第1話ー② 家族という空白
実家には一人暮らしを始めてからほとんど帰っていない。それは単に帰省するのが面倒だったり交通費がもったいないというのもあるが、結局実家というのが、自分にとって居心地の良い場所ではないからだと思った。
高橋は中学の時にいじめに遭っていた。表面的にはじゃれ合いにも似たそれは、教師は誰もいじめなどと思わなかったのかもしれない。
高橋自身もあれがいじめなのかどうか、当時そして今でもよく分からない。ただ自分はいじめられてなんかいないというプライドが働いていたというのもあった。自分がなぜこんなに悲しい思いをしながら学校に行かなくてはならないのかを、あやふやに心の奥底に閉じ込めてしまった。その想いは心の中で人知れず腐敗し、思考回路の中に組み込まれてしまっている。
高校に進学する受験時、高橋は学校ではなんとか平静を保ち、家に帰ると疲れた精神を回復するためすぐ眠りについた。眠ると精神は危機的状態から幾分リラックスした状態に戻る。ただそれは元に戻るというよりは、ピンと張りつめた痛みが分散して鈍痛になるという感じだった。まるで超低周波が脳に絶えず響いているような…。
受験シーズンも終盤、どういう経緯だったか高橋は両親に高校に行きたくないと言った。
それまでにも学校を理由なく休んだりしていたので、何となく親にも学校で嫌な事があった位は分かっていたと思う。
「高校は中学の延長だ。そんな所には行きたくない。」
そう言って高橋はふとんに閉じ籠った。そんな高橋を見て母親は
「お願いだから高校は行って!最低高校だけは!」
と泣きながら高橋を説得した。それを見て高橋は母親を可哀相と思いながらも、自分にとっては血も涙もない鬼の一言だと思った。
今となっては、高校位出てなければ世間に通用しない事はよく分かる。結果、高校も行き今は大学も行っている。ただあの一件以来、自分にとって家族というものが、密度の高い絆から、一部何かがすっぽりと抜け落ちた他人行儀な感情を抱いている。
テストの結果が返ってきた。惨敗だ。留年が決定した。親にも通知が行くのですぐに解るだろう。大学生にとって長い夏休みはうれしいものだが、あまり学校に行っていない高橋にとってはそれが公認の休みかそうでないかの違いであって、生活スタイルに大して違いはない。それどころか休みになると仕送りがなくなるので、実家に帰るかバイトをしなければならなかった。バイトは嫌だが、それでも実家にずっと居るよりは気が楽だと思った。
留年のショックは思ったより大きい。今まで何とか偏差値でいうと五〇から四〇位にいたのが、一気に20位下がった気分だ。人生に乗り遅れた差が明確になった。選んだというよりは、何もしなかったというべきか。何もしないとどんどん闇の中に引きずり込まれていく。働かざる者喰うべからず。何もしたくない人間は死ぬべきだ。
高橋はパケット代が高額になるのも構わず、携帯で自殺をキーワードに死に方を探ってみた。同じような念いを抱く同士がいないかも色んなサイトを訪ねてはみた。が、自殺はよくないとかやめようとか弱腰コメントが殆どで、覚悟を決めた前向きなコメントが集まる掲示板は見つけられなかった。
何もしたくない。心が疲れているから。じゃあ死ぬか?一番多い首吊りで死ぬか?それともビルから飛び降りるか?
しかし分かっていた。自殺をしたいというのと、自殺をするというのは、まったく次元が違うものであると。
高橋の場合、それを実行するのに立ちはだかる障害は死の恐怖ではなく、死までの苦痛に対する恐怖だけだった。他には何もない。
所持金が0になって、究極に追い詰められた状態でその選択をするのはしんどい。もう少しこの世にいて様子を見よう。そんな言い訳とわかりつつ、自分の闇の中の一歩にとりあえず足を前に出した。