第9話ー② 快速四号
目が覚めると、カーテン越しにうっすらと光が入ってきていた。時計を見ると五時前だった。昨日何時に寝たかは覚えていないが、六時間も寝ていない。それでも頭は、昨日の夜よりだいぶすっきりしていた。
そのまましばらく、うとろうとろしていると玄関の開く音がした。こんな時間に誰が来たのかと思って出てみると、木倉だった。
「なんだ。もう起きてたのか? 俺りゃあもう限界。おやすみー」
そうだ。スーパーのバイトは朝五時には終わるのだった。裕恵さんが出て行ったら一人になると思っていたが、木倉は家にいる。
部屋に戻ってテレビをつける。隣の部屋に迷惑にならないよう、音を消して画面だけを見る。ちょうど天気予報をやっていた。台風九号が接近しているらしい。ここも昼前から雨が降り出し、夜には暴風域に入るようだ。
木倉が家にいるなら、昼までは居ていいことになるが……。
そう考えているうちに、裕恵さんと子供が起きてきた。
「あっ、おはよう高橋くん」
「おはようございます」
「朝ご飯、食べる?」
「はい」
食パンの上に、目玉焼きとベーコンが乗ったものが置かれた。
「ごめんね。急いでて、こんなもので」
「いえ、全然かまいません」
時間がないのか、裕恵さんは子供を急かしながら食べている。
「じゃあ、私たち出かけるけれど……」
「あっ、はい。僕も出ます」
外に出ると、予報どおり雨雲が近づいていた。
アパート前の駐車場まで一緒に歩き、裕恵さんと子供は車に乗り込む。そこで別れ、高橋は駐輪場へ行き、自転車にまたがった。
結局、朝早く裕恵さんたちと出てきてしまった。
だが、今日自殺しようという思い詰めた気持ちは、一晩寝てだいぶ薄れていた。心の動きは、高橋の意志を越えて、まるで別人のもののようにも思える。
「さて……どうしたもんか……」
志願者に会うのか、会わないのか。
薬を依頼してきた人物は、どんな人間なのか。
考えているうちに、高橋の自転車は自然とターミナル駅へ向かっていた。地下の駐輪場に自転車を停める。駅構内は、さすが県随一のターミナル駅だけあって人で混み合っている。
台風が接近しているため、動いているうちに電車を使おうとする人が多いのだろう。いつもなら人混みに数十分いるだけで気分が悪くなるが、大森たちにどこから見張られているかわからないと思うと、人に紛れている方が安心できた。
しばらくベンチに座っていると、朝のラッシュも終わったのか、いくぶん人がまばらになる。
「六時のターミナルで振り向いた君は……
ホヨセーホヨセー
人は自分を生きてゆくのだから……」
人だかりを見ながら、高橋はいつの間にか、昔、親父が車でよく流していた曲を口ずさんでいた。歌詞のほとんどは知らない。それでも、今の俺にはぴったりの曲のような気がした。
ラッシュの人混みに追い出されたホームレスが、構内に戻ってきて高橋の隣に座る。
「兄ちゃん、煙草もってないかい?」
いつもなら相手にしない。だが、不思議と同情して一本渡し、火をつけてやる。
「台風が来てるみたいですね」
目を合わせずにそう言った。
「ん、ああ。へっ、大丈夫さ。寝るところはどこでもある。駅、公園、商店街……。俺らにとっちゃ、台風より、しきりに追っ払ってくる行政の方が厄介な相手さ。煙草、ごちそうさん」
そう言って、ホームレスは再び人混みの中に消えていった。
ゴミのように扱われるホームレス。そこに人生の美しさなど感じられない。
あの人たちも、自殺を考えたことがあるのだろうか。たとえ自殺しても、それは世間から当たり前のことのように受け取られるかもしれない。
――ホームレスだから自殺した。
ゴミが、自らゴミ箱に入っただけだ、と。
この国が豊かになったのは、皆が幸せになったからじゃない。
ただ、表面だけをきれいにディスプレイしただけなのだと思った。
行こう。志願者に会いに。
ゴミ箱に入る決断をした人の、最期のはなむけに――。
待ち合わせ場所は、ターミナル駅から南に下る線を快速で五駅の場所。
九時四十九分発、快速四号。
電車は、次第に近づいてくる台風から逃れるように、順調に速度を上げていく。ターミナル駅からすでに満員の車内に、途中駅から乗り込んできた乗客たちは、席に座れず、あぶれて、ちりぢりに散らばっていく。
――人生にあぶれた人たちも、うまく乗せていってくれたらいいのに……。




