第3話ー① 採用通知
面接の後、色々あると面倒だし、その日はスーパーのバイトは入れてなかった。といっても治験のバイトに受かればすぐにでも辞めるつもりだ。
アパートに帰ると部屋はいつものごとく噎せ返るような熱気とタバコのヤニの臭いで充満していた。引っ越ししてからずっと手入れをしていないクーラーをつけると、フィルターについた埃のせいででクシャクシャと昔のロボットのようなうなり声をあげて始動した。 高橋はカーテンを閉め切り部屋をまた闇に切り替える。しかしこおんぼろアパートは音のプライバシーを知らないみたいで、前の公園からは夏休みの子供が駆け回る声がキャーキャー聞こえてくる。高橋は耳栓をして音をシャットアウトした。しかしそれでも微かに聞こえてくる、いやもう耳の中の残音かもしれないその声を、高橋の耳はそのまま眠りにつくまで拾い続けた。
ウトウトしながら幼少期の頃を思い出す。
父親の背中はいつも遠くに見えていた。高橋が中学に上がる頃まで父親はあまり家に帰ってこなかった。母親はそんな父親をいつも愚痴り私の青春はどこに行ったのかと嘆いていた。いつの日か、父親が所属する会社のサッカーチームの試合に連れられて、社宅近くの河川敷のサッカーグラウンドに行った事があった。どうして俺を連れて行ったのだろう。話し相手もなく高橋は近くに転がっていたサッカーボールを黙々とけり続けた。グラウンドの中央で仲間に指示を出す父親は、やはり遠い存在の人だった。
小学校を三度、中学校は二度転校。高橋は転校するたびに自分のキャラクターを失っていった。もともと人馴染みするほうではなかった。それでも…あの学校でずっと居られたらと思う事は今でもある。中学校ではいじめに遭った。人の心の痛みを知らない純粋な少年たちにとって人馴染みしない新参者は、恰好の餌食だったのだろう。クラスの協和のためそれは高橋の心をぐちゃぐちゃに引き裂いた。本当に自殺するのだったらあの頃だったのかも知れないな。俺はその頃からまだ立ち直れていない。立ち直れていないから自殺する。そうなのだろうか…?
浅い夢の中で昔の闇の根源を一つずつ探っていくうちに、何かストーリー性のある一つの答えが見つかったような気がする。だけど・・・所詮それは結果論だろう?今の自分の状態から過去の出来事をこじつけているに過ぎない・・・運命なんて・・・あるはずもない・・・。それでも、何度も何度も記憶の断片を思い出しては現在と過去を繋ぎ合わせる。高橋は必死に自分というものを探していた。
憂鬱な気分を埋めるように高橋はまた携帯で自殺サイトを探していた。そしてあるサイト《M》が目に留まった。コメントの多くが高橋と同じく死以外の事に希望を見いだせない闇の住人のものだった。何かの核心をみつけたように高橋は寝食忘れ、コメントを貪り読んだ。
そして夜が過ぎ、朝が来て、世間は賑やかさを取り戻す。前の公園ではまた元気に子供が遊んでいた。
「まるで昨日の続きのようだな…」
高橋は跳ね癖の付きまくった髪をとりあえず水で洗い、顔を洗って外へ出た。コンビニで胃を満たすための食を買い、帰りに何気に郵便受けを見ると、親書と書かれた封筒が一通ポツンと入っていた。治験バイトからだった。
「あなた様の今の状態を見させて頂いた所、条件に充分当てはまりましたのであなた様を採用したいと思います。後日の日にちにまた面接事務所にご来所下さい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大森製薬技研」
その日の夜、スーパーのバイトで木倉と顔を合わせた。休憩中に同じになったので話しかけた。
「木倉さん、例のバイト受かりましたよ。」
「おっ、そうかー良かったなぁ…がっぽり稼げるぜ!」
「あのぉ~、一つ疑問に思ったんですけど…
そんな割のいいバイトなら、どうして続けなかったんですか?」
木倉は、んっ?という顔をし、ほぼ灰になったハイライトを灰皿に押し付けた。
「ははっ、俺もやりたかったんだけどさ…。
なんか一回あのバイトを受けると、また受けるのにある程度期間を置かなきゃならねえみたいだからな…」
「そうなんですか…」
「つー訳で泣く泣くお前に譲った訳だ。あそこの変な事務員が誰か紹介してくれっつーからさ。」
木倉は次のタバコに火をつけ豪快に煙を吐き出しながら笑う。
「で、なんで俺なんですか?」
「何だろうな、気まぐれだよ気まぐれ。俺も友達いないからさ、あんたと同じで。で何となくあんたが俺と同じ匂いがしたから…」
「同じって…?」
「俺みたいにならないように気をつけろよ…。
…さてと…仕事だ仕事、まっ金が入ったら、
何かうまいもんでもご馳走してくれや…」
木倉はどうして木倉が自分と似ているなどと言ったのだろうか?性格も外見も特に似ているとは思わないが…。確かに友達はいないが…。案外木倉も寂しい人なのかもしれない。
そして高橋は3日後の昼、再びあの面接事務所へ向かった。