第10話ー③ 三週間の巣
新居は、ターミナル駅から南へ十キロほど外れた、高橋がよく走るサイクリングコースのフェリーターミナル付近にあった。その一帯は新興住宅地として開発が進んでおり、物件はその外れに位置している。周囲の住宅から少し離れて建っていたため、どれが目的の建物なのかは比較的分かりやすかった。
鍵を開けて中に入る。退去後の清掃が済んだばかりの、あの独特な匂いが部屋を満たしている。
電灯のスイッチを押すと、ぱっと明かりがつき、通電していることが分かった。
部屋はフローリングで、広さは六畳もないように感じるが、二畳ほどのロフトが付いている。ここは不動産会社の売りでもあるらしく、家電や家具は不足なく揃っていた。テレビ、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫……浴室暖房まで付いている。
利用料は契約時の一括払い。三週間という超短期契約のため割高になったが、家具付き、光熱費・水道代込みで八万円余り。まあ、ホテルに泊まるよりは安いだろう。
ロフトに上がり、敷かれていた洗濯済みの布団に横たわると、急激な眠気が高橋を襲った。夏用の薄いタオルケットを広げ、クーラーをつける。電灯を消す力すら残っておらず、そのまま高橋は目を閉じた……。
……三週間。
無意識に決めた、この滞在期間。それは本能的に選んだ最期の時間なのだろうか。三週間後といえば九月十五日くらい。ちょうど大学の夏休みが終わる頃だ。
死にたがっている俺が、なぜ殺されることを恐れて、ここへ逃げ込むような真似をしたのか。
なぜ、あの五十万円を手放せなかったのか。
やはり俺は、死ぬことを恐れているのか……?
そうじゃないなら、どうして俺は、さっさとこの安楽死カプセルを飲んでしまわないんだ。
どうした、さっさと飲めよ。今すぐ死ねよ。
震える手でカプセルを取り出し、しばらく睨みつけてみたが、どうしても決心できなかった。
あと三週間……それくらい待とう。
死刑が確定した人間の、執行猶予だ。そう自分に言い聞かせる。
高橋は、自分の中に今なお気持ちのせめぎ合いがあることに気づいていた。
食欲のように貪る死への欲求と、まだ怯えている生への欲求が入り混じっている。きっと、純粋な死への欲求が心のすべてを支配したとき、俺は楽になれるのだろう。
時が流れるまま、俺は落ちるだけだ。
そこまで思考が辿り着き、少し安堵した。
一方で、昨日の出来事が確実に現実世界で起きたものであることも、はっきりと分かっていた。影が、着実に高橋へ向かって伸びてくる感覚がある。ただそれでも、まだどこか遠い世界の出来事のようで、ふわふわした夢の中にいる気分でもあった。
三週間で、何もかも追い詰められて死ぬのが先か。
それとも、俺の心が死に支配されて、死ぬのが先か。
脳の奥深くで、何かから必死に逃げ続けているイメージが、絶え間なくリピートされる。それは、心の奥底に埋め込まれた「生きたい」という気持ちの残像だったのかもしれない。
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台風から二日後。
吉村は、隣の部屋から漂ってくる鼻を刺すような臭いに耐えきれず、扉をノックした。
「上村さーん? 上村さーん? 何だか臭うぜ。カップ麺、ちゃんと片付けてるか?」
返事がないことに苛立ち、ドアノブをガチャガチャと回す。すると鍵は抵抗なく外れ、その瞬間、むわっとした熱気と、鼻の奥を刺す強烈な臭いが廊下へ溢れ出した。
吉村は思わず顔を背けたが、その視線の先に、畳の上で動かない上村の姿が見えた。
「……上村さん」
吉村は、瞬間的に息を止めた。
通報から間もなく、制服警官が数人、階段を駆け上がってきた。その中に、後藤警部補の姿があった。
「後藤さん……」
吉村は弱々しく名を呼んだが、後藤は軽く敬礼し、目だけで応えた。そのまま靴底の音を響かせ、迷いなく室内へ足を踏み入れていった。




