようとしたんだと思う 」
「はぁ、ったく、違うのにさ… 」
「だから、僕が勇気を出してその事を説明すると、お父さんはやっぱり怒った…、怒鳴り付けて、僕の頭を叩いた、初めてお父さんは僕に暴力を振るった、怖くて怖くて、ごつごつした硬い腕で僕は床に押さえ付けらた、頬には擦り傷も出来ていて、そこからは血が滲んでいた、そして、お父さんは僕のギターを取り上げようとした、また…勉強を与えようとしたんだ 」
「そんなことは… させない 」
それを話す少女の声には、憤りや怒りや怨みや、とにかくそういうどろどろしい、綺麗な言葉では表せないモノが滲み出ていた
「だから僕は、その取り上げようとギターを持ち上げたお父さんの腕をはらい、エレキのネックのほうをとっさに握りしめて、まるで…棒やバットのように 」
「ギターを振りかざし、お父さんの後頭部を強く強く殴った… 」
(そっか、だから‘人を殺した’なんて)
「かっとなってやってしまった…、溜まりに溜まった気持ちが爆発して、本当に殺そうとしてた 」
「じゃあ、あのギターのへこみって、まさか…」
つい、私は口を挟んでしまった
「そうだよ?、落として出来た傷なんかじゃない、アレは…父親の頭にたたき付けて出来た凶器の傷」
寒気がした…、あのギターは似ている
まぐろのリリスに、ウィザードのUSBメモリーに
(アレが、有珠ちゃんの痛みの象徴だったんだね )
有珠ちゃんはさらに話しを続けた
「ただ、そのときは何が起きたのか自分でもよくわからなかった、気がつけば、近くにはお父さんが倒れてて、音を聞き付けたお母さんがお父さんに駆け寄ってて、なんか凄い泣いてて、悲鳴もして」
「…自分がいけない存在だって、こんな色をした僕は過ちだって、立ち尽くす中学生の僕は理解した、僕が…間違ってるんだって、いじめられるのは僕が全部悪いんだって」
胸がぎゅうっと痛く締めつけられた
…出会ってからのこの女の子の無邪気だった姿と、本当の悲しい姿を比例して思ってしまう
お菓子を食べる有珠ちゃん、一番最後に遅れて部室にやってくる有珠ちゃん、柔らかい満面の笑みで話す有珠ちゃん、泣きながらスイミーをやってのけたときの喜ぶ有珠ちゃん
その思い出せる限りの全てが大切で、視界がぼやけていった
どれだけ辛かったんだろう、苦しかったんだろう、って
さぞかし、しんどかっただろうって
赤く染まった空が、屋上の悲しさを倍増させた
「すぐにお父さんは救急車で病院に運ばれた、幸い、お父さんは無事だった 」
「でも、それからお父さんは…今も単身赴任という事を理由に、それっきり僕の前には現れなくなった」
「そして学校では… 僕は‘人殺し’というあだ名になった 」
「そうして、そこからだ…、僕はそれまで存在していた‘いけない自分’を偽る事を決めた、決して表には出さないと誓った、そうだ…いい子で可愛い女の子になろう、誰かに助けてもらえるような、か弱い小さな存在に、…僕は見事に変貌した、ギターも弾かなくなった 」
「だけど、高校生になっても、なんら変わらずいじめは続いた、変わらない見た目だけは…嘘をつけなかった、そして僕は、この夏からこの学校に編入してきた、逃げてきた 」
「私立なら…きっと大丈夫だと思ったんだよ、見た目は仕方ない、でも誰も僕の人殺しの経歴を知らないと思ってた 」
「…だめだった… 」
「こんな外見にくわえ、更に人殺しなら、どこでも扱いは同じだった、一度貼られたレッテルは、どうやったって手遅れだった 」
………
「ねぇ、ゆり… 」
睨むような視線を私に向ける
「ただ人と違う事が…ッ、こんなにいけない事なのかな…ッ? 」
少女は、込み上げる涙を止められなかった
何も悪くないはずのその素直な気持ちに、惨めに唇を涙で濡らしていた
元を辿れば、やっぱり有珠ちゃんの見た目が問題だったのだろう
幼い頃から強いられた容赦のない偏見に、親も必死だったのだろう
どんなに性格を変えても、結局はその本人が変わる訳じゃない
