第22話
甘酸っぱいような嬉しさを堪えた一時間目の授業の後
窓から外を覗くと、ぼーっと静かに羊雲が気持ちよさそうに空を泳いでいた
お昼前の空高くうっすら浮かぶ白い月は、見ているだけでどこか優しい気持ちになれて
その生ぬるい風景に思わずあくびが出た
さすがの灯も朝のあの事件の後では落ち着いて勉強に励み、ノートを開き真剣に授業に参加している
…ように見えた
………
授業が終わって横から覗いたそのノートに書かれていたものは、黒板に書かれた文字でも教科書に書かれた四角い文字の写しとも違う
音譜に歌詞にギターコードに
昨日も書いていたオリジナル曲制作の続きを授業中にせっせと書きつづっていた
私が問い掛けるわけでもなく灯は楽しそうに
「メロディーは完成しててっ 」
そう得意げな表情でそのノートを私に見せる
楽譜なんて読めない私には目の前のそれが凄いのかさえ分からなかった
それでも彼女は楽しそうに言った
「問題は歌詞なんさよねっ 」
なにやら有珠ちゃんがギターを持っていたから‘有珠ちゃん用’の歌詞に変更しているのだとかで
灯の考えている事はやっぱり分からない
笑える理由なんてどこにもない
でもやっぱり、笑ってしまう自分もそこにはいる
……
***
-お昼休み-
歌うようなせわしない生徒の足音が廊下を響かせる
単調に進む日常のひとこまに
教室で机をくっつけてお弁当を食べるグループ
購買や食堂に向かう人
灯みたいにコンビニに向かう人
私みたいに部室に向かう人
少しだけ平年より暑い穏やかな9月の日中は、空腹より眠気を誘うような陽気だった
……
購買部で買ったパンと飲み物を手に
人っ子ひとりいない寂しい4階への階段を上り、左側に曲がるとすぐそこにある
-軽音楽部-
そのプレートのつけられたボロボロの部屋のドアに手をかける
…ガラッ
すぐさま静かにひなたぼっこする部室の柔らかい空気に身体が包まれる
部屋の中は昨日の作戦のときのまま、中央に机が4つ囲んであって窓辺にはパソコン
そして、学校から借りたギターの横に
灯と有珠ちゃんのなのかな
二つの黒色のソフトギターケースが壁に寄り添いあうように置いてあった
「ゆりちゃん こんにちは 」
そんなことを思っていると、昼間の穏やかな空気に一人 優しい声が聞こえた
「こんにちは 」
またも一番乗りのひよりは、窓辺に咲くミニひまわりに水をあげていた
(…昨日の事は、やっぱり聞かないほうがいいのかな )
ひよりが昨日の事はなかったように、まるでいつもと何も変わらない様子の仕草だったことに私はそういうことだと無意識に理解した
広くまったりとした空間にふたり
……
「こんにちは なのです 」
私の来たすぐ後で、その聞き慣れた小声と共に扉がほんの小さく開いた
辺りをキョロキョロと見回して私とひよりを見つけるとビクッと身をすくませる
嬉しそうな怯えるような、そんな瞳でこちらを向くのだった
私とひよりがこんにちはを届けた瞬間
幼い身なりの有珠ちゃんはホッとしたように部屋にとことこ入ってきた
「やぁ 諸君~集まってるさねっ 」
そのほぼ同時だった
無防備に第二ボタンまで外し、ブラウスをスカートの外にだらんと出した
一目で分かる柔らかい栗色の髪をした彼女も有珠ちゃんの後ろから入って来た
「灯 おかえり 」
そうして、なんでもない幸せな日常がまたやってくる
ひっそりと孤立した部屋に
何も言わずとも四人が囲まれた席に座り、それぞれにご飯を食べ始める
「灯、また抹茶いちごメロンパン? 」
「むー、いいじゃん好きなんだから 」
「よくそんなまずいパン食べれるね… 」
「なっ!、ゆりは失礼だぞー 」
メロンパンを両手でにぎりしめていじけるように頬っぺたを膨らませる
「ふふっ、人気がなくても灯ちゃんは好きですもんね 」
「ひよりは今日もお弁当? 」
「はい、ありきたりですが今日もお弁当です 」
大人っぽいひよりには意外な可愛いらしく丸っこいお弁当箱に、それ以上に女の子らしいコンダテに少し くすっと笑ってしまった
「有珠ちゃん…は… 」
(これは、お昼…ごはん?? )
「ふにゃ?? …もぐもぐ 」
有珠ちゃんの机の上には、購買で売られている まるごとバナナにプリン、そして自分で持ってきたらしきチョコパイがひとつ
「有珠ちゃん?、お菓子も大事ですが、お昼ご飯のときくらいはお菓子以外のものを食べましょうね? 」
「にゃぅ…、プリンとチョコパイはお菓子ですが、これはお菓子じゃないのです、主食です 」
そしてまるごとバナナを小さな口両頬いっぱいに頬ばる
そんな猫がじゃれあうように穏やかな光景と、微かに広がる甘い香りの漂うきだった
「ッきたーっ! 」
(!?っッ )
横でメロンパンをあらゆる方向からかじっていた灯が何事かといきなり大声をあげる
「ッ…びっくりしたっ なに いきなり 」
「ほらー見て みんなの飲み物が揃ってるんさよっ 」
「「「??? 」」」
灯がおもむろに皆の机の飲み物を指差す
「ほら、リプトン、午後ティー、リモーネっ 高校生 人気三大飲料が揃ってるさ! 」
(…… )
灯がまたくしゃっと嬉しそうに笑う
「本当ですね ふふっ なんだか幸せな気分になりますね 」
透き通った優しい表情に笑顔が燈る
「全然 別々に買ったのにすごいのですっ 」
純粋な楽しそうな声もつられて溢れる
「…私だけ違う 」
(…… )
私が購買で買った飲み物は ミニ紙パックの豆乳だった
「ゆ、ゆりはほらっ …ぇっと てかなんで数ある飲み物の中から豆乳チョイス?? 」
「…… 」
「…だって 健康にいいらしぃし…痩せれるって 」
下唇を渋くして、何だか本気でいじける自分に自分で寂しくなってくる
「そっかぁ そうなんだぁ ニヤリッ 」
(ぅぅ…~ )
隣にいた灯にまたあのニヤリとSな表情で頬擦りされてしまった…
正直に寂しくなった気持ち
何も知らないふわふわした仕草に癒された事は
言いたくて、でも言えるはずもなかった
***
小さな奇跡を並べて写メに撮って、ご飯も食べ終わった後のお昼休み
「いきなりバッサリですがっ、今から -軽音楽部-初活動- をしたいと思います! 」
そう突拍子もないことを言ったのは、またもリーダー灯だった
「本当にいきなりですね 」
「灯? 作戦は? 」
「今日の作戦は放課後からなんさよー 」
「? そっか 」
「一応は軽音楽部だしさ 廃部とか…嫌だし、こうして部室借りてんだから、形だけやっとかないと」
灯と有珠ちゃんは部室の奥に置いてあったギターとベースをおもむろにケースから取り出し始める
「なんだか楽しそうですね 」
昨日…あれだけのことがあったとは思えないひよりの行動
いや…あれだけのことがあった今日だからこその、ひよりらしい行動だった
有珠ちゃんの取り出した自前のギターは、なんとも有珠ちゃんらしいと言うか
「有珠のギターはテレキャスターかー、可愛いさねっ 」
「はぃ、テレキャスのBLUE METALLICっていう種類?色?です とっても軽くて動きやすいですし ネックも細いので有珠向きですっ、あとテレキャスの音が一番好きだったのにゃぁ 」
(可愛ぃ… )
柔らかい水色のボディーに白色のピックガード
細いネックの根元付近の片側が丸くえぐられれたシングルカッタウェイ
肩にかけてギターを持った有珠ちゃんの柔らかい雰囲気にとっても合っていた
「あれ?? なぁ有珠ー? ギターのカドっこへっこんでるけど? 」
