「矢の洗礼、静かなる応答」
風が変わった。
一歩踏み出した瞬間、森の静寂が音を立てて裂ける。
――ヒュンッ。
空気を切り裂く音。瞬間、右手が勝手に動いていた。
一本、二本――矢が手の中に吸い込まれていく。反射だ。訓練された体が先に動く。
三本目、四本、五本……六本目は胸元スレスレ。
残りはストレージから引き出した金属板で受け流す。
足を止めず、無駄な動きも一切ない。
「……やるな。だが甘い」
矢を握ったまま前へ進む。
引き絞る気配、気配、気配――全部見える。
風の流れ、枝の揺れ、射手の呼吸まで読める。
森での生活が、明らかに俺の五感を研ぎ澄ませていた。
栄養も取っている。睡眠も確保している。筋肉は軽く、体は柔らかく、無駄な重みがない。
――俺は今、"最適化された状態"にある。
矢はもう十本を超えていた。けれど一度も当たらない。
俺が避けているのではない。**向こうが当てられていないのだ。**
「攻撃の意思は理解した。次はこちらの意思表示だ」
拾った枝を一本、地面に突き刺す。
その上に、矢を一本だけ立てて、残りをその周囲にゆっくりと並べた。
“撃てるが、撃たない”
“受けたが、怒らない”
“対話を望む”
それを、言葉ではなく行動で示す。
空気が止まる。
次の矢が飛んでこないのを確認して、ようやく一息吐く。
「姿を見せなくてもいい。だが、この密書は渡す。黙って見ていろ」
ストレージから密書を取り出し、透明な防水袋に入れて木の枝に結びつける。
その枝を、ゆっくりと地面に立てる。俺の身長ほどの高さ。
視界のどこかで、葉が揺れた。
「聞こえるなら伝えてくれ。お前たちが何を選ぶにせよ、俺は止まらない」
森の風が、わずかに温かくなる。
精霊たちか、監視者か――誰の意思かはわからない。
だが、少なくとも**敵意は一時的に止んだ。**
それで十分だ。
俺は背を向け、矢が飛んでくることなく、静かにその場を離れた。
背後に残したのは、束ねた矢と一本の密書だけ。
それが、対話の始まりとなるかは、あちら次第だった。