第1話
気がついたときには
物と物とが激しくぶつかり合う鈍い衝突音とともに、弟の身体が潰れる音が響いていた…
意味がわからず、ただ…あわてふためきながら必死に擦り寄せた弟の小さな身体は…
ほんの前まで笑顔で俺のお祝いお祝いって言ってた弟の身体は
……
轢かれた道路に無惨に横たわり
……
両手で止まった肌を何度と何度も触ってみても、その感触はすでに… もう別のモノだった
みっともなく右手はありえない方向にねじ曲がり…
綺麗な柔らかかった白い顔はコンクリートに擦り付けられ傷だらけに成り果て、そこからは赤黒い血が滲み流れ落ちていた…
ついさっきまで俺と一緒に無邪気に笑っていた弟は、俺の目の前で一瞬にして、とてもその名前とは掛け離れた姿になってしまっていた…
‘弟’とは、到底呼べないものになってしまっていた
頬からは意味のわからない大粒の涙がとめどなく溢れ出てきた…
―いやだ…っ、いやだ…っ、死なないでくれ…っ!
―― 死なないでくれ…っ!
………
……
弟の死体と死体みたいな俺の周りには、まるで見せ物を見るのように群がる警察やら人やら
…見んなよ…ッ、俺の弟は…っ!
お前らの見せ物なんかじゃなぃんだっ!!
***
――
それから何時間後だろうか
必死に離れないようギュッと抱きしめ続けた手の平やシャツには、弟の死体から滲み出た赤黒い血がべっとりと染み付いていた
そして
白黒の世界の重いアパートの家の扉を開けるとさ
…ほんとにあったんだよなぁ…
電気も付けない小さなリビングのテーブルの上に
‘兄ちゃん退院おめでとう’
って書かれた馬鹿みたいにでかいケーキ…がさぁ…
俺が好きなちょっと型崩れした弟の作ってくれたハンバーグも一緒に、大切そうにきっちりラップに包まられてあった…ッ
もう、……冷めたそれを一口食べたとき
口に広がる弟の温もり味を感じて、初めて実感したんだ
ぁぁ、もう…ホントにいないんだって…っ
もう…あいつの、あの元気な声も笑顔も一生見ることはできないんだって…っ
‘…殺されたんだって…っ!’
もうぼろぼろ痛いくらいに泣いて…食ってた
…………
………
結局それから何日経っても
あいつを奪った、俺の全てを一瞬にして殺してった車の犯人は
見つからなかった…
それからだ、…どいつもこいつもが憎くなった
毎日あるこんなに見慣れた夏景色はいつもと変わらず
けれど、どこにでもある日常が、日に日に崩れていった…
***
-2008年-8月16日- 夏-
世間では夏休みど真ん中だったこの日
俺は死に場所を探すように海に来ていた
ふと辺りを生気のない瞳で見ると
兄妹なのかな
優しそうな兄と、ちっこいストレート髪した女の子が、こっちにも聞こえるような声で「おにぃおにぃっ」ってはしゃいでる姿が見えたんだ
そうだよな
そういえば…夏休みだもんな
あいつが生きてたら…俺達も夏休み、こんな風に久しぶりに海行って遊んでやりたかったな
なんで海になんて来たか
もうさ…
試しにいなくなってみようかなって思ったんだ
………
……
日が落ちかけたころ
俺は近くの手頃な崖の上に立っていた
波の具合からして頭から真っ逆さまにいけばまず死ねるレベルだ…
ホントに死にたいと思う人間は、愚かしくも簡単なもので
ためらいもなく…
‘死’にザっと右足を前へ踏み出した
そしてすぐさま、身体はさーっと無抵抗に崖から前へと落下していった
落下する寸前、今死んだと思うと
なんだろうな…不意に急に些細なことが輝いて見えてきたんだ
冷めきったあの弟のハンバーグの味、あいつの無邪気な笑顔、朝のおはよう
せめてもう一度だけ
あいつと一緒に
退院祝い… したかったなぁ…っ
そして俺は崖から真っ逆さまに落ち、海に首を打ち付けられ
真夜中の海でゴミのように波に無抵抗に揺られ
徐々に身体は沈んでいった
…それもまた、ゴミのように…
冷たい冷たい闇の底、身体の全てに海水がまとまりつきこびりつく
死んでいたような自分も、確かに呼吸をして生きていた事を実感する…
指先から徐々に、人事のように自分の身体の感覚が離れていく
だんだんとそうやって全身の感覚もなくなり、一欠けらも酸素のなくなった頭はその一生の意識を静かに閉じてゆく…
ただその終わる世界の中で俺は、もう一度だけあいつの笑顔を見たんだ
「おかえりっ 兄ちゃんっ」
…って 毎日帰ると笑顔で笑ってくれたあいつの姿…が
それなのに
叫びたいほど愛おしいのに
目の前にいるのに…っ
…どこを覗いてみてもあいつの笑顔は見つからない
「ぁ、ァ…、俺 死…ぬ…ん…… 」
………
……
そして俺は、ゆらゆらと砂と舞う波の底で
誰も知らない存在のまま、ちっぽけなゴミのように
―――‘死んだ’
呆気ないものだった
(俺の人生…なんだったんだろうな… )
今思ってみてもこれは愚かな行為だったかもしれない
しかしただそのときは、それなりの気持ちで俺は死んだんだ
……
けれどなんだろう
その寸前、魚のような …魚じゃなかったような
決して動物とは違うような‘何か’を俺は見た気がしたんだ
…………
………
***
そして俺は
気がつけば、市内の病院のベットの中にいた
首の骨を折る重傷…
なんでまだ生きてるのか、自分自身でさえわかんなかった
一人冷静に今まであった事をベットに横たわり思い出す、走馬灯に近い光景が頭にどっと押し寄せてくる
あいつといて楽しかったこと…辛かったこと
笑顔、膨れっ面、泣き顔 …死体
実感する、自分は幸せだったのだと…
だけど弟が死んで、今の俺がそのせいで死んだら、向こうのあいつはどう思うだろうか?
悲しまない…訳がないに決まっている
色々とだ…そんなふうに想って
またひたすら俺は…ベットの中で大粒の涙を流した
噛み締めた唇が痛くちぎれるほどに、誰にも知られぬまま泣きじゃくった
理由なんてわからない
弟がいない悲しみや孤独か、今の自分があまりに愚かで惨めだったのか、向こうの弟を悲しませてしまった不甲斐なさにか、死ねなかった絶望になのか
ただ…
広い病室に独りぼっちで、俺はひたすら泣いた…
………
そして思った
違う、俺がすることは自殺なんかじゃないんだ
俺が…することは ――
――
この街のどこかに絶対いる、弟を轢き殺した奴を
必ず見つけ出して、弟がどんだけ痛々しく死んでいったか、その顔面ぶん殴ってでも教えに行くまでは
まだ…死ねない
ベットの中のひん死の俺は…それから小さく決心した
あのとき、たしかに俺は死んだ気がしてた ――
でも生きてる
その罰なのかな
俺はあの日以来、体温が異常なまでに低くなった、それは普段平熱でも…約30度程度の体温だった
そして
どっから来たのかわからない、今はもういない、ガランとあの日のまま空気や思い出やなにもかもが手付かずに止まった淋しい弟の部屋の押し入れの中から
二つの秋刀魚を横たわって見つけた、腹にバーコードナンバーのような印で
「Merryssa,(メリッサ)」
「Melt,(メルト)」
そう刻まれて
………
***
-それから約一年後-
近くの男子高に入学して夏休みも終わるころ
未だに警察はちんたら犯人を見つけていなかった
(もう…お前らなんか信用しない )
しかしそんなときだった
俺は‘あるモノ’のおかげで、とうとう弟を轢き殺した犯人を突き止めたんだ
あいつを…俺たちを殺した奴らを!
1人じゃなかった、4人だった …グルでずっと隠してやがったっ
………
なぁ…お前らに教えやるよ
大切なモノを奪われた人間の悲しみを
死んだ人間の孤独を生きる味を
――だからあの日の夜、決めたんだ
絶対これを果たすまでは
涙は流さないと、死なないと
静かにたたずむ夜の聖蹟桜ヶ丘を進む中、弟の遺産の携帯電話をポケットにしまって、俺は
メリッサとメルトを両手ににぎりしめ
出かけた
復讐と狂気に溢れた眼には、弟を殺した奴らなど
両手の鋭利な刃物で切り刻み殺しても仕方ないと思うまでに狂っていた
8月31日と9月2日の深夜
俺は弟を殺した共犯者二人を襲い、無我夢中で斬った
憎しみに流れた狂喜の喜びは、堪らず孤独や絶望を満たした
そして今夜…
-9月7日-(日)-
深夜
新しい週初めを迎える夜
「兄ちゃんな、またこれからもう一人斬ってくるよ… 」
「‘…美弦’」
この世にはもういない、たった一人
大切なあいつの名前を遺産の携帯に呟いて…