第10話ー④ 勧誘(こころの戸口)
起きると、すでに十四時を回っていた。
寝過ぎたせいか、かえって気分が悪い。喉がひどく渇いていて、何か飲み物を買いに行くことにした。布団を見ると、どこから出たのかと思うほど、汗でびっしょりになっている。
外に出ると、昼間だというのに人の気配がない。夏の暑さもあるのだろうが、ああ、郊外に来たんだなと実感が湧いた。すぐ近くを大きな幹線道路が走っている。その道も、高橋のサイクリングコースの一部だった。道路の南側には大きな工場地帯が広がり、そのさらに先には海がある。サイクリングで通るたび、あの無機質な感じが気に入っていた。
今は、外に出てほぼすぐ目の前にその道路がある。それが妙に落ち着かない。子供の頃、何度も引っ越しを繰り返していた感触を、少し思い出した。近県への引っ越しが多かったため、朝起きたら自分ではなく、景色のほうが越してきたような、不思議な感覚を覚えることがあった。それも一日、二日で慣れ、すべてが日常に置き換わっていくのだが……。
確かこの近くに中央卸市場があって、その前にコンビニがあったはずだ。
歩行者軽視としか思えない、やたら長い信号待ちを経て、コンビニに着く。二リットルボトルのウーロン茶と煙草を買う。いつものフロンティアではなく、木倉おすすめのハイライトを選んだ。同じ値段だし、もう one にこだわって健康に気を遣う必要もない。今は、ただ重たいものを思い切り吸いたい気分だった。
それにしてもコンビニは高い。煙草はどこでも同じだが、ペットボトル飲料は一・五倍ほどの開きがある。まあ、便利だから使ってしまうのだが。
部屋に戻り、ウーロン茶を半分ほどラッパ飲みする。すると、少し食欲が湧いてきた。そういえば、この二日間ほとんど何も食べていない。相変わらず吐き気にも似た胃の重さはあるが、食べて誤魔化せるなら、それでもいい。こんなことなら、さっきついでにパンでも買っておけばよかった。面倒だが、もう一度出るか……。せっかくサイクリングコースの近くに引っ越したのだ。フェリーターミナルまで走って、そこで何か食べよう。
そう考えながら玄関の扉を開けると、一人の女性が、アパートの共同廊下を歩いていた。最初はここの住人だろうと気にも留めなかったが、高橋が鍵をかけている間も、彼女は廊下を行ったり来たりしている。誰かを待っているのだろうと思い、歩き出した瞬間、たまたま目が合った。
すると、いきなり女性のほうから声をかけてきた。
「あの、A棟の三〇一号室を探しているんですが……」
A三〇一。確か、ここはB棟だったはずだ。ということは、隣の建物か。
「ああ、A棟なら隣ですよ」
「あ、そうなんですね。ありがとうございます。助かりました。前回来たときに、またお話させてくださいって言って……それで来たんですけど、部屋が分からなくなってしまって……」
セールスの勧誘か。
そう思いながら再び歩き出した高橋を、女性が呼び止めた。
「私、こういう者なんですが。よかったらお話、聞いてもらえませんか?」
《宗教法人・天門賛美の会 ××地区支部広報
松野美恵子》
宗教の勧誘があるとは聞いていたが、まさか自分が出くわすとは思っていなかった。改めて女性の顔を見る。年齢は二十五から三十くらい。ものすごく美人というほどではないが、整った、どちらかといえば可愛い系の顔立ちだ。
「すいません、今、出かけるところなので……」
そう言って、その場を離れた。女はまだ何か言いたげだったが、宗教である以上、関わるのは面倒だ。もし彼女が宗教でなければ、また違った対応をしたかもしれないが……まあ、普通の女が俺に近づいてくる理由など、あるはずもない。
それとも……大森たちの差し金か?
馬鹿な。引っ越したばかりだぞ。ありえない。
しかし、大森たちは今どうしているのだろう。金がきちんと口座に振り込まれていることも不可解だし、電話一本かかってこない。まさか、本当にまだ何も感づいていないのか……。
やめよう。そんな楽観的な考え方は。
足元をすくわれるだけだ。
最期の時まで、慎重に行動しなければならない。
高橋は自転車に乗り、再び幹線道路へ向かって走り出した。




