ゴブリン・コンプレックス
結局、その日の朝ジラハルは見なかった事にした。そして、アレから半月たった今もなお見なかった事にしている。そんな毎朝起こしに来るメイド達は、日替わりで同じ様に若すぎて暴走しがちな息子を弄んでから声を掛けて来るのだった。
「おはようございます、ジラハル様。本日も、よく晴れた日にございます」
ジラハルは、当然既に起きているのだが、寝起きを装い、何故か唇が艶かしく光るメイド——サラに返事をする。
「もう……朝、か。今日はサラの日だったか、寝起きの水を貰えるか?」
「はい。すぐにご用意致します」
サラは流れる様仕草で、ベッド横のチェストボード下の戸を開け、綺麗に磨かれた銀のゴブレットを取り出し、今朝のうちに摘んだ苔を布巾に包みゆっくりと絞り出す。そして、仕上げに冷却の魔法を発動し、ジラハルにうやうやしく差し出す。
「ご苦労。では、いただくとする」
ゴブレットを傾け、一口水を含むと、適度に冷却されており、するりと喉を通過し胃の腑にたどり着くのを感じる。
(あぁ、サラがもう少しお茶目な娘だったら、『きんっきんに、冷えてやがるっ』ってネタをぶち込めたのに……)
などと、ジラハルはどうでもいい事を考えながらゆっくりと残りの水を飲み干しながら、目の前で背筋を伸ばし、微笑みを浮かべる侍女サラを見つめる。
髪はライトブラウンの少し癖がある髪を肩まで伸ばし、白のヘッドドレスのフリルが頭上に揺れる。手入れされ、お腹の前で揃えられた指先は細く、白くきめ細やかな肌が朝の光を反射する。琥珀のような瞳は優しげな眼差しでジラハルを瞳に映す。齢は十三とスラム上がりの娘達の中では一番の年上である。
「どうか、なさいましたか?」
小首をかしげる、サラにジラハルは軽く笑い首を振る。そう、言えるわけがないのだ。元童貞だった記憶を持つ男が、現在もなお童貞であるわけなのだから。『なんで、メイドの皆は毎朝俺の息子を弄んでるのか?』とか、『今日もかわいいね、どうだろう朝から一戦交えてみないか?』とかの欲望をぶつけられるわけがないのであった。答えは『ジラハル様のお望みのままに』と返って来るのはわかっているのだが……。
受け入れられない理由は、ただ一つ。そこに見た者全てが砂糖を吐くほどの愛が無いからである。そう、忠誠からだけの肉体関係はお断りなのである。朝イチの一件以外は——と付くあたりで意思の弱さは察していただきたい。そう、人は高きから低きへ流れだすと止まれないのである。
(好きに生きたいけど、コレはなんか違う)
そう、ジラハルは自身で勝手にハードルを上げていくのであった。既に難易度が高くなりすぎた嫌いのあるこの世界で。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「サウムよ、例の件どうなった?」
「ハッ! 例の件ですが、予想を超える成長具合にございます。既に精肉化も始まり、現在は村の地下に新造した蔵にて熟成中との事です」
「そうか、貴族連中の動きや、商人達の動きはどうだ?」
「今のところ戦況の激化した南の領地に注視しており、国内間の目はザルの様に抜けております。ただ、一点北の方が騒がしくなって来ております」
「北……ホワイナル公爵家か。そうか、そんな時期か……、街へ出るぞ」
「ハッ!」
ジラハルは焦っていた。顔には出していないのが奇跡の様に、背中には冷たい汗が流れるのを止められずにいる。
(北……そうか、アレはこのタイミングだったのか)
季節は既に秋に入り、時折吹き抜ける色づいた枯葉を乗せた風が、秋の終わりが近い事を知らせている。
ジラハルはその景色を馬車の窓越しに眺めながら、どうすべきかを考えていた。
(たしか、ゲームでは王都に居る、ホワイナル公爵家の者が商人達に取り合ってもらえなかった……とかのフレーバーテキストがあったはず。つまり、このタイミングで何処かに居るはずだ。今日……かはわからないが……)
◇◇◇◇◆◇◇◇◇
その頃、王都の貴族街で身なりの良い一人の少女が、大きな商店の応接室で声を荒げていた。
「なぜですのっ!? ほんの少し、いいえ食べれる穀物や作物ならなんでもいいのです……お願いします。領民達は、もう限界なのです」
「申し訳ありません。いま、ウチに置いてある全ての在庫は既に国軍へ買い取られ、詳細な目録を作った後なのです……どうか、ご容赦ください」
「——また……、また国軍ですの……」
商人の言葉に、ほのかな桜色の唇を噛み締めながら少女は俯き、耳にかけた白青色の一房の長い髪が零れ落ちる。
「お嬢様、無理を言ってはこの商人も困る事でしょう……ここは一旦引き上げましょう」
