第11話ー① ドアノブ、三番目
高橋は目を開けることすらできず、膝に顔を埋めたまま、音声だけを怖々と聞いていた。心臓の鼓動が跳ね上がる。
……分かったことは、現時点では自殺の線で調べられているということ。ただし、それはマスコミ向けの見解かもしれない。確かに自殺には違いないから、司法解剖をしても、それを覆すものは出ないだろう。しかし警察は甘くない。そんなに甘いはずがない……。強迫観念に近い思いが、頭の奥にこびりついて離れなかった。
あの時、きちんと指紋を残さずにいれば……。
いや、残していようが、いまいが関係ない。きっと警察は迫ってくる。
……落ち着け。
俺の決心は、そんなに脆いものだったのか……?
もう寝よう。
高橋は豆電球も消し、部屋を真っ暗にして布団にもぐり込んだ。しかし、時計の秒針の音がやけに大きく響き、なかなか寝付けなかった。
⸻
現場検証から数日後、後藤は市警本部にいた。上層部からの直々の呼び出しを受けたためだ。応接間の入室許可が出るまでの時間、玄関ロビーの長椅子で時間を潰している。
用件は何なのか――思い当たる節は、あの件しかなかった。そろそろ鑑識の結果も出る頃だろう。そんなことを考えながら、後藤は缶コーヒーのぬるい味を、何度も確かめるように口に含んでいた。
……横に、すっと誰かが腰掛ける気配がした。
視線を向けずとも分かる。松井警部補だ。
松井は書類をめくるふりをしながら、小さな封筒を後藤の膝の上に滑らせた。
「……ドアノブ、三番目」
独り言のように、ぼそりと呟く。
後藤は何も言わず、その封筒を胸の内ポケットにしまった。
松井は何事もなかったかのように立ち上がり、鑑識課へ続く廊下を、コツコツと足音を響かせて歩き出す。しばらくして足音が止まった。
後藤が横目で見ると、松井は振り返り、無言で視線を送ってきた。
後藤は手にしていた缶コーヒーを、わずかに持ち上げて応えた。
⸻
――午前十一時。
高橋は、窓から漏れる光で目を覚ました。次のターゲットとの約束は三日後。それまでの手持ち無沙汰な時間は、想像以上にしんどかった。
高橋は、心に引っかかり続けている大森たちのことを調べようと思い立つ。
このアパートはインターネット使い放題だが、パソコンとを繋ぐLANケーブルを持っていなかった。気分転換も兼ね、以前利用したネットカフェへ向かうことにする。
パソコンの前に座ったものの、どうやって調べるべきか分からず、しばらく考え込んだ。分かっているのは、医師が大森、看護師が市川、事務員が堀越という名前。そして国立の医学部と、何らかのパイプがあるらしいということだけだ。
高橋は、薬と一緒に盗み出したフロッピーディスクを再生した。
ここには顧客名簿と薬の成分しか入っていないはずだが……。もしかすると、何か手がかりがあるかもしれない。そう思い、隅々まで目を通す。
薬の成分の項目は、ちんぷんかんぷんな医学用語ばかりで意味が分からない。そんなページが何枚も続き、二十ページ目の最下段に、一つの名前があった。
――田所 正。
……(田所先生……どうするんですか、この後……。堀越の過失とはいえ、治験中にこんなことがあったのでは……)
(大森先生……私は、何があってもこの研究は続けますよ。幸い被験者の命に別状はなかった。上層部の連中に、何とか処理してもらいますよ……。田嶋を追い出され、私もだいぶ落ちるところまで落ちましたけど、これだけは何とか形にしたいのですよ……)
高橋は、大学病院で交わされた会話を思い出していた。
――田嶋を追い出され……。
田嶋……田嶋製薬所?
あの製薬大手の田嶋のことなのか?
検索窓に「田嶋製薬所」「田所正」と入力する。
パソコンがフル回転で情報を絞り込んでいく。どうせ何も出ないだろう、と高橋は半ば毒づいていた。しかし、予想に反して検索結果は一件ヒットした。
小躍りしそうになる気持ちを抑え、慎重にマウスを動かし、そのリンクをクリックする。
――それは、今から五年前、二〇〇〇年度の田嶋製薬所の人事異動に関する記事だった。




