シナリア・ホワイナル
ジラハルが目を向けた先で、見計らったかの様にノックの音と数拍後にサラの声が応接室の扉の向こうからする。
「入れ」
短いジラハルの返答の後、数拍おいて扉はゆっくりと開かれ、サラと共に四名のスラム上がりのメイドがキャリアを押して入ってくる。
「お待たせして申し訳ありません。お飲み物の準備が整いましたのでご用意させていただいてもよろしいでしょうか?」
静々とジラハルに頭を下げ、許可を求めるサラと他四名に無言で頷き、ジラハルはシナリアと老齢執事に向き直す。
「とりあえず、先に断っておくぞ。今から出すものは、お前達を貶しているわけでも、見下している訳でもないし、貶めるための物でもない。サラ、やってくれ」
ジラハルの突飛な前置きがシナリアと執事には理解ができなかった、そのあまりにも不可思議な言葉にシナリアは今までの緊張を忘れたように執事と見合った後小首を傾げる。
その仕草がようやく年相応の美少女との見た目と相成り、ジラハルの胸を打った。
(かわいすぎかよ……くそぅ、今までの事、特にここ数年の行いが無ければ口説いてると言うのに)
ジラハルは、転生した記憶の覚醒前の自身の行いを呪っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
飲み物の準備を見て、シナリアと執事の二人は目を見開き、そして少し和やかになっていた空気は一瞬で凍りついた。
だが、サラの用意した飲み物を平然と口にして「いいから飲んでみろ。話はソレからだ」そう告げたジラハルの言葉もあり、二人はソレを口にし、別の意味で驚愕と共に目を見開いたのであった。
理由は二つ、一つは、苔から搾られた水が口当たりが良く、変な雑味も、臭いもない、それどころか染み込む様に口腔と喉、胃の腑へ落ち着き、微かな甘みとまろやかさを兼ねた物だった事。
二つ目は、ソレがあり得ないほどに冷やされていた事。本来飲み物は、自然冷却が基本である、井戸水を使い冷やす、または冷暗所で保管し冷やす。だが、ソレにしては冷たすぎたのだ、二人の知るこの時期の冷たさとは比べ物にならないほどに。
まるで、北の山から春先に流れる雪解け水の様に冷えているのだから。
「こ、これは一体」
先に驚きから立ち直り言葉を発したのは、老齢の執事だった。
「ただの苔からとった水だ、少しそこの侍女サラが魔法で冷やしただけのな」
「ま、魔法!? サラ殿はウェンマ家の血族だったのですか!?」
シナリアは驚きのまま、ジラハルの後ろに控えるサラを見つめ問いを発した。
「サラ、答えていいぞ」ジラハルが許可を出すと、サラは笑顔で首肯し口を開いた。
「わたしは半年前まで、何も持たぬ貧民街で育っただけのただの貧民です」と。
それを受け、シナリアはさらに目を開いて今度はジラハルに目を向けて問いを続ける。
「魔力持ちはブラン王国では西のウェンマ公爵家縁の者、しかも、その中でもかなり数が少ないはず……もしや、スラムの子らを攫ったのは……彼女を見出したからですか? ウェンマ公爵家の妾の子と知って……」
「くっ、ははっ、中々面白い思考をしているな、シナリア。そんな訳なかろう」
「で、では、魔力持ちと言うのは偶然……とでも」
「執事よ、名はなんと言ったか?」
「大変失礼をしました。わたくしはホワイナル家筆頭執事セブゼンと申します。王子殿下、まさか本当に偶然だったのでしょうか?」
「偶然、ではなく、必然と言えたらよいのだが、まぁ、結果は偶然でもあったし、必然でもあったと言ったところだな」
言葉を受け、首を傾げるシナリアと、もしかしたらと当たりをつけ、真剣な眼差しで彼を見つめる老齢の執事、セブゼンを見て満足げに頷きジラハルはこれまでの事を話した。
苔の水を見つけるまでの流れと、結果。実験と、試行の数々を。
その話を最後まで聞き、いかにしてジラハルが北の領地へ食糧をもたらすのかを察したセブゼンが、いまだに理解の追いつかないシナリアに耳打ちをした。
「お嬢様、コレはジラハル様からの温情にございます。必ず、お受けください、コレで領民のみならず、お館様も、寄子の貴族達も救われます」
「そ、それほどの事なの? でも、爺や、あの第一王子ですわよ、その見返りに何を求められるか……」
この時シナリア達二人のやり取りを見ながら、ジラハルは一つの記憶を蘇らせていた。
『あなた達腐った王族が居なければ、お父様もお母様も、お兄様達や爺やも、領民も、みんな……みんな死なずに済んだのに!』
蘇ってきたのは、過酷な人生を歩ませられてきたゲーム内でのシナリアのセリフだった。ゲーム内では、シナリアルートを通ると必ず発生するクーデターでの一面。主人公に亡き兄と、父の面影を見出し、依存しながらも、辛い過去のトラウマを克服する。その為の足掛かりイベントが、クーデターであり、ジラハル討伐なのだ。
直接的にはシナリアの身内の死と関わっては居ないが、富や食を独占する腐った王侯貴族として、恨まれ、そしてクーデターにて、シナリアの手により討たれる。死亡原因がわかっている唯一のイベントだった。
ゲームでは、ホワイナル公爵家当主としてシナリアは登場している。
そう、令嬢でありながら貴族当主になっている。理由はシナリアのトラウマの元である大飢饉が原因であった。食糧と金品を得る為に侵略戦争を繰り返す、王都の王侯貴族と、その煽りを受け、ただですら食糧の生産が日照不足で壊滅した北の領地は何処からも食糧を得られず、飢饉が起き、寄子の貴族家の八割が断絶。領民の七割が犠牲となった、とゲーム内で主人公に語っているのだ。
その際の、父、母、兄二人、爺やの死は壮絶だった。もはや、食糧の当てが無く、絶望的な状況で、筆頭執事の爺やをはじめホワイナル家に勤める従者全てが自刃したのだ。
ホワイナル家は領民を思い、税の免除を行なっている為、飢饉となれば一番に食糧の底をつくのはホワイナル家なのは自明の理だった、そこに忠臣揃いの従者達は口減しの為、全員でホワイナル家存続の為に命を断った。『お暇をいただきます』その一言を書いた遺書を残して。
だが、従者達の願い虚しく、悪化していく飢饉に加え、病まで流行することになる。
ただですら我が子に食糧を譲り栄養状態が悪い領主とその妻は揃って感染してしまい、父と母がそのまま亡くなる。
そして、長兄もまた日を置かずに春までの日にちと倉庫内の食糧を計算し、弟に妹を頼むと言付け自刃、その次兄もまた、最後までシナリアへ食糧を譲り続け、春が間近に控える中、笑顔を浮かべながらシナリアの前で息を引き取っている。
ゲーム内では名前の出てこない爺やの名がセブゼンと知り、ジラハルは感動よりも、何もしなければ、すぐに来るだろう悲劇に胸を痛めた。
だからこそ、ジラハルは望んでいない一つの可能性を引き寄せる事となる。
そう、北の領地で大飢饉が起きない、という可能性と共にジラハルが生き残ると言う可能性を——。
重すぎる……とりあえず次回は多分二日後……もしかしたら三日後あたりです。
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