少女の後ろに控えていた老齢の執事が、怒りに震える小さな肩に手を乗せ嗜める。
「——っ! 申し訳ありませんでした、焦るあまり商人である貴方にまで、ご迷惑をお掛けするところでしたわね。失礼しますわ」
執事の言葉に蒼く透き通る瞳を大きく開き、きつく吊り上げていた眉を元来の柔らかな曲線に戻し、微笑みを浮かべてから向かいに座る商人に頭を下げ、席を立つ。
その足で商店から出て、道の脇に停めてある馬車に執事にエスコートされ乗り込んでから、彼女は歳に見合わない深いため息を吐く。
「コレで王都の大きな商店も全滅ね。なんで……どうして、このタイミングなの……? 父様……母様……ごめんなさい……」
少女の消え入る様な呟きに、老齢の執事は苦虫を潰した様な表情を一瞬浮かべ、首を軽く振ると少女へと気休めの言葉を口にする。
「まだ、市民街がございます。大店ほどの量は持ち合わせておらずとも、もしかすれば軍より先に食糧を抑えられるかも知れませぬ」
「そう……ね。まだ、お店はありますものね……行きましょう、市民街へ」
ゆったりと動き出す馬車の振動と、石畳を転がる車輪の音に身を任せ少女は瞳を瞑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ジラハルの懸念は現実となっていた。市民街の、その中でも一番大きな商店の店先で、豪奢な馬車が一台停まっており、人集りが出来ている。
ジラハルは十中八九、ホワイナル公爵家の者だとわかっていたが、サウムに確認をとらせていた。
「ジラハル様、お待たせしました。あの馬車はホワイナル家の物にて間違いございません。何やら、商店の前で商人と揉めているご様子でした」
「わかった、俺が行く。サウムよ、別宮に使いを出せ。来客をもてなす準備をせよと伝えよ」
「かしこまりました。おいっ聞いたな? 一人館へ走れっ!」
「ハッ! 自分が行って参ります! 殿下の警護よろしくお願いします!」
「よしっ、ハルムに任せた行けっ!」
慌ただしく駆けていくスラム上がりの少年を見送り、サウムはジラハルの後を急いで追いかけ、すぐに追いつく。
ジラハルが、人垣の外周にたどり着くと、自然と気付いた者たちが、膝をつき、首を垂れ、道が開いていった。
「おい、往来のど真ん中で何をしている?」
「なんですか? 今重要な話の——で、殿下っ! 失礼しました」
「ほう、貴様であったか。久しいな、シナリア・ホワイナル。あいも変わらず痩せておる、まるでゴブリンだな」
騒ぎの渦中に居たのは、『世界樹の樹の下で』に登場する唯一の貴族令嬢である、シナリア・ホワイナルであった。流石のジラハルも、本人が出向き交渉をしているとは思いもよらず、家長である、専属執事くらいと思っていたのだ。
ゲームでは幼少期の姿は出てこなかったが、澄んだ管楽器の様な柔らかな声と、腰まで靡く白青色の美しい髪、山の奥に湧く湖の様などこまでも透き通る蒼の瞳は間違いようがなく、また、ジラハルの一つ下の年齢である事を加味しても非常に可愛らしく、美しかった。
そう、今のジラハルから見て彼女は魅力的な美少女なのだ。つまり、この国の貴族的感覚からすれば『みすぼらしい』『恥さらし』と、散々な評価に落ち着く。コレは彼女だけでなく、王都より北の領地の民全てに当てはまる。社交界の裏では蔑称が広がっている、それが『ホワイナルゴブリン』であった。
では、なぜ侮辱する言葉を放つのか? それはジラハルが予想外の死を恐れているからである。今の状況でシナリアに友好的に接しても、社交界での過去の仕打ちを含めて信頼を得る事も出来ない上、特別製の爆弾を抱えているのだ、ここで変な立ち回りをし、ジェラッド王の耳に入ればどうなるかは予想すら出来なくなる。
ジラハルの予想通り、シナリアは一瞬眉間に皺を寄せ拳を強く握ったが、すぐに作り笑いを浮かべる。
「——ッ! お、お久しぶりにございます。殿下におかれましてはご機嫌うるわ……」
「くだらん世辞は良い。で、何を騒いでいる?」
「…………」
「なんだ、申せぬのか? ならばこれにて、お開きにせよ。だが、そうだな久々に会ったのだ我が別宮にてもてなしてやろう。構わぬな?」
「お嬢様、ここはどうかお受けください。もしかすれば、王城からの温情を引き出せるやも知れませぬ」
「あ、ありがたく受けさせていただきます」
初老の執事がシナリアに耳打ちし、唇を噛み締めた後ジラハルの提案を受ける事にした。
なんか、いつの間にか文字数行ってましたので、上げます。
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