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第30話

-放課後-


「やっと終わったさーっ 」


夕方のホームルームが終わる


息苦しい狭い教室内で、前の席に座っていた灯が猫のようにうーんと伸びをした


「んじゃ、あたしとひよりは今日これから図書委員だからー 」


「ぁ、そっか、今日って委員会あるんだっけ? 」

「ぉー、だからゆりは先に職員室で鍵貰って テキトーに部室行っててくれー 」

「うん、わかった 」


「はぁ…、まじめんどくせぬー、めっさ帰りたぃー 」

冷たい机に無気力な身体がぺたんと寝そべる


「ほらっ、がんばってー 」

「むにゅぅー、ひんやり気持ちいいのさー 」

冷たい死体の手が、灯の髪をわしゃわしゃ撫でる


起き上がった灯は、ヘッドホンを耳に着用する

「じゃあ、また後でなー 」

そして、話し声の騒がしいクラスメイトたちの間をぬって教室を出ていった


(私も行こう )

廊下には、掃除をしている生徒や話す生徒で慌ただしく溢れていた


職員室内では、私と同じような目的で来た生徒達がたむろっていた、とくに関わることもなく部室の鍵を貰る


西日が眩しい階段を上る

階段を叩く軽い上履きの音だけが鳴る

ぷつりと人が途切れた無性に悲しい最上階への道のりは、およそ生き物という存在が感じられない


4階の廊下は異様に冷たくて、何の音もない

町並みを鮮やかに染めた夕焼けが窓を通じて入ってきている

それに応じて、辺りには真っ黒い不気味な陰が伸びる


この階も部室も、一人ぼっちだとひどく悲しい気持ちになった


部室の扉の鍵を開ける

朝の塗料の痕が一瞬だけ目に映って、なぜか慌てるように視線をそらした


廊下と同じように音も温もりも持たない広い部室

その中央、一人イスに腰掛けてはただ真っ赤に染まった空を見ていた

目がチカチカして視線を背ける、携帯を何度か開いてまた閉じるを繰り返す


また…近くでパトカーのサイレンの音がする


「はぁ… 」

孤独感を抱えると、不必要な不安とか急に邪魔なことばかりを考えてしまう

窓に映った自分を見てなぜか辛くなる


(有珠ちゃん…遅いなぁ )


掃除かもしれないし、用事があったのかもしれない


(…… )


でも私には、あの五時間目に見てしまった机の落書きが、どうしても頭の片隅で居座ってしまっていた

知ってしまった現実に、つい嫌な胸騒ぎを起こしてしまう


時計の針の音が私をさらに不安に責め立てる


(…… )

一人ぼっちを抜け出したい理由もあって


私は部室を出た


そして、有珠ちゃんのいるクラスのほうへと歩いていった


嫌な予感が喉の奥に苦く突っかかる



***

有珠ちゃんのいるクラス、B組付近に差し掛かったときだった


進む廊下から見えた教室の扉からは、悲しげな朱い夕焼けが外の廊下まで伸びていた


そのときだった…


まだ微かに残る夏の匂いが、…悲鳴に変わる


………


最悪だった…


さらに教室に近づいた瞬間、一番あってほしくなかった現実にぶちあたってしまったのだ


朝の事件なんかより、もっと酷い事件

私達の現代社会における、一番身近で、それでいて消すことの出来ない痛みだ


温もりという言葉とはかけ離れたB組の教室の中から、複数の声がした


耳も塞ぎたくなる、残酷な…声が

きっと、落書きの真実と呼べるものが


………


「そうだよ、扉に‘アレ’やったのはあたしらだよ、だから? 」


(――ッ!? )

それは近づいた教室の中からだった

集団の加害者の声が、あたかも何の気無しに、他人事のように響いてきた


教室を覗こうとした一歩手前で、不意に投げ付けられた憤りや怒りや…悲しみ、一気に押し寄せた暴力に足が止まってしまった


つっかかりのある声がためらいもなくさらに続いた


「てかさ、なに軽音部なんかやってんの? 」


「…… 」

「そういうのつまんないからさ、もうやんなくていいから 」


数人が続くように見下して笑う

「…… 」

ターゲットにされている人間からの反応はない


「部員もアレでしょ?、超根暗のオタクとか、残りの二人なんてレズって噂されてんじゃん、落ちこぼれが集まって何やってんだか 」

「色々とメンツ的に終わってるよねー 」


「ああいう人達ってさ…‘死ねばいいのにね?’」


(…… )

鋭く尖った言葉が、胸の奥深くに突き刺さった…

締め付けられるように、小さくなって…またぎゅうぎゅうに痛くなった


「ねぇ、あの部活…‘消してあげようか?’」


(ぇッ… )

自分に言われているわけじゃないのに、今すぐにでも耳を塞ぎたくなった


私達の存在を、…全否定されていた


奴らは誰に言っているのか

誰が傷つけられているのか


該当する人間は、一人しかいなかった

たったすぐそこ、クラスを覗けば、有珠ちゃんがいじめられているんだ


「やめて…くださぃ…っ 」


(――ッ! )

馴染みのある声が教室の中から聞こえた

その震えきった声の主は、やはり有珠ちゃんのものだった

涙のすする…衰弱した弱りきった声だった


「なに? なんか言った? 」

構わず不機嫌そうに奴らは言う


「…やめてください… 有珠だけならいいです…ッ、でもっ、あそこだけはやめてくださぃ 」

小さな存在が尚も構わずぼろぼろにされていく

それでも振り絞って、やっと出せたみたいな声だった


(…… )


――わかるかな?

たくさんの優しさを持つ女の子が、ずっと一緒に笑ってきた大切な友達が、すぐそこで…ゴミ以下の扱いを受けてたんだ…


「ふーん じゃあ提案! 明後日 駅前で花火あんの知ってる? 」


奴らの‘花火’という言葉に、堪らず不安がよぎった


「…… 」


「軽音なんだからさ、それらしくお前があたしらの前でギター弾いてよ 」


「花火当日、目の前で軽音部らしくギター弾いてっつってんの 言ってることわかる? 」


(やっぱり… )

不安は的中した


「…… 」

有珠ちゃんは反応せず黙り込むままだった


「お前黙ってることしか出来ないのかよ、ホント腹立つわ 」


「もし路上ライブで上手かったら、部活は消さないでおくからさー、感動ものだったらいじめもやめてあげるかもしれないんだよ? 」

奴らは、また標的をいたずらに粉々に傷つける


「まぁ、もし無理だったら廃部ということで 」

小ばかにしたように笑う


………


「じゃあがんばってね ‘銀髪ちゃん’」

終いには、有珠ちゃんのコンプレックスまでも踏みにじる

たったそれだけの事が、今の現代における、いじめられる理由なんだろう


集団は大声で悪口を言い続けた


***


私はあまりに脆かった…

寒いわけでもないのに、震えていた

殴られてもいないのに、胸の奥が強く痛く痛くて、…今にも涙が溢れてきそうだった


たったすぐそこにいるのに、かけがえのない大切な友達を、助け出してあげることが…出来なかった


有珠ちゃんが私達の前でさえ打ち明けられないカルマ

たった、机の隅で助けを呼ぶことしか出来なかった理由

誰にも話せない悩みの種が、目の前で見てようやくわかった


(本当にごめん…有珠ちゃん…ごめんね… )


有珠ちゃんは、花火当日、どうするのだろう

もしかしたら、本当に部活…なくなっちゃうのかな


(…… )


私がB組のドアの近くで、俯き立ち尽くしていたときだった


本当にいきなりだった


――動いたんだ、生物が一つ


教室から何かが飛び出してきたと思うと

それは私の前をものすごいスピードで通過して走っていった


間違いない…それはほかならぬ、有珠ちゃんだった


走り抜けた、その背後は


(…同じだ )


出会ったときと同じ悲しみに満ちた小さな背中だった

顔を見ずとも泣いているのがわかった


(…? なにこれ? )

ふと下に視線を向けると、有珠ちゃんが走り去ったところに‘白い粉’が撒き散らされていた


…それは、チョークの粉だった


まだ教室には奴らがいるのだろう

自慢げに勝ったと、単なる暇つぶしの優越感に浸っていることだろう


現に笑い声が聞こえてきたのだから


人を本気で憎むという感情を、今ならウィッチや人殺しの気持ちと同じくらいわかる気がする


もし今この手にリリスがあれば、あいつら全員を…斬ってやりたいくらいだった


お昼休みに撫でた柔らかい髪に、コンプレックスの髪の傷口に、今はチョークの粉をぶっかけられている

有珠ちゃんは、その醜い姿で…逃げ出して


そんななんだよ

毎日毎日…、有珠ちゃんの痛みはこれが初じゃないんだよ


さっき憎む感情があったのに、今度は瞳から涙が溢れそうになっていた


(…… )

走り去った廊下を見て、一瞬だけ、迷ってしまった


灯に言われたように、ただ何もなかったと追いかけず、知らずにまた一緒に笑ってあげる努力を続けるべきか


…有珠ちゃんが机の隅にしか書けなかった痛みを、傷つける結果になろうとも、追いかけるべきか


(…… )

でも私の中の正解は、一秒かからずに決まっていた


『痛みを共有する』

我等がselling dayのルールだ

また痛みに苛まれ、孤独に迷わない為の約束


――次の瞬間


私は、両足で廊下を蹴り飛ばした


奴らに刃向かうように背を向けて、足音をガンガン鳴らした


(有珠ちゃん…ッ! )


過ちだろうが、私は痛め付けられた少女を追いかけた


向かう場所なんて決まっている


私達が出会った場所‘屋上だ’


「はぁ…はぁ…ッ 」

上履きの底を擦り減らすように、階段を全力疾走で駆け登る

階段が強い一歩の衝動に悲鳴をあげる


さっきとは違って、胸の痛みが苦しくはない

足が進まなければ引きずってでも、息を切らして進む


「はぁ…はぁ…ッ 」

4階付近、あの静寂と夕焼けが私をあざ笑う

真っ黒い影や怪しい茜色が私に不安を誘う


そのときだった、廊下の向こうから見慣れた少女が歩いてきた

(ぇ、灯? )

委員会が終わるにしては早過ぎる時間だった


「なはー、ひよりにお願いして灯さん抜け出してきてしまったさっ 」

子供みたいな無邪気な笑顔で灯が笑う


「……」


「ゆり? どうした? 」

灯が心配そうに聞いてくる


今の自分は、髪も乱れて、息まで切らして、首元はうっすらと汗をかいていた


「ゆり?、有珠は? 」


「…有珠ちゃんは…、有珠ちゃんが… 」

今あった事を説明しようとするけれど、うまく言葉と感情がまとまらなかった


「?? まぁ、とりあえず部室入んないさ? 」


「でもっ、有珠ちゃんが屋上に…っ! 」


「うん、わかったから、でもまず落ち着いて?  部室に行こう? 」

「…… 」


「ね? 」

「…ぅん 」


そうして、半ば渋々と私は部室へ向かった

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