変わることを願って、変わらないことを願った、小さな女の子の痛み(カルマ)は、溢れる涙の量と比例して重度の苦しみを滲ませていたのだった
「もうさ、死にたいよ…、ゆりはわかるかな…?、自殺サイトを何回も覗いたり、洗剤を飲もうとしたり、そういうことしたことある…ッ? 」
(洗剤…)
私にそんな経験はない
逆に、有珠ちゃんはそこまで追い詰められた経験が何回も何十回もあるのだろう
「僕はいつまで嘘つきでいればいいの?、僕はいつまで頑張ればいいの? 」
見た目と中身が合っていない大嘘つきは、ただその問い掛けを私に向けた
私には、答えが…わからない
自分の悩みも解決出来ない私に、他者の巨大なカルマを、この数秒で解決策を言葉として伝えてあげられるだけの経験も知識も能力もなかった
私も…ただの痛み仲間なんだ、苦しいんだ
「………」
わからなくて、無力で、呆然とした
有珠ちゃんが泣いている、どんどん溢れている
涙腺を壊して、苦しそうな鳴咽も交えている
鼻水だってこぼれていた
何か言わないと、何か助けてあげないと
有珠ちゃんがずっと苦しんじゃう、ずっと自分がいけないって責め続けちゃう
もう…友達じゃいられなくなっちゃう
灯と約束したのに、きっと有珠ちゃんを助けてあげるって
追いかけるなんて、私が言ったくせに
こんなはずじゃなかった…
「こんなつまんない話、聞いてくれてありがとうね…、僕はselling dayを辞めるよ…」
「本当に…ありがとう、この一週間 ホントのホントに楽しかったよ…、僕じゃだめだったけど、でも…本当に幸せだった、幸せだったよ 」
「そんなこと言わないで、また明日だって…明後日だって…っ 」
「本当にありがとう… 最後まで嘘ばっかりで、本当にごめんね… 」
その続きは聞きたくなかった、堪らず耳を塞ぎたかった、どうか言わないで
「‘さようなら……’」
ぁぁ、本当に言ってしまった…
どうか嘘だって言ってよ…
これも全部本当は嘘で、また子供な笑顔を私に見せてよ
お菓子を食べてよ、…消えないでよ…っ
言い終わった有珠ちゃんが、視線も合わせず私の横を静かに通り過ぎてゆく
硬い屋上に冷たく響く足音が…ゆっくり、私から離れていく
坂道を転がり落ちるように、私達の関係が、終わっていく…
このまま、あの扉を有珠ちゃんが開けたら、もう私達は他人になっちゃう
「ぁ……」
言葉が出ない、怖い…
その瞬間だった、走馬灯のように、出会ってからの思い出が頭を巡った
出会った日の屋上、いじめられてたときの顔、お菓子をいっぱい買う姿、小動物みたいなちょこちょこした動き、あの世界一幸せそうなにこりと笑った表情
(…振り絞れよ…! )
離れ離れになる前に、素直な気持ちを伝えろよ
私は、自分の臆病な感情を怒鳴りちらした
大切なんだろ!、救うって約束したんだろ!、泣くくらい痛みに共感したんだろ!
大切な大切な友達なんだろ!!
「ぁ…有珠っ!!」
初めてだった
私は、少女を呼び捨てで呼んだ、ちゃん付けなしで、遠ざかる背中目掛けて強く叫んだ
「…… 」
別れの間際、有珠ちゃんが立ち止まる
これが、きっと最後のラストチャンスだ
「確かに私達の関係は有珠の嘘で成り立ってたかもしれない、でもさ…!、今ぐしょじょになって流してるその涙に、嘘は一つだってないでしょッ?、本当はずっと一緒にいたいはずでしょッ? 」
「………」
有珠からの反応はない
「有珠?、また、また… 明日ね?」
馬鹿かもしれない、でもそれが最後の最後、私が最大に振り絞って出した声だった
恐々しくて、震えきってて、噛み噛みで…
頑張って頑張って出した言葉だった
「……さようなら」
でもそんな頑張りも、本物の有珠は、呆気なくきっぱりと切り捨てた
振り向きもせず、扉の一歩前でそっぽむいたまま、たった一週間だけだった友達の関係を一瞬で終わらせた…
バタンッ!と、終わりを告げるように強く扉が閉められてしまった
…もうそこには、有珠の姿はどこにもない
殺風景の屋上には、涙ぐむ私だけが、無惨にも独り取り残されただけだった…
………