第10話ー② 熱風のターミナル
次の日の朝は、台風がすべてを吹き飛ばしたかのような晴天だった。
地方には似合わず、この路線は始発から満員だ。雨が染みこんだ高橋のTシャツは、気温の上昇とともに蒸れて臭くなっていた。しかし周りの乗客は、何事もないように整然とした顔つきを保っている。皆、最高の俳優だ。
太陽はぐんぐん昇り、ターミナル駅に着いて電車から出た瞬間、熱風が体を包み込んだ。
ひどく息苦しい。高橋は人混みを掻き分けるようにして出口へ急いだ。
駅前の地銀のキャッシュコーナーに入る。万が一、ありえないことではない。そんな気持ちでカードを機械に通す。
残高確認――二〇〇六一〇円。
振り込まれている。あのバイト料が……。
ここまで来て、まったく解らない。考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがる。しかし今必要な軍資金は、これを使うしかなかった。スーパーのバイト料が入るのは、あと二週間ほど先。それも五万円くらいだろう。
引っかかることは多すぎたが、高橋は今のアパートの家賃を支払った残り、十六万五千円あまりを全額引き下ろした。
もちろん、今ポケットにある五十万円も金には違いない。しかし、これだけは使うまいと高橋は思っていた。その割には、駅に転がるホームレスにくれてやることもなく、正義感あふれる募金箱にも入れないで、未練がましく捨てることもできなかった。
駐輪場へ行き自転車に跨る。次に高橋が向かったのは、最近流行の敷金礼金なしで、すぐに借りられるマンスリーマンションを扱う不動産会社だった。
今の住所を大森たちに知られていると思うと、どうしても帰る気になれなかった。確か駅裏口前に事務所があったはずだ。
駅の裏口は雑居ビルが建ち並び、どこもかしこもガラス窓に会社名を貼り付けている。高橋はターミナル裏口のこぢんまりとしたロータリーを跨ぎ、一本路地裏に入った。
確かこの辺りにあったはずだが……。
「不動産」というだけなら怪しげな会社はビルの窓にもちらほら見える。十分ほど見回し、ここじゃないなと、さらにもう一本路地裏に入った途端、目当ての場所が見つかった。少し拍子抜けしたが、気を取り直し、脇のスペースに自転車を置いて中に入った。
雑居ビル一階の、十畳ほどの接客スペース。三人の店員がそれぞれの客に応対している。ちょうど前の客が立ち去った、真ん中のスペースに高橋は座った。
両脇の二ブースとは簡易的なパーティションで仕切られているが、声は聞こえてくる。右側のブースには、今年大学生になり、新生活に期待を膨らませた女の子がいて、店員との話も弾んでいた。母親まで一緒についてきていて、「変な男がつかなければいいんですが」などと、いかにもというお決まりの言葉を並べている。
「いらっしゃいませ。今日はどのような物件をお探しでしょうか?」
先客の事務手続きを書き終えた店員が、高橋に声をかけてきた。右側の女の子の会話に耳を向けていた高橋は、少し反応が遅れた。
「……ええ、三週間ほど仮住まいできる所を探しているのですが……」
「それではまず、お手数ですがこちらに、現住所、お名前、電話番号、職業、お探しの条件などをご記入ください」
一瞬、実名を書くかどうか迷ったが、バレた時に面倒だし、偽名や偽住所で適当なものも思いつかなかったので、そのまま書いた。
職業の欄には「大学生」と記す。
書いていて、どうも違和感がある。実際、仮にも大学生ではあるが、何だかすべてが過去形に感じられた。右のブースの女の子のはしゃぎぶりを聞いていると、懐かしさよりも、自分と今の境遇とのギャップの方が強く、まるで自分だけが透明な強化アクリルで囲まれた空間にいるようだった。
俺にも、こんなふうにはしゃいだ時期があったのだろうか。
「高橋さん、大学生なんですね。失礼ですが、短期希望というのは、どういった目的でのご利用でしょうか?」
確かに変だ。何も考えていなかった。遠方を借りるなら、何かの合宿などと説明もつくが、同じエリアで短期というのは、独り身の学生にしては不自然だ。いっそ遠方を借りようかとも思ったが、やめた。遠くへ行けば行くほど、何かにどんどん追い詰められるような気がした。
結局、今のアパートを三週間ほど知人に貸さなければならない、という苦しい言い訳で話を進め、高橋の最期の時間を過ごす居場所は決まった。
「では、確認も兼ねて実際に物件をご案内いたしましょうか? 仮にお気に召さなければ、他にもご案内できますので」
接客してくれた前田さんは、とても親切だった。この不動産は対応が悪いと、実際にここでアパートを借りた奴がグチグチ言っていたが、少なくともこの人は感じがいい。
まあ、不動産なんて住んでからいろいろあるのだろうけど……。だが、もう関わることもないだろう。
物件を見るのを丁寧に断り、契約を済ませると、高橋は地図を頼りに、新居へと自転車を走らせた。




