第2話ー④ 夢の舞台
気が付くと高橋は舞台に立っていた。そこでは30人程がいてミュージカルみたいな事をやっている。高橋は端の方に立っていたが自分も役者であると気付く。そうだ俺も演技しなくては…しかし何をすればいいんだ?なぜか左手に台本がありめくってみるが、近視のようにぼやけて字が見えない。仕方なく近くの人の動きを真似て口や体を動かす。初めてのはずなのに皆と同じ動きが出来ている。よく見ると自分の体と隣の人の体が糸で繋がっている。こりゃ楽だ。さらに周りを見渡すと皆口パクで誰も喋っていない。聞こえるのは観客の拍手だけだ。こんなの見て何が面白いのか?
そうこうすると学校のチャイムのような音が鳴って、幕が開いたまま舞台は小休憩に入った。俳優たちはいくつかのグループに分かれて舞台を降りて会場を出てゆく。そこでようやく俳優たちの音声がオンになる。しかし聞こえてくるのはザワザワしたお喋りで何を言っているかは聞き取れない。
高橋たちのグループも動き出した。観客もグループに分かれて付いてくる。そうだこれは移動式のミュージカルなのだ。だんだん頭が冴えてくる。もうなんでグループに分かれたとか、自分は何でこのグループに付いているとかは気にならない。そして次の場所はファミレスだと分かっていた。移動中、高橋は隣の先輩役者と台本を見て次の打ち合わせをしている。相変わらず文字は見えないが、目ではなく文字が直接脳に入ってくる。打ち合わせが終わると仲良くお喋り。
「大変なんだよねー」
「大変ですよねー」
というだけの会話をエンドレスで話している。これが楽しくってしょうがない。心の中で笑いが止まらない。しかし何が面白いのかと冷めた自分も何処かにいる。
ファミレスに着く。もう演技は始まっている。役者は3人居て、カウンターの席に座る。観客の一部もカウンターに座り、余った人たちは適当に空いている席に座った。
店員「いらっしゃいませー。」
先輩A「アイスコーヒー3つ。」
高橋「先輩、ここは喫茶店じゃないんだからそんなにキザに決めなくても。」
先輩B「おい、俺たちこんなにのんびりしてていいのか?」
先輩A「いいんじゃないのか。やっこさんの居場所もまだ分かってないのに。」
高橋「大変です。たった今連絡があって、ヒットマンはここに向かってきているらしいです!」
先輩A、B「何ー!」
店内が騒然となり悲鳴が飛び交う。
高橋「カットー!!第二幕終了です。ありがとうございました。次は2:00からの開幕となります。」
一変して場の空気が緩み、まばらな拍手が聞えてくる。高橋の隣に座った女の子が話しかけてくる。どこかで見たような顔だ。
「わたし、~~なのよー。」
「へー、~~なんだ。でもいいんじゃない?」
自分が何を言っているか分からないがとりあえず会話は進む。
「~~ってさーどう思う?」
「さー、俺はどうも思わないけど…。」
「あっいけない!そろそろ2:00よ。準備しなきゃ。」
ここで急に女の子の音声がクリアになる。女の子は鞄から何やら取り出すと高橋の顔に塗り付ける。そうかこの子はメイクさんだったっけ。いったい誰が観客で誰が役者なのか分からなくなってくる。高橋はまた頭がぼやけてくるのを必死で止めようとした。
(一体誰が演じてて誰が演じてないか分からないよ!苦しい!誰か助けてくれ…)
目に光が入ってくる。目の前では医師と看護婦が話している。夢を見ていたのか。夢の中の女の子、何処かで見たと思ったらあの看護婦じゃないか。夢は要らなくなった記憶の整理というが本当だな。辛い夢を多く見るのは、脳が辛くて嫌な記憶を何処か深い所に封印している最中なのかもしれない。脳が無意識に看護婦の顔を忘れようとしたのかと思うと可笑しくなった。
「はいお疲れ様でした。採血終わりましたよ。高橋さんすっかり寝ちゃってましたね。」
ああ、おかげで夢にまであなたが出てきたよ。
「しばらく注射の所ガーゼで押さえていて下さいね。血が止まったら次尿検査行いますので。」
看護婦は取った血液を奥の部屋に運んでいった。
「高橋さん、病歴の欄に小児喘息と書かれてますが…。最近は発作は出てませんか?」
髪の毛がUの字の医師が尋ねてくる。Uの字、
U字…Uージ。こいつのあだ名はUージだな。
「ええ。最後に発作が出たのは中学一年の春でしてから、もう8年位発作は出ていません。
あの…。何かここで試す薬と関係あるんでしょうか?」
「あなたに試す薬はすでに安全性を確かめられているものですから心配ありません。しかし極度なアレルギーがある場合、命に別状はしないものの何らかの副作用が出るかもしれないという事です。ただ検査の結果が出てみないと分かりませんが、発作を8年も起こしていないのならまあ大丈夫でしょう…。」
「あの…。どういった薬を僕に試すんですか?」
「すいません。それは情報が漏洩しないように採用された方にしか話せないのです。」
看護婦が尿検査用の紙コップなどを持ってやってくる。
「高橋さん血は止まりましたか?」
血は止まったが注射の跡はズキズキと痛んだ。
「それではトイレで尿を出して下さい。」
その後またいくつかの質問などを受けて約3時間後の午後一時に開放された。外に出るとさっきまでクーラーの中にいた体の表面がなめこのように溶け出す錯覚に陥る。丁度昼食時なのだろう…女子大からは華やいだ女子大生の声が新幹線高架下の工事の音と相まって、ごく普通の日常を奏でている。
3時間前に上ってきた階段をキイキイ言わせながら一段ずつ慎重に下りてゆく。途中の小さな窓越しにさっきの部屋が覗けた。事務員とU字禿げの医師が何やら向かい合って話している。思わず事務員と視線がぶつかったような気がした。事務員は高橋に気付いてか、気づかずか、医師の傍らに回り込むように視線を避けた…。
階段を下り終えてふと気が付いた。そういえば三人の誰一人の名前も聞かなかったな…
普通は名乗り出るもんだろうが…。高橋は小さな何かの廃墟のような面接事務所を後にした。
…まさか面接受かったらここで治験を行うんじゃないだろうな…自転車のサドルは張り裂けそうに熱を蓄えていた。