第9話ー① 糸を切る前の夜
暗闇で、高橋は考える。
大森たちは、もう薬が盗まれたことに気づいただろうか。よほどずさんな管理でない限り、すでに気づいているはずだ。今ごろは、誰が盗んだのか当たりをつけている最中かもしれない。
盗んだ時に指紋などは残していないにせよ、時期から考えて俺が有力な候補に挙がっているのは間違いない。
奴らは裏で暴力団などと繋がっているのだろうか。なにせ、国からの承認もない安楽死用の薬を作っている連中だ。どこと繋がっていても不思議ではない。
最初のアンケート用紙に、バカ正直に本当の住所を書いてしまった。携帯番号もだ。だが、まだ何の連絡もない。俺に警戒心を抱かせないためだろうか。
このまま家に帰れば、暴力団が待ち構えていて、その場で拉致監禁、最悪殺される可能性だって十分にある。
それを避けるために、決行までの間、木倉の家に居候していた。だが、俺が家に帰っていないと分かれば、当然、前に働いていたバイト仲間――木倉の家も調べてくるだろう。
これ以上ここに居ることは、俺自身のためにも、何より木倉に迷惑をかけることになる。
自分が始めた、近未来的な小説じみた行動が、急に現実味を帯び始めている。
鞄の中には、大森たちから盗み出した四つのカプセルが確かに存在している。
果たしてこれは、本当に究極の安楽試薬なのだろうか。
今、ここで確認する方法は一つ――自分で飲んでみることだ。
ここで飲むと木倉に迷惑がかかるなら、明日、どこか近くの公園ででも飲めばいい。
そうだ。俺が何より欲しかった、死への恐怖を打ち崩すものが、今ここにある。
なにも他人を巻き添えにすることを始めなくてもいいじゃないか。
明日で、俺のふざけた人生は終わりにしよう。
明日で……。
ははっ。人生なんて、本当にあっけないもんだ。
いろいろ考えて、悩んで、それでも終わるときは糸が切れるみたいに……。
もう眠ろう。
もう何も考えることはない。楽になることだけを夢見て、明日を迎えればいい。
しかし、やはり気が張り詰めているのか、いっこうに睡魔が来る気配がない。
考えなくてもいいはずなのに、次々と色んなことが頭をよぎる。
いつの間にか、木倉の家で過ごしたこの二日間のことを思い返していた。
最初に玄関に入った時の、あの懐かしい匂い。あの時から、俺はどこか癒やされていた。他人の家族なのに、不自然なほど心を許していた。
この居心地のいい場所に、ずっと留まっていたい――そんな気持ちが高鳴る。
だめだ。俺は他人だ。ここに留まる場所はない。俺の居場所は……。
思考がまた、もつれた糸のように絡まり始める。胸が締め付けられる。
眠ろう。俺にはまだ明日がある。明日になれば、気分が好転しているかもしれない。
明日に任せよう……。
今度は裕恵さんが頭に浮かんできた。
申し訳なさを覚えながらも、高橋は、さっき見えた裕恵さんの白い胸元や、首に触れられた時の手の感触を思い出し、自慰をした。
すると、少し睡魔が襲ってきた。
使用したティッシュを気づかれないよう何重にもくるみ、近くにあったゴミ箱の奥へとねじ込んだ。




