第6話ー② 告白の居酒屋
市川は約束の時間より少し遅れて、ターミナル駅に姿を現した。
真っ白なワンピースに、薄い緑のカーディガンを羽織っている。それはまるでデートにでも来たかのような格好で、高橋は一瞬、勘違いしているんじゃないかと思ったが、すぐに気にしないことにした。
まあ、女というのはどこへ行くにも身なりに気を配るものなのだろう。
それよりも、自分が治験の時のままのTシャツにジーパン姿なのが、彼女に対して少し申し訳なく感じられた。
高橋は飲み屋やレストランに詳しいわけではなかったが、大学のサークルで幹事をしていた頃によく使っていた居酒屋に彼女を誘った。
サークル飲みの二次会用に重宝していたアメリカンスタイルの店で、百席以上あり、よほどのことがない限り土日でも予約が取れる。
半地下の店内は照明を落とし、代わりに至るところに吊るされたネオン灯が、暗がりを紫色に染めている。
今日は平日だっただろうか。
治験で長く眠っていたせいで、曜日の感覚が完全に失われていた。
店内を見渡すと、客は二、三組のカップルがいる程度だった。
高橋は、サークルで使ういつもの大テーブルではなく、半分ガラスで仕切られた四人掛けのテーブルに市川と座った。
大テーブルの時はカップルが座っている光景が遠い世界のように感じていた。何だか不思議だった。
注文を聞きに来たスタッフに、市川は首を振った。
高橋はホットコーヒーと、この店の人気メニューで、具は少ないがサイズだけは大きいイタリアンピザを頼んだ。
「すいませんね……。あんまりこういう店に詳しくなくて。ここくらいしか思いつかなかったんです」
「いえ……私こそ、こんな話を被験者のあなたにしてしまって。でも、おかげで少し気持ちが楽になりました。正直、何が起きてるのか分からなくなっていて……」
市川はまだ混乱したままなのだろう。
膝の上で固く握りしめた両手が、小刻みに震えていた。
高橋も話を聞いたときはショックだった。
だが同時に、治験事務所で見た市川の青ざめた表情を思い出しながら、自分が得体の知れない興奮に包まれていくのを感じていた。
それは、死に至るまでの苦痛への恐怖を打ち砕いてくれるものを見つけた喜びなのか。
いや、それだけではない。
生とは逆のベクトルであっても、これから自分が進むべき道がはっきり見えた――そのことに、胸が高鳴っていたのだ。
「私は……何があっても、人が自分の命を自分で終わらせるなんて、あってはならないと思うんです……。人には運命があって、それを自分で決めちゃいけない……。だから……何とかこの治験を止めたくて……ヒック……」
市川は感情を抑えきれず、高橋の前で熱弁を振るった。
最初は拒んでいたアルコールも、一杯飲んでしまうと歯止めが利かなくなり、飲まずにはいられないといった様子で次々とグラスを空けていく。
一時間ほどで、すでに五杯。
酩酊に近い状態だった。
「高橋さんも……安楽死薬なんて、認めないですよね?ねえ、聞いてます?ヒック……」
「ええ、もちろん……」
どうやって情報を聞き出そうかと考えていたが、この様子では取り越し苦労になりそうだった。
ただ、客が少ないとはいえ、市川の声がやたら大きく、周囲に聞こえていないかと気が気じゃない。
「でも僕、思うんですけど……今、市川さんが警察に駆け込んでも、誰も信じないんじゃないですか?証拠がないと……。ほら、さっき言ってた試作薬みたいなものでもあれば別ですけど……」
完成品なんて待っていられない。
俺は今すぐ、それが欲しい。
「試作薬なら……多分……治験事務所に保管してると思います……。この前、堀越さんが大学の研究所から段ボール一箱分の薬を運んでて……その中に、試作薬も……」
試作薬は、あの治験事務所にある。
その情報だけで、高橋には十分だった。
「でも……それを警察に持って行ったら……間違いなく、私が疑われます……。そうしたら……私、どんな目に遭うか……。正直、怖いんです……」
市川は唇を噛みしめ、再び体を震わせた。
「堀越さんは、脅すようなことはしないって言ってましたけど……口封じに……こ、殺されるんじゃないかって……」
彼女に、俺がしてやれることは何もないように思えた。
俺が試作薬を盗み出せば、その言葉どおり、彼女に迷惑が及ぶだろう。
本当に、俺はそれをやるつもりなのか。
今せめて、俺にできることは何だろう。
日付が変わり、彼女の頬の涙が乾くまで、ただ愚痴に耳を傾けること。
それが高橋にできる、せめてもの償いのつもりだった。




