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快速四号  作者: ヤーツツ・トモミ
快速四号
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第9話ー④ 合言葉と封筒

部屋の中は綺麗に片付けられていた。元々、何もなかった部屋のようだが、さらに整理整頓された印象を受ける。飛ぶ鳥後を濁さず、といったところだろうか。


重い空気が充満する。高橋は腰のポシェットから、透明のプラスチックに入った例のカプセルを取り出した。


「合い言葉は……?」


「パ……パンツのひも……」


「では、どうぞ」


高橋は男にカプセルを手渡した。


「あの……何も聞かないんですか?」


「何を?」


「なぜ、私が自殺したがっているとか……」


「僕の役目は、これを渡すことだけですから。話したければ、お聞きしますが……」


「そうですか……。あのお金は?」


「ああ、お代は結構ですよ。ボランティアですから」


「どうして……?」


「僕も、もうすぐ自殺するつもりなんです。だから、もらっても使い道がないでしょう?」


「まだ若いのに、って……私が言う台詞じゃないですね。世の中、不景気ですね。最近、ようやく景気が回復してきたなんて言ってますが……」


「景気が上がった下がったなんて、バカなマスコミが騒ぎ立ててるだけですよ……」


「……しかし、私には現実の傷跡として残った。

会社をリストラされ、女房も子供も出て行ってしまった……。残ったのは、養育費の支払い義務と家のローンだけ……。家は今、売りに出していて、少し前からここに住んでいるんです」


ドラマなんかである、実にベタな話だと高橋は思った。だが、それが逆にリアルな重さで伝わってくる。


「私は一人になった。これからの人生、何も無くなってしまったような気がして……。この歳で、やり直しももう利かない……。だから、早く楽になりたいんです」


「そうですか……。大変でしたね」


「すいません、くだらない話を……。じゃあ……飲みます……」


男はカプセルを口に入れようとするが、なかなか実行できない。額から、尋常ではない汗が噴き出している。夏の暑さのせいではない。気温は、大雨と風のせいで、薄着ではむしろ肌寒かった。


「ははっ……楽に死ねる薬なのにね。やっぱり、いざとなったら体が動かないもんですね。はあ……。あの、できれば一人にしてもらえませんか? 自分のタイミングで飲みたいんですが……」


「すいませんが、それはできません。僕は、あなたがカプセルを飲んで死ぬのを見届けなければなりません。万が一、他人に悪用されたりしたら困りますからね……」


「他人に悪用」と言って、高橋は自分の言葉に苦笑した。自分のやっていることが、まさにそれだったような気がしたからだ。


「分かりました。そうですね……。いつまでズルズルしてても、同じことの繰り返しだ。私は楽になれるんだ。もう怖くない……! うっ!」


男は手にしたカプセルを口に放り込んだ。そして、力尽きたように、その場にへたり込んだ。


数秒後、男は自分がまだ生きているのを確かめるように、半身を起こし、自分の体を見下ろしている。


カプセルと同時に盗み出したパソコンのデータの中には、説明書のようなものが入っていた。それによると、まず最初に、死の苦しみを避けるため、脳の一部を軽く麻痺させる段階があるらしい。一度に多くを吸収するとショックが大きいため、薬剤は徐々に放出される。始めは体がだるくなり、少しずつ意識が遠のく。そこまでの段階に、四、五分かかると書かれていた。


「薬の性質上、数分は意識がありますよ」


究極の余命宣告だな、と高橋は思った。


「あと、数分ですか……。あと数分後には、私は死んでるんですね……。お金なんですけどね……少しですが、退職金が出たんです。だいぶ使ってしまったんですが、残り五十万あります。あなたに渡そうと思って……」


「いや、だから俺は、もらっても……」


「最初から、十万、二十万取られるのは覚悟してましたから……。それに、実際にお会いして、あなたのような若い青年だったとは……。若いうちは、いくらでもやり直せますよ。このお金は、その手助けになれば……」


「いや、俺はもう……」


「この件だったら大丈夫ですよ。私が死んでいるのが見つかっても、警察はリストラを苦にした男の自殺として片付けるでしょう」


警察は、そんなに甘くないだろうと高橋は思っていた。男の死体は、医師の付き添いのある自然死ではない。当然、解剖される。安楽死薬といえど、所詮は毒物だ。警察はあれこれ調べるだろう。解剖の結果、自殺と断定されても、毒物の入手経路を辿り、俺に行き着くのは時間の問題だ。


しかし……。

男は、人生の最期に、高橋に小さな希望を抱いているのかもしれなかった。男の言うことを聞いたふりをすれば、安らかに死ねるのかもしれない。


「分かりました。お金は頂きます」


「そ……ですか……。よかっ……た。あなた……わかい……じんせ……これ……からで……よ……」


男の口が、ほとんど回らなくなってきた。だいぶ麻痺してきたのだろう。男自身もそれが分かったのか、目から涙がこぼれていた。


「そうですね……。頑張ってみますよ……」


「あ……が……とう……」


ほとんど言葉にならない声で、男は最期にそう呟いた。


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