「……ぁ、これは前に間違えてうっかり床に落っことしてしまって… 」
「ありゃ、ドジッ子さんめー まぁ 有珠は傷がつくほどギターやり込んでんもんなー 」
水色のボディの下の部分、色が剥げかけたへこみが一つ見えた
「ふふー そして灯さんのベースはー♪ 」
灯もケースからもぞもぞと自前ベースを取り出す
「じゃーん、プレシジョンベースぬー 」
「にゃふーっ、まさかのプレベですか 」
(専門用語がすごぃ… )
正直、何がなんだかさっぱり分からない
取り出された灯のベースは
ほろ苦そうなコーヒーみたいな黒色を全体に、中央をオレンジ色に近い橙色、そしてボディーの半分くらいをしめる白色のピックガード
いつものフワフワした灯が肩にベースをかけると
なんとも落ち着いたイメージに変わるというか、かっこよくて似合っていた
「ふふっ なんだか軽音楽部みたいですね 」
「いや ひより、こんなでも一応ここ軽音楽部だよ? 」
「あら? そういえばそうでしたねっ 」
深刻なツッコミ不足の軽音楽部
またひよりが楽しそうに微笑む
ひよりはといえば、お昼ご飯に飲み物を買ったレシートで器用に鶴を折っていた
ふと視線を戻すと
有珠ちゃんは前髪をヘアピンでサイドにとめていた、前と同じ、おでこを出す姿となって
灯はすでにミニアンプに楽器を繋いで弾く準備をしていた
「有珠ー? BUMPだったらなんか簡単なの弾ける? 」
「ホリデイなら得意ですし大好きなのです 」
「了解さー ぁ…あたし下手くそだからあんま技とかアドリブなのは勘弁なー? 」
そんな会話をイスに座ったまま聞きながら
胸の中では初めてこんなに近くで聞く生の楽器演奏に高鳴っていた
「じゃあ軽音楽部 初演奏っ BUMP OF CHICKEN ホリデイ 」
その合図のすぐ後だった
――ギャイィーンッ!!
「ッ!! 」
鳴り響いたその瞬間、つい身体がピクリと震えた
あんな幼い有珠ちゃんとギターから、すぐさま部室に大音量が覆う
後に続けて灯の優しい図太い低音が耳に響いてくる
微かにイメージしていた想像を遥かに越える戸惑い、口が半開きになる
あんなに細い指先で押さえたコードから出ているとは思えないシンプルな乾いたギターサウンド
シャリシャリ、チャキチャキ、としたきらびやかな迫力のある音
緩くて優しいストロークなのにハッキリとしたシャープな音が心地いい
その下に重なって灯の重低音が胸に響く
しっかりとした芯のある音を中心に、柔らかく分厚い低音が部屋中を覆っていた
――そして
(―― 楽しそう )
日中の夏の匂いが差し込み、窓からはそよ風が通りかかる
それと共に
楽しそうに笑顔を合わせて弾くふたり
たまに声を出して歌詞を揃えて歌うふたり
周囲を漂う音の素、ふたりから前より大きなハープがもっともっと遠くに颯爽と抜けていく
でっかい歪む電子音が私達の汚い物を何一つ塗り潰して絞り染めて巻き込んでゆく
気がつけば、爪先を浮かせて無意識にリズムをとってしまっていた私がいた
その溢れ出すリズムは一呼吸するたびに景色を変えて胸いっぱいに私を感動させて
それでいて
ちょっとだけ…羨ましかった
時間にしてたった3分弱
でもそれでも、たったそれだけの時間でも
私は今までの痛みを例え一瞬でも忘れられるほど、夢のようにあがくように…
あらためて音楽の素晴らしさを噛み締められた
灯がなぜ軽音楽部にしたのか
なぜ有珠ちゃんにギターを持って来させたのか
その意味がわかった気がした
作戦ではない軽音楽部本来の初めての活動は終わった
なんの変哲もない お昼時の学校に
確かにそのメロディは、誰も寄り付くことのない省られ者の部屋から 鳴り響